noteで読む小説
フォローしている渡邊さんの記事。
「自分の小説を読んで下さってありがとうございます」という記事なのですが、こちらこそ読ませていただいてありがとうございます。
noteを始めた時は、小説や映画の感想文を中心に読んでいました。あまりにも読むジャンルを広げると、note沼にハマって他のものが読めなくなると思ったからです。
その後、フォローしている方々のエッセイを読むようになりましたが、これがとても面白い。まあ、当然ですよね。「この方の感想文、ステキだな」と文章や感性に惹かれてフォローしたわけですから、感想文に限らず、エッセイも面白いに決まっています。
それでも、当時はnoteで小説を読むつもりはありませんでした。家にも積読になっている小説が多数ある中、これ以上読む作品を増やしたくないという理由です。
なので、小説メインで書いている方がスキを下さっても、フォローしたことはないです。
(詩や短歌、俳句といった普段読まないジャンルは、noteで楽しんでいましたが)。
ところが、フォローしているみらっちさんが別名義で書かれている短編をふと読んだところ、とても面白い。
作品として面白いというだけでなく、「みらっちさんが書く作品って、エッセイではこんな雰囲気だけど、小説は全く違う雰囲気なんだな。どんな風に世界観を切り替えているんだろう」などと私が勝手にイメージしているみらっちさんのイメージと小説を比べながら読むという、メタな楽しみ方ができるところがいいです。
そして、みらっちさんが別名義で創作を始められた直後に、渡邊さんも小説の連載を始められたわけですが、渡邊さんの場合は、みらっちさんとは逆に、普段のイメージ通りの作品でした。とっても、情感豊かな文章なんですよね。いつも感想文やエッセイを読ませていただいて、渡邊さんの世界に親しんでいるので、小説にもすぐ入り込めました。
古い時代に書かれた小説や、現代であっても雲の上の人である職業作家が書かれた小説を読むことと、noteでフォローしている方々の小説を読むことは、(同じ小説というジャンルですから一部重なる部分はあるものの)、別種の楽しみだと思います。
私はどちらも好きですが、案外、世に出ている小説に興味がない方でも、noteにある小説なら楽しく読めるという方もいらっしゃる気がします。
作品世界を超えた部分までも楽しめる小説だとも思います。
つらつら考えるに、「noteで感想文やエッセイを読ませていただいている方」というのがちょうど良い距離感なのでしょうね。
これが現実に知っている相手だと、ちょっと生々しくなりすぎるかも。職場の後輩に小説を見せられたら、「こんなの書いている暇があったら、報告書を書く練習しようよ」などと思ってしまうかもしれません。モデルはあの人…? などと邪推してしまう危険もあります。
noteで文章に触れて、こんな方なのかなと想像するだけの相手…全然的外れな想像かもしれないし、そもそも、その方々がnoteで見せているのもご自分で創造なさったイメージなのかもしれませんが、それは別にいいんです。
想像によって、私の世界が広がっていくのですから。
フォローしている方々が書く小説をもっと読みたいです。