[読書エッセイ] ミステリープラス1
ジャンルミックスのミステリー小説
先日取り上げたアガサ・クリスティの小説は、ミステリー小説のど真ん中、王道と言える作品です。何しろ、クリスティは「ミステリーの女王」ですから。
クリスティの作品のような、いかにもミステリーらしい小説もいいけど、逆に、ミステリーと他のジャンルが融合した小説にも心惹かれます。1+1が2ではなく、3とか4になる気がします。今回はそうしたジャンルを超えるミステリーの中でも、ミステリーと歴史小説、ミステリーと時代小説が合わさった作品を四つ取り上げてみます。
ウンベルト・エーコー『薔薇の名前』
週刊文春の「20世紀傑作ミステリーベスト10」企画で海外部門2位を獲得した作品です(1位は、サイコ・ミステリーの傑作『羊たちの沈黙』)。修道院で起きた連続殺人を修道士ウィリアムと弟子のアドソ(語り手)が追うというミステリー部分の面白さもさることながら、中世の修道院を舞台とする歴史小説でもあり、世界史の授業で軽く学んだだけの異端審問や叙任権闘争について学べる宗教小説でもあり。キリスト教と笑い(風刺)の関係を問うという意味では、非常にアクチュアルな小説でもあると感じます。おまけに、作者の専門である記号論まで少し齧った気分になれたので、ミステリープラス10ぐらいのパワーがある作品でした。
普段ミステリー小説を読まない方、特に文芸書や社会科学系の学術書がお好きな方におすすめしたい作品です。
隆慶一郎『影武者徳川家康』
こちらは、『このミステリーがすごい!』の「10周年ベスト・オブ・ベスト」国内篇で6位を獲得した作品です。実は、この小説が『このミス』にランクインしているのを知った時、「あれってミステリーなの?」と驚いたのですが、確かに、関ヶ原の合戦の最中に本物の家康と入れ替わった影武者が、どのようにして江戸幕府を築いていったかを描く歴史サスペンスとも言えそうです。見方を変えれば、歴史学者・網野善彦の名著『無縁・公界・楽』の史観を取り入れた本格的な歴史小説でもあるし、壮大な世界観で描かれるファンタジー小説でもある。いずれしても、既成概念が打ち砕かれるレベルの読書体験ができる小説なのは間違いありません。
藤沢周平『消えた女 彫師伊之助捕物覚え』
時代小説界のレジェンド、藤沢周平さんによるハードボイルド小説です。藤沢さんの小説といえば、弱者に注がれる優しい眼差し、澄み切った明るさ、ふんわりしたユーモアなどが特徴なのですが、この作品では、そうした特徴は封印されて、彫師・伊之助の人探しミッションが乾いた文体で描かれます。
暗い過去を背負った孤独な主人公が事件に巻き込まれて、心ならずも他人と触れ合っていくという、王道を行くハードボイルドを楽しみながら、今は失われてしまった江戸という街に思いを馳せることもできる贅沢な作品です。
ミステリーは好きだけど、ハードボイルドは苦手だなと思っている方は、是非この小説を読んでみてください。
池波正太郎『梅安影法師』
こちらも、時代小説界のレジェンドによるハードボイルド小説で、『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ池波正太郎さんの時代小説シリーズ、『仕掛人・藤枝梅安』シリーズの第六作になります。
同じハードボイルドでも、藤沢周平さんの『消えた女』が元岡っ引の活躍を描いているのに対して、この作品の主人公・藤枝梅安は仕掛人と呼ばれる暗殺者。社会からはみ出した男達の絆と死闘を描く、ノワール色の強い作品です。
池波さんが生み出したヒーロー、長谷川平蔵(鬼平)には「人は悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」という有名なセリフがあるのですが、善と悪の狭間を彷徨う梅安は、まさにそのセリフの体現者と言えそうです。
池波さんの生誕百年にあたる来年には、豊川悦司さんが梅安を演じる映画も公開されるので、豊川さんの顔を思い浮かべつつ、この小説を読んでみてはいかがでしょうか。
以上、歴史小説や時代小説とミステリーのジャンルミックス作品を四つ挙げてみました。ミステリーというジャンルの幅広さと豊かさを感じていただければ幸いです。