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文学フリマ東京39への道 その6 小説が完成した

 文学フリマ用の小説が完成しました。締切はもう少し先なのですが、これ以上推敲すると、最初から書き直したくなりそうなので、今ある原稿を完成稿にするつもりです。
 今回の小説は、2万3千字程度の長さです。これは、私の書く小説としては短いです。普段は、たいした内容でもないのに、長くなりがちなんですね。原稿用紙100枚程度の小説が多いです(今回の小説は、多分60枚より少し長いぐらいだと思います)。

 この字数になったのは、2万字程度で収めようと話し合ったからです。最初に書いた小説は、過去の回想部分があったこともあり、4万字近い分量になりました。そこから半分の文字数に削るのは無理そうなので、別の小説を新たに書くことにしました。

 これまで、2万字程度の小説を書いたことがなかったので、雰囲気を掴みづらかったのですが、文字数大幅オーバーながら一作書き上げたことで、「主な登場人物を増やしてはいけない」「あまり事件を起こしてはいけない」「時間軸は直線がベター」といったことが見えてきました。普段書いている小説とは違い、いくつか制約をつけた上で書くしかなさそうだとわかったのです。

 もちろん、これは私の場合です。いつも小説を愛読させていただいているnoterさんは、少ない文字数で起伏に富んだ小説を書くのがうまい方ばかりです。そういう方々なら、2万字でも何の問題もなく、小説が書けるのではないかと思いますが、原稿用紙100枚がデフォルトである私は、制約のある中で小説を書くしかありません。

 別に、その制約が残念だとは思いませんでした。普段と違うやり方で書けばいいだけ。真面目に小説を書き始めてからまだ2年弱なので、自分のスタイルを確立したとは言いがたいです。新しいやり方にチャレンジして、小説の幅が広がればいいと考えました。

 「主な登場人物は2人程度」「事件ではなく、日常を書く」「時間軸はいじらない」と考えて、更に「家族に読んでもらえる話にする」という制約もつけることにしました。
 去年の創作大賞に応募した『ジェダイだってあの体たらく』という小説を読んで下さった方々はご存じだと思いますが、普段は基本的に憂鬱な小説ばかり書いています。暗い過去を背負ったり、人に言えない秘密があったり、周囲との軋轢に苦しんでいたり。いくら家族でも、そういう小説を他人に読んでもらうのは憚られます。
 
 ただ、春頃、noteに投稿した掌篇は、普段とは違う雰囲気だったので、「こんなの書いたんだけど」と家族に見せることができました。その時に、家族に読んでもらうのも案外いいなと感じたので、今回は、あの掌篇よりはシリアスだけど、読み終えて、気が滅入るようなことはない作品にしようと決めました。

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 そうやって、いくつか縛りをつけた上でアンソロジー用の小説を書き上げたわけですが、書き上げて思うのは、「もう1つ縛りがあった」ということです。
 他の縛りは自分で決めたものですが、この縛りは違います。
 前に、「小説を少しでもよくするために、他人に読んでもらう」という話を書きました。あの時に書いたのは、coconalaというサイトに登録し、評判も良いプロに読んでもらう話です。

 それ以外に、某SNSで文フリ関連のポストをきっかけに知り合った、アマチュア物書きの方にも過去作を読んでもらったのです。文フリには何度も出店しているということで、「だったら、他人に読んでもらえる小説のコツはご存じなのかな」と考えて、「小説読んで、講評しますよ」という誘いに乗ってみました。
 
 これが、大誤算でした。酷評の嵐の方は、まあいいんです。noteでは、欠点は指摘しにくいですよね。私の場合、そもそも好きなタイプの小説でないと読もうと思わないので、読了した小説はどれも、好意的な感想を書きたくなります。好きなポイントの方がはるかに多いのに、些細な欠点をわざわざ書く気にはなれません。

 なので、欠点を指摘してもらえるのは、ありがたい。実際、プロの方の指摘はどれも「ああ、その通りだ」と思うものばかりで、とても為になりました。
 また、青音色のメンバーである渡邉さんと吉穂さんにも、いくつか意見をもらったのですが、その通りだと思う意見が多かったですし、または、私の考えとは違っても「確かにそれも一理ある」と感じて、自分の小説についての理解を深めることができました。

 でも、アマチュア物書きの方の指摘は、えっ? と思うものばかり。例えて言えば、夏目漱石の『こころ』に対して、「Kが自殺するまでの心理描写がありません」と批判したり、『走れメロス』に対して「親友を一瞬でも疑うなんて、メロスの性格設定に問題があります」と批判したりするような講評だったのです。

 そのあたりは、「2度とこの人には講評を頼まないぞ」「文フリでもブースに近づかないようにしよう」と決めて忘れることにしたのですが、ある箇所を大きく誤読されたことが尾を引いたようで、今回の小説は、説明過多でわかりやすい作品になってしまった気がします。もともと、純文学を書いているわりに、文章も表現もわかりやすすぎて、そこが自分の欠点だと自覚しているのに、「あれをあんな風に誤読されたのか」というショックが無意識下で私を縛ったんでしょうね。

教訓 よく知らないアマチュア物書きに小説を読んでもらうのはやめよう。ただより怖いものはない。

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 今回の小説は、最初からWordの縦書きで書きました。印刷屋に出稿するのはPDF。それ以外に、epubやkindle形式にも変換して、推敲しました。epubは、印刷した原稿とほぼ同じイメージです。Kindle形式だと、うちにはkindle端末があるので、普通の小説を読むのと同じ状態で自分の小説を読むことができます。線を引いたり、書き込みしたりも簡単にできるので、校正向きの書式だと思いました。
 あとは、Word原稿をiPadのSiriに読んでもらいました。前にも試したことがあるのですが、当時と比べても、朗読がすごく上手くなっています。セリフ部分などは、感情を込めて読んでくれました。Siriが読み間違った単語はルビを振った方がいいなどとわかるので、朗読による校正もやって良かったです。

 吉穂さんと渡邉さんの小説も、お二人らしい秀作です。私の作品は、まあ、枯れ木も山の賑わいということで。


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海人
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