獣吼の咎者:~第二幕~獣達の挽歌 Chapter.1
スタテンアイランド区長〝ジャスプ〟は、些か厄介な相手ではあった。
その飛行能力が……だ。
「チッ……屋外で戦うべき相手じゃなかったわね。もっとも、体よく誘い出されたんだけど……」
現状にしてみれば、最初からこれが狙いだったのであろう。
決闘場は、現区役所〈フォートワズワーズ〉──。
そもそもは旧暦時代にアメリカ軍の城壁要塞である。
スタテンアイランドの東北に位置し、城壁の外はすぐにニューヨーク湾だ。
軍事施設として建造されたとはいえ、刻まれた歴史は叙情的な趣を懐古に謳う。
周囲をぐるりと囲うコンクリート外壁には壕として機能する巨窟が蛻の集合住宅の如く幾つも連なり、宛ら〝蜂の巣〟を想起させた。
その敷地内は閑散息吹く芝生として褪せた緑を敷き詰めているが、遊撃を立ち回るに充分な広さとは言い難い。
その中庭での激戦であった。
芝を駆けては棟窟へと隠れ潜み、頃合いを見ては応戦にまた駆け抜ける。
その繰り返しであった。
有効な一撃は互いに加えられていない。
「オホホホホ……さすがの〈怪物抹殺者〉も、空中戦相手では勝手が違うようね?」
躍り出た獲物目掛けて、空中から巨大なスズメバチが襲い来る!
寸分違わず〝人間〟の頭部に、身体は〝蜂〟そのもの!
その奇形的容貌は、悪夢を促すグロテスクさであった!
飛来する強襲を転げ避わす冴子!
少しだけ足りなかったのか、不可視が押し添える。
言わずもがな〈戌守さま〉だ。
飛び去る細枝の鍵爪が、背中紙一重でサワサワ蠢いたのを感じた。正直、気色悪い。
「こ……ンの! 正体が〈蜂女〉だとは聞いていたけど……こんなダイレクトなヤツだと判ってりゃ、絶ッッッ対乗らなかったわよ!」
正直、旧暦特撮怪人のような〈蜂怪人〉だと思っていた。
つまり〝人間〟のフォルムに〈蜂〉のディティールを落としたようなヤツだ。
いや……実際、そうだった。
交戦を開始した時点では。
しかし、屋外戦へとフィールドを移した時点で、現形態へと変化したのだ!
おそらく本性……つまり〝最終形態〟というヤツだろう。
「こンの……ブンブン煩い!」
すぐさま体勢を立て直して発砲する冴子!
が、回避直後の即興では敵の離脱速度に追い付かない!
既に闇空彼方を旋回だ。
黄色い単眼に吸い込まれる敵影を睨み、冴子は忌々しく毒突いた。
「ったく、厄介ね。もっとも、此処の区長としては適任……か」
スタテンアイランドは、ニューヨーク行政区に於いて些か特異な環境に在る。
マンハッタン南部にアッパー・ニューヨーク湾を隔てた位置に存在していた。
早い話、本土から切り離れた島である。
ともすれば、飛行能力を有する〈蜂〉が区長を就任するのは利に叶っていた。
「どちらにせよ〝ハズレ〟か」
探しているのは〈獣〉だ。〝虫〟ではない。
「とはいえ、厄介ね。仮に〈鳥〉や〈蝙蝠〉の特性なら、軌道取りから先手を見越して反撃の糸口も見える。けれど、コイツは〈ホバリング〉が可能──つまり瞬時にして水平軌道に推移出来てしまうという事。言うなれば〈飛行機〉と〈ヘリコプター〉の差ね。もっとも〈ヘリコプター〉なんかよりも、瞬間対応力は比べ物にならないけれど……」
睨み据える黒月から、旋回に蟲影が生まれた。
「この!」
ダメもとで一発叩き込む!
直進に迫り来る巨大蜂は、水平移動でスルリと避わしてしまう!
「ホホホ……また無駄弾ね?」
せせら笑いに美貌を歪める巨顔。
間髪入れずに手近な棟窟へと逃げ込む冴子!
直感正しく、蜂女の特攻が過ぎ去った!
折れた下半身から突き出された巨針……ゾッとする。
「毒針云々以前に、ドテッ腹に風穴だわよ」
身を隠しつつ、装填用弾層を入れ換えた。
「ねぇ? ひとつ訊いてもいい?」
「今更、命乞いかしら?」
「此処──スタテンアイランドの税、何故か女性の比率を多くしてるわね? 何故?」
「フフフッ、よく調べましたわね?」
「ま、ね。で、何故?」
「……私が、何故〈蜂女〉などという稀有な〈怪物〉へと変貌したか御存知?」
「転送装置の実験に〝蜂〟が紛れ込んでたりした? おっと!」
回り込んで来た追撃を避わして、今度は斜向かいの人工窟へと転がり潜る!
「化学反応の副産事故……新薬の被検体となった為ですわ」
「科学実験の被害者? へぇ? あなた〈科学怪物〉ってワケ?」
「……こんなはずではなかった! 私が追い求め、開発した新薬は! 若々しい美しさを約束されるはずでしたわ! それが何故! よりにもよって、こんな醜怪な!」
「あなた、自分で開発した薬で?」
「ですから、決めましたの。せめて〝人間形態〟の方は、未来永劫の美を維持しようと……。その為には、あの新薬を摂取し続けなければならない。その原材料として、若い女性のエキスが不可欠ですのよ」
「──っ!」
「その活性化コラーゲンのみならず、瑞々しい細胞ひとつとっても貴重な原材料──今後の増産をも考慮すれば、いくら有っても足りませんわ」
「……つまりは、アンタの美容の為?」
「それ以外に有益な活用法がありまして? あのような俗物達に?」
「ふたつだけハッキリしたわ」
「あら、何ですの?」
「ひとつ、アンタは最低最悪な醜女……まだ〈クイーンズ区長〉の方が数倍マシだわ」
「大変、不本意ですわね。あんな〈蛇女〉と比較されるなど」
「そして、もうひとつ──アンタを撃ち殺すに遠慮は要らない!」
「フフフ……負け惜しみを。手も足も出ない貴女が、何を仰ってますの?」
「ああ、これから出すから」
潜伏場所から飛び出して傾斜射撃体勢を身構える!
正面から特攻と真っ向勝負だ!
(勢い付いた直線軌道ならば、眉間をブチ抜ける可能性は高い……が、賭けでもある)
そう、それは危険な賭け。
仮に射止めても、その慣性が死ななければ刺突の餌食は免れない。
(射殺直後、間髪入れずに回避できるかどうか……そこが勝負!)
そうまでしてもトドメを射さんとするのは……気に入らないからだ。
そう、反吐が出るほど気に食わない。
蛇女の涙と対比してみても……。
(頼むわよ……〈戌守さま〉!)
はたして怪奇は〝餌〟へと食らいついた!
夜神冴子という〝餌〟に!
襲い来る人頭巨大蜂!
その巨頭が邪悪な美貌を狂喜へと歪める!
「夜神冴子! 貴女も原料におなりなさい!」
「願い下げ」
睨み据える瞳が照準を固めた瞬間、上空からの奇襲が蜂女へと襲い掛かった!
「ぅらあ!」
雷撃を纏った拳!
寸でに察知したジャスプは、左方向への水平推移で避わした!
獲物を逃した雷拳が大地を破砕する!
鳥人であった。
雷を呼び纏う鳥人であった。
その姿を視認した冴子は、思わず頓狂な声を漏らす。
「ラリィガ?」
恨みがましい目がジロリと返ってきた。
「何が『今回は共闘しましょう?』だよ! またアタシに雑兵を押し付けて! 旨味は独り占めかよ? 冴子?」
「いやぁ、無事で何より★ まさか、こんな早くカタを着けてくるとは思わなかったわ……って、その姿!」
「ん?」
「この間のと違うわよ! 何よ、その翼?」
「ああ、憑霊対象が違うんだ。今回は〈雷光巨鳥〉──アンタらの言う〈サンダーバード〉だな」
「戦況に応じて能力を変えられるって? 便利なモンね……」
「オマエもすりゃいいじゃん? その〈戌守さま〉っていうのと?」
「出来るかっ!」
ジャレ合いにも似た口喧嘩を旋回に見定め、ジャスプは沸々とした憤りを噛む。
「まるで眼中に無いといった振る舞いですわね……」
「だいたい前回も、そうだ! 冴子は!」
「はいはい、悪かったわよ」
「アタシはオマエの露払いじゃないぞ!」
「あー……うるさいうるさいうるさいうるさい!」
耳を指栓で封じる冴子に、ガミガミ抗議を吠えたてるラリィガ。
いつしか水と油な口論に熱を上げ始めていた。
先までの戦況など、そっちのけだ。
「コケにしてますの? この私を!」
屈辱的である。
無礼極まりない。
たかだか〝人間〟風情が!
たかだか〝野良獣人〟如きが!
自分は、誇り高き〈牙爪獣群〉幹部である!
そして、選ばれし〈スタテンアイランド区長〉である!
何よりも〝美の頂点へと立つ者〟である!
それを!
それを! それを! それを! それを!
「思い知らせて差し上げますわ!」
黄色い巨眼に見届けられ、羽音が弧を描く!
再び獲物へと仕掛ける毒針の急襲!
「さあ、後悔を以て伏しなさい! 夜神冴子ォォォーーーーッ!」
「「……ウルサイ」」
一瞥さえも傾けない無造作な銃口!
同調に解き放つ無作為な雷撃!
銀弾に眉間を射抜かれた直後、電光が消し炭と落とす!
不敵な二重奏によって、鬱陶しい害虫が一匹駆除された。
特に用事など無かった。
赴く意図も無かった。
然れど、ジュリザは礼拝堂へと足を運んでいた。
まるで導かれるかのように……。
それは、はたして深遠なる意思による悪戯にも思えた。
日常に慣れた通路を進む。
体重が掛かる度に、樫の床板がギィギィと軋んだ。
一歩……一歩と奏でられる奇音は、得体知れない顎を思わせて不気味である。
寝静まった帷には、人の気配など無い。
子供達の賑わいも夢の中へと預けられ、屋内を遊歩するのは物寂しい静寂だけ。
唯一の活動感は己の息遣いのみ……。
それが、ひたすらに不安を助長する。
やがて正面に礼拝堂への扉が浮かび上がってきた。
鼓動が高鳴る。
動悸が早鐘と暴れる。
何故か?
分からない。
ただ「引き返さなければならない」と、脳内信号は警鐘していた。
踵を返して逃げ去りたい衝動が胸中を支配した。
それでもジュリザは歩を止めない。
止められない。
何故か?
分からない。
意思は無力であった。
そして、扉が開かれた──。
「ひっ!」
強張り固まる!
恐怖に!
戦慄に!
そこに広がるは、赤!
赤!
赤!
赤! 赤! 赤!
赤赤赤赤赤赤赤!
夥しい鮮血が、獣神の御前を汚していた!
散乱する死体!
四肢を繋がぬ断末魔の形相!
肉塊と化した子供達!
「ぃゃ……いや……いやぁぁぁーーーーっ!」
「いやぁ!」
「ジュリザ! しっかりなさい!」
「──ッ! ハァ……ハァ……ハァ…………」
自らの絶叫によって、ジュリザは悪夢から解放された!
ベッドに半身を跳ね起こせば、枕元には彼女を案じるマザー・フローレンスの顔があった。
「ハァ……ハァ……ハァ……マザー?」
「大丈夫ですか? 酷く魘されていましたよ? 隣室である私の部屋でも聞こえるほどに……」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
詰まった息を荒げ整える。
幸か不幸か、不快な脂汗が現実というものを認識させてくれた。
だから、ホッとする。
なけなしの安堵に過ぎないが……。
「申し訳……ハァ……ありません」
「夢を見たのですか?」
「……はい」
「怖い夢だったのですね」
「…………」
ギュッと口をつぐむ。
言う事で、マザーへ心配を掛けたくなかった。
言う事で、あの光景を思い起こしたくなかった。
何よりも……言う事で、それが〝現実〟と化しそうで怖かった。
「嗚呼、可哀想なジュリザ……」
独り堪える美貌を、マザーは優しく抱き寄せる。
「一生懸命に〈モロゥズ様〉へと御縋りなさい。この汚れきった世に救いとなるのは〈モロゥズ様〉しかいないのです」
耳元で囁かれる救済は、甘く安らぐ免罪符であった。
「モロゥズ……様」
虚脱に呟く復唱。
途端、瞳孔は恐怖を再認識に甦らせた!
獣神の祭壇を前に展開する鮮血の宴!
散乱する肉!
見慣れた笑顔が貼り付けた形相!
「……どうしました? ジュリザ? 震えていますよ?」
「い……いえ…………」
錯乱に逃げたい衝動を強靭な精神力で組伏せるも、小刻みに震える身体はどうにも出来なかった。
そんな小鳥を慈しみ、マザー・フローレンスは愛しく頭を抱き埋める。
「嗚呼、ジュリザ……怯える事など無いのです。きっと〈モロゥズ様〉が御救い下さいます」
そっと額に触れるくちづけは、はたして約束の証であろうか……。
蒼き寂寥に、再び独りを味わう。
マザーが去った後も、ジュリザはベッドに半身起こしで虚しい焦燥感に蹂躙されていた。
「御願い……」
絞り出す懇願が震える。
「御願い……冴子……早く殺して……あの〈獣〉を……あの恐ろしい〈獣〉を…………」
絶望感がクシャリと前髪を握り締めると、青い瞳は自然と雫を溢れ流した。
嗚咽は、噛み殺すに苦しく痛い……。
「んで? 例の〈獣〉について、何か掴んだのか?」
並び歩くラリィガからの質問。
「何も」冴子は仏頂面で答える。「どういうワケか、私が来てからは動き無し。手掛かりは疎か、足取りの掴みようも無いわ」
決闘場〈フォートワズワーズ〉を後に、草木が荒れ伸びる野へと歩を刻んだ。
敷き詰められた石畳の歩道は、そのままスタテンアイランドの市街地へと続いている。黙って歩いていても辿り着くだろう。
とはいえ、何もこんな離れた位置に〈区役所〉を据えなくてもいいだろうに……と思いつつ、脇の繁みから現れた不確かな体幹を無頓着に撃ち抜いた。
言うまでもなく〈デッド〉だ。
メンドクサイので、一撃必殺に眉間を貫く。
銃声で群がるなら、それもいい。
今宵は憂さ晴らしでもしたい気分だ。
そんな冴子の苛立ちを感じ取ったかは定かにないが、ラリィガは気負わぬ態度で指摘する。
「ふ~ん? だから……か?」
「何が?」
進路への正視を外さぬまま、冴子は無愛想な応対に徹した。
正直、このインディアン娘はウザったい。
「いや、相変わらず〈牙爪獣群〉へ喧嘩売ってんなぁ……って」
「……別に」
「とりあえず〈獣人〉達に危機感を炙って、目的を燻り出す……って? ま、手掛かり足掛かりも無いんじゃ分からないでもないけどさ……だけど、それって無策無謀にも程があるだろ? 正直、先は見えないし……何より〈獣人〉に付け狙われる運命を背負い込む。仮に〈牙爪獣群〉を壊滅させたとしても……な」
「んな気なんて無いわよ。別に個人で一勢力を壊滅出来るなんて自惚れちゃいない」
「そう言う割には矛盾してる。現状の冴子は〈牙爪獣群〉と真っ向から構えようとしている」
「うっさいなあ!」
「……何かあったのか?」
「…………」
──冴子さんは〈怪物抹殺者〉だから……きっと敵討ちをしてくれると思って…………。
脳裏を過る想いを呑み込んだ。
冴子の機微に気付いたか否かはともかく、ラリィガの自然体が続ける。
「壊滅云々は、ともかく……どちらにしても生涯〈獣人〉から狙われ続ける事になるぞ?」
「上等よ」道程を睨み据える瞳が険しさを増す。「一匹でも多く〈獣人〉を撃ち殺せるなら……」
その様子を横目に盗み見たラリィガは、黙して察するのであった。
ああ、コイツは死に急いでいるな──と。
とりわけ〈獣人〉だ。
他の〈怪物〉ではない。
夜神冴子は〈獣人〉に対してのみ、過敏な敵意を抱いている。
何があったかは知らない。
率先して訊く気も無い。
が、死んで欲しくはない。
おそらく私怨はあるのだろうが、それでもコイツは自らを人身御供と差し出す覚悟だ──守るべき子供達の為に。
憎悪を伴侶としながらも、それに呑まれる事はない。
自分が為すべき〝義務〟を失念していない。
それは、つまり──心の底から〝人間〟という事だ。
刹那的衝動に堕ちた〈獣〉とは違う。
だから、死んで欲しくはない。
正直、好きなヤツだ。
「付き合うよ、アタシもさ。仮に〈牙爪獣群〉が相手でも、アタシ達二人なら出来るかもしれない」
「要らない」
「独りじゃ限界がある」
「邪魔」
「断っても、勝手にやるからな」
「どうぞ? 私は無関係だから」
「守りたいんだろ? 子供達……」
「…………」
返事は無い。
だが、それでいい。
共に前を見据えた。
緩やかに登る勾配が石道を隠していたが、その先にはまだ歩むべき道が刻まれているはずだ。
先の銃声を蜜と感知したか、ユラリユラリとふらつく人影が集って来た。
二匹の霊獣が威嚇を唸る。
あれよあれよと行く手を塞ぐ死体達。
それもいい。
今宵は憂さ晴らしでもしたい。
先を見通せない道──。
荒野に伸び刻まれる道──。
有象無象な〈怪物〉が群がる道──。
それは恰も、夜神冴子の宿命そのものを啓示しているかのようであった。