見出し画像

こよみだより *大暑*


2022.7.23
二十四節気の「大暑」入りです。

相変わらず戻り梅雨のような、はっきりしないお天気が続いていますけれど、こよみの上では 太陽が容赦なく照りつける頃です。

暑さが最も厳しいとされるこの時季、先人たちは 風に水に、上手に涼を見出しました。

軒先には風鈴を、窓には葦簀よしずを、玄関先には打ち水を…。昔は川に舟を浮かべて夕涼み、などということも。
そんな昔ながらの納涼文化は、自然に寄り添う日本人ならではの感性が生みだしたものなのでしょう。


そして。
今年は少しずつ、夏祭りや花火大会などの  夏の風物詩も見られるようになりましたね。
感染状況は心配ですけれど、戻りつつある ”日本の夏” に、ちょとわくわくしています。




和菓子のおはなし ❅  かき氷


日本の夏といえば思い浮かべるもののひとつに、「かき氷」もあげられるでしょう。



かき氷は、なんと平安時代には日本に存在していたそうです。
といっても、それはとても贅沢な高級品で、貴族社会に限られた嗜好品だったようですけれど。


平安時代中期に執筆された 清少納言の枕草子には、

あてなるもの。(中略) 削りにあまづら入れて、あたらしき金鋺かなまりに入れたる

枕草子・四十二段

と、かき氷が登場。これは、現在日本で見つかっている「かき氷」に関する最も古い記述だそうです。

あてなる :雅やか、上品
削  り  氷 :かき氷
あまづら :古代の甘味料「甘葛煎あまづらせん
かな  まり :金属のお椀


黄金色の “あまづら” をかけたかき氷が、新しく美しい金属のうつわに盛りつけられた様は、さぞかし雅やかで上品だったことでしょう。


うつわ好きの私は、その頃の貴族が「金属製のお椀」も使っていたということにも興味を抱きます。
氷で冷えた金属のうつわは露を結び、キラキラと輝く水滴をまとっていたかもしれません。
なんと涼し気で美しいこと。。
庶民の食器は木椀などが中心だったであろうことを考えると、やはり平安の貴族社会とはきらびやかな世界です。


それにしても、もちろん冷蔵庫もない時代。
当時の京都では、冬の間に氷室と呼ばれる穴に天然氷を貯蔵し、夏になると貴族は、そこから取り出された氷を このように雅に味わっていたそうです。
この朝廷に関わる氷室の氷は、主水司もんどのつかさにより厳重に管理されていたそうですが、旧暦6月1日には「氷室の節供」という行事が行われ、その貴重な氷はその日に限って臣下たちにも振舞われたのだとか。

では、庶民はといえば。。 真冬に雪や氷を食していたとのこと。
最近は発掘調査が進み、氷室は京都以外の地域でも確認できるそうですけれど、いずれにしても とても庶民が口にできるものではなかったようです。
夏に氷が庶民の口に入るようになったのは、清少納言の時代から遥か時を経て、幕末から明治になってからだそう。美味しいかき氷を気軽に頂ける現代の 文明・文化に感謝しなくてはなりません。。


ちなみに、旧暦6月のお菓子「水無月」は、先ほどの「氷室の節供」で群臣に振舞われた氷に由来する という説もあるそうです。氷を食べられない庶民が、宮中で振る舞われる氷をかたどり 和菓子にして味わった…。
他説もありますけれど、この逸話を思うと、水無月という和菓子がいじらしく、また愛おしく感じられます。

水無月外郎ういろうなどの生地を三角形にして、上に甘く煮た小豆を乗せたお菓子。
(写真は、とらやHPよりお借りしました。)




今日の写真


かき氷は、六本木のランドマーク・東京ミッドタウン内にある虎屋菓寮で頂いた「佐賀県産いちごのかき氷」。
そしてタイトル画像は、その菓寮に隣接するとらやさんの立派な暖簾です。
写真から、少し涼やかさが伝われば良いのですけれど。。



頂いたかき氷は、うつくしくて、美味しくて、枕草子のかき氷にも匹敵するのではないかと思うくらい「あてなるもの」でした。

氷の上にかかっているのは、いわゆるシロップなどではなく、濃厚で上品なイチゴジャムのよう。イチゴの粒はそのままの姿をやわらかく残し、口に含むと氷とともに とろけてゆきます。
さらに… 氷の中には、とらやさんの こしあんが、たっぷりと隠れているのです!
氷とイチゴとこしあんの、甘く甘く、ひんやりとやさしいハーモニー。
つるんとした白玉と、イチゴのコンポートがひとつ添えられる景色に 恍惚と見とれながら味わうのでした。




そして。


ちいさな驚きさえも感じるようなこのうつわは、私が愛してやまない有田焼・李荘窯さんが、氷をイメージしてつくられたというデザートボウルです。
清少納言があらわした金属のうつわの如く、光をやわらかく乱反射しているようにも見えます。



「佐賀県産いちごのかき氷」は、この麗しいうつわで提供されています。
白(白磁)と、ブルー(呉須吹ブラスト加工)の2種類あるうち、私のテーブルに運ばれてきたのは白く輝くうつわでした。これはもう、どちらが運ばれてきてもラッキーな気分を味わえますとも。。

*
*


私のお目当ては、かき氷だけではありませんでした。現在、この菓寮に隣接する「とらや 東京ミッドタウン店ギャラリー」では、有田焼の特別企画展が開催されています。


ギャラリーでは、李荘窯の他、今右衛門窯、柿右衛門窯、香蘭社のうつわたちが競演、いえ協演しています。夢のようなコラボです。
展示数はあまり多くありませんけれど、エッセンスを味わうには十分すぎるくらいです。

4つの窯元のうつわが一緒に収まったガラスケースは、有田焼ファンならずとも、きっと宝石箱のように目に映ることでしょう。


いつ見ても、十四代 今泉今右衛門さまの「薄墨墨はじき」にはうっとりします。
(正面:今右衛門窯。右回りに、香蘭社、李荘窯、柿右衛門窯)


(正面:李荘窯 )


ギャラリーにはパネル展示もあり、有田を代表する柿右衛門様式、鍋島様式など4つの様式の、華やかな歴史が紹介されています。


現代のラグジュアリーな 有田のうつわは、その歴史の延長線上にあるのだということを改めて。


(今右衛門窯)
(柿右衛門窯)
(李荘窯)♡
(同)



六本木の真ん中の、近未来的空間に溶け込む 老舗和菓子店と有田焼400年の歴史。
佐賀を味わい、日本の夏を味わいに、もう一度訪れたくなっています。
暑いのは苦手な私ですけれど、地面から陽炎が揺らめくほどの真夏日に、涼を求めて再訪してみようかな。



地下鉄六本木駅から東京ミッドタウンへ続く連絡通路。








 

ー あとがき のようなもの ー


青木直己 先生著 『和菓子の歴史』 ちくま学芸文庫


今日のかき氷のおはなしは、こちらのご本と、著者・青木先生の講座で学ばせて頂いた内容を中心に、私なりに記してみたものです。

枕草子に登場する古代の甘味料「甘葛煎あまづらせん」のことや、私にとっての和菓子のおはなしなどは、また改めて綴ってみたいと思っています。



また余談ですが、六本木は昔、大好きな先生にお仕えしていた場所です。私にとって、特別な思い出がつまった懐かしい街でもあるのです。
おつな寿司のおいなりさんや、路地裏にある 狸だんごのおだんごは とくに懐かしく、時折そのお味が無性に恋しくなります。

おいなりさんや おだんごといえば、誕生した時から庶民のもの。
今日のおはなしとはまた違う世界も、この街にはあたたかく残っています。







最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。



蒸し暑い日が続いています。どうぞご自愛ください。







いいなと思ったら応援しよう!