痛快時代小説 森鷗外『護持院原の敵討』 【読書感想文】
高校時代に読んだ「舞姫」の破壊力が強すぎて、苦手だった森鴎外。ところが、没後100年を機に青空文庫で作品を読んでみたところ、鴎外の面白さと偉大さに開眼したというのが前回の話。
「舞姫」で鴎外嫌いになった人は、結構いる筈です。読書嫌いなら仕方ないけど、日本文学は好きなのに鴎外はちょっとという人も多いと思うので、その人たちの鷗外への苦手意識を和らげることができればいいなと考えて、noteを始めました。
森鴎外は、「舞姫」から始まって初期には同時代を舞台にした小説を書いています。その後、乃木将軍の殉死にインスパイアされて「興津弥五右衛門の遺書」を書いてからは、作品の舞台を過去に移します。
鴎外の作品を紹介するにあたり、まずは過去を舞台にした作品ーー歴史小説から始めたいと思います。歴史小説は、鷗外の小説の中でも、読みやすい作品が多いと感じたからです。
「護持院原の敵討」は、歴史小説……というよりは、今なら時代小説のカテに入る作品だと思います。護持院原は、一ツ橋と神田橋の間(地下鉄竹橋駅付近)にあった空地だそうですが、そこで天保年間(1830年代)に起きた敵討がテーマになっています。
鴎外に抱いていた「憂鬱な作家」というイメージが砕け散った作品でした。読んで楽しく、終わった後は気分爽快。痛快という言葉が合う小説でした。
敵討といえば、主君や親を殺された人が犯人に復讐するもので、特に武士の時代に多かった…といったことは何となく知っていますが、実は、真正面から敵討を書いた小説を読んだことがありません。敵討の代表例のような忠臣蔵でさえ、外典的な(忠臣蔵が脇筋になっている)藤沢周平の「用心棒月日抄」を読んだ程度です。なので、この鴎外の小説は知識面でも得ることが多かったです。例えば、敵討すると決まった時から終わりまで何につけても届出が必要で、「復讐」というよりは幕藩体制の制度に組み込まれているものらしいとか。犯人が行方をくらませてしまったら、幕府にはそこまでの警察力がない、それどころか、各藩の領土にはそもそも幕府の警察権が及ばないので、敵討という形で治安維持を図るしかなかったのかもしれません。
犯人を追う旅の途中で、敵討側の人達が寺社仏閣や霊峰を頻繁に訪れているのも面白かった。もちろん、無事犯人が見つかるようにと神仏に祈るためですが、それを名目にして、普段の生活では絶対に行けない名所を見ようという気持ちもあったのではないでしょうか。どこにいるともわからない犯人を探す、先の見えない旅ですから、気分転換も必要ですよね。何と、道後温泉には五十日も滞在して、湯治をしています。探索の旅で身体を壊したとはいっても、想像していた「ストイックな復讐の旅」とは随分違う気がします。
この小説が感情移入しやすいのも、おすすめしたい理由の一つです。敵討といっても、忠臣蔵だと「お爺さんを大勢で殺すなんて」とか「仕事のできない浅野内匠頭が、逆ギレして吉良上野介を刺したのでは?」などと余計なことを思ってしまいます。その点、護持院原の敵討の犯人は、「博打の借金がかさみ、金目当てで無差別殺人を企てた」という一ミリの同情も湧かない男なので、敵討側の人達を全力で応援できます。
敵討側の人達も、キャラが立っています。サバサバとした頼れる勇士・九郎右衞門、義理人情に厚い文吉、感情のアップダウンが激しい、若旦那の宇平。宇平の姉で、父親の仇を討ちたいと一途に願う勝ちな|《りよ》も印象深いキャラクターでした。
正直、小説の中であまりにもテンポ良く事が進むので、本当にこんなにうまくいくのだろうか? と逆に疑ってしまうほどでした。ネットで調べたところ、この敵討が実際に起こったことなのは間違いないのですが、詳細まではわかりませんでした。なので、森鴎外、または鴎外が参考にした資料の作者の脚色があるのかどうか、この小説がどの程度事実に基づくものなのかは不明です。
でも、情報網が張り巡らされた現代でさえ、指名手配されたまま、長期間捕まらずに済む犯人は少なくない。まして、江戸時代に、被害者の家族達がどこにいるともわからない犯人を探すのは並大抵のことではなかった筈です。それなのに、犯人を探し出すまでは帰参もかなわない。時間が経つと、郷里からの仕送りも途絶えたことでしょう。敵討の成功率は高く見積もっても数%だったようですから、家族を殺された上に、仕事や家も失うという結果の方が遥かに多かったわけです。護持院原の敵討のように、「出来過ぎでは?」と思うぐらいの幸運が続かなければ、クリアできないミッションーーそれが敵討だったのかもしれません。
それがわかっているから、江戸時代の人達は、護持院原の敵討の成功を心の底から喜び、褒め称えたのでしょう。森鴎外は、当時の記録を通して、江戸の人達の喜びを感じ取り、この痛快な時代小説を書いたのかもしれないと想像しました。
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