獣吼の咎者:~第一幕~潜む牙 Chapter.5
夜の帷が下り、世界は見慣れた闇と染まった。
天空の黄色い単眼が、よくマッチする悪夢的情景だ。
クイーンズ西南に位置する名所〈フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク〉──。
ニューヨーク市全体で、三番目に大きな規模を誇る巨大公園だ。国道〈グランド・セントラル・パークウェイ〉を跨いで存在しているのだから、その広大さは推して知るべし。此処だけでも数区画分程度の広さは優にある。
公園内中核に鎮座する半壊形状の地球儀は〈ユニスフィア〉と呼ばれるシンボリックオブジェ。約三十六メートルもの円周が、殊更に特異な存在感を示した。まるで天空の黒月と対だ。
その他、旧暦時代には『全米オープンテニス大会』の会場として名高かった〈USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター〉も、此所の敷地内に存在する。
旧暦一九三九年と一九六四年の二回に渡って『万国博覧会』の会場に選ばれた偉業にも在った──闇暦では何の威光も為さないが。
ともあれ、軽く別空間と機能するほどに広い。
北方向と東西方向に枝分かれ分岐した〈グランド・セントラル・パークウェイ〉を、敷地内で縦断に挟んだ西方向には〈クイーンズ動物園〉が設けられている……いや「いた」と言うべきか。
闇暦現在では、とっくに廃止されていた。
当然である。
そんな娯楽を人間に残してくれる〈怪物〉などいるはずもない。
況してや、ニューヨークを支配するのは〈獣人〉の群勢だ。
獣を見世物と飼育する施設が面白いはずもない。
領地支配が及ぶや否や、真っ先に解体されたのは当然の流れである。
そして、その跡地には新たな建築物が陣取っていた。
無機質なコンクリートで形成された無愛想な灰壁。飾り気も洒落っ気も皆無な機能感だけが外面を彩りながらも、目算一〇メートルはあるであろう高さは威風に聳える。
この構築が周囲延々と続いていた。
動物園敷地の中核と据えられているのだから、とにかく規模は駄々広い。ちょっとした城塞に見えない事もない。
クイーンズ新区役所──つまりは〈牙爪獣群〉幹部たる〈クイーンズ区長〉が根城と構える拠点である。
無論、区長だけではない。
彼女配下の〈獣人〉が雑多に勤務している。
早い話が〝巣窟〟だ。
例え、呼び名を虚栄に飾ろうとも、本質は摩り替えられない。
その区長室は、最上階一画に設けられている。
「ふぅ……意外と処理があるわね」
デスクに積まれた書類を疎ましさに一瞥し、クイーンズ区長〝アナンダ〟は眼精疲労を労った。
黒い長髪が似合う美女で、やや凹凸に乏しい顔立ちからはアジア系の匂いが漂う。一見にはしとやか且つインテリジェンスな印象にあった。到底、野卑な〈獣人〉とは想像も出来ない。
区長室の内装は、彼女の背後に大きな窓硝子が有るだけで閉塞的だ。身分相応の値を張るインテリアで飾り立てているものの、贅を誇示する低俗な派手さにはない。
「近隣諸国の牽制と動向注視・区民たる〈獣人〉の定期的食料確保政策・旧暦建築物の増強と淘汰・対デッド防壁の拡張計画──これら総て見積りして政策方針を定めねばならないなんて……まったく、旧暦の政人でもあるまいし」
とは言え、こなさねばなるまい。
マンハッタンからの市長指示は絶対だ。
同時に、盟主命令でもあるのだから。
「ホント、管理職は大変ね? いつの時代も」
唐突として向けられる空々しい同情!
自分以外には居ないはずの部屋に……だ!
「だ……誰っ?」
得体知れない焦燥に正体を探り追う!
だが、必死になるまでもなく居場所を見定めた。
雲間から射す青暗い月明かりが、それを浮き上がらせる。
正面の接客用ソファだ。
深く背凭れながらに腰掛けていたのは、フォーマルスーツ姿の若い女性。
特に気構える様子も無く、余裕を孕んだリラックスをかましている。卓上にあるウィスキーを勝手に嗜みつつ……。
「ハァーイ★」
発見されるのを待っていたとばかりに、彼女は顔脇でウイスキーグラスを揺らした。かちわり氷をカランと鳴り奏でる。
「アニスの情報ドンピシャ。聞き出してなかったら、旧区役所へ向かっていたところだったわ。うん、今更ながら〝聞き込み〟って大事 ♪ 」
意味不明な自己納得を肴と一口含むと、不審者は左壁一面に据えられた棚を眺めた。
そこにはウイスキーボトルがズラリと陳列されている。
「にしても、ずいぶん良い酒を揃えてるわね? ザッと五〇本程度? コレクター? ま、管理職はストレスも多い……か」
独り納得にグラスを飲み干す。
まったく以て不敵な態度であった。
そこには自信めいた余裕しか浮かんでいない。
だから、アナンダは軽く慄然を覚えるのだ!
いつからいた?
何処から来た?
何故、そんなにも不敵で構えていられる?
目的は何だ?
そして、何者だ?
「な……何なの! 貴女は!」
「〈怪物抹殺者〉──知らない?」
「じゃ……じゃあ、貴女が!」
「そ★」
おちゃめなウィンクで簡潔に肯定。
「無差別殺戮者……我等〈怪物〉の天敵・夜神冴子!」
「……嬉しくない讚美ね」
一転して不服な憮然面。
よもや〈人喰い怪物〉から揶揄蔑称されるとは思ってもいなかった。
「ど……何処から?」
「下がダメなら、上からってね」
「屋上から? この高さで、どうやって?」
「企業秘密です」と、温顔にっこり。
実際のところ、それこそ〈戌守さま〉頼りだ。
職業柄、運動神経には常人越えした自信がある。
塀や壁を伝って内部潜入する事自体は造作も無い。
事実、幾度となく暗殺もこなしてきた。
が、こうした拠点で一番厄介なのは〝発見される事〟である。
これだけは細心の注意を払って回避せねばならない。
例え雑兵一人足りとも……だ。
仮に発見されようものなら、あれよあれよと銃弾交える大混戦へと発展する事は必至だ。
隠密行動どころではない。
だから、この大事は〈戌守さま〉に御願いして、屋上まで一気に飛ばせてもらった。
さすがに長時間飛行は無理だが、瞬間的な跳躍飛行程度なら可能だ。冴子自身に視認は出来ないが、宛ら〝浮遊オーラを纏った感覚〟か。少なくとも〈戌守さま〉が身体を包み込んだ感覚だけは感じる。
種を明かせば、例の『ヘリコプター墜落バンジー』で無事だったのもこの手に依るものであった。でもなければ、あれだけの大惨事から無傷で生き延びられようはずもない。
然して酔えもしなかったグラスをコトリと卓上へ置くと、冴子は静かなる戦意を帯びた抑揚で交渉を切り出した。
交渉?
否、違う──これは命令だ!
「あなたが、現クイーンズ区長〝アナンダ〟でしょ?」
「だ……だったら、何!」
「だったら、洗いざらい喋ってもらうわ──組織の実態──盟主の正体──そして〈獣〉と思わしき容疑者────」
「〈獣〉?」
「……教会、孤児、八人」
「何の事!」
「あ、知らないんだ? だったら、いいわ。あなたは情報供述してくれるだけで。白羽の矢は、こちらで立てるから」
懐から銀の銃口を抜き構え、冷淡が宣告する!
「ぶっちゃけ、誰でもいいし」
そう、誰でもいいのだ。
適当な石を投げ込んで、大きな波紋を立てられれば……。
行動さえ起こせば、少なくとも停滞していた状況に進展の流れは働き掛ける。
それが〝アタリ〟か〝ハズレ〟かは別としても……。
だから、誰でもいい。
仮に〝アタリ〟なら、一石二鳥だ。
「クッ!」
絶体絶命を観念したか、女性区長は戦闘意思を固めた!
変身!
「くふぅ……フッ……フッ……ぁぁぁああっ!」
苦悶にのたうちながら肢体が痙攣を踊る!
波打ちに歪む肉!
はだけていく裸身!
そして、変質に包んでいく表皮!
「……エロいんだかグロいんだか分かりゃしないわね」
うんざりと零しながらも、起立に身構えて律儀に待つ事とした。
別に撃ってもいいが、さすがに卑怯者みたいで気は引ける。さすがは『武士道』の国民性だ──と、軽く自虐。
何よりも正体を見極めたい安い好奇心もあった。
はたしてメキメキと変貌を遂げた姿は、醜怪極まりない異形!
全身をびっしりと覆い埋める緑鱗!
目鼻の凹凸が退化した平面顔は剥き出しに鋭歯を噛み締め、大きく見開かれた目は人間のそれとは異なり顔半分をギョロリと占めている。感情乗らぬ瞳は僅かな共感をも排除し、ただひたすらに生理的嫌悪感を刺激した。
「蜥蜴人間? いや〈蛇女〉か……或いは〈爬虫人間〉と呼ぶべきかしらね?」
冴子が、そう皮肉を括るのも当然だろう。
その醜怪な容貌は〝蛇〟と呼ぶには異質過ぎる。
とりあえず下半身の蛇体だけが〝蛇〟としての体裁を主張しているが……。
「ハズレ……か」
捜しているのは〝狼〟だ。
爬虫類ではない。
「シュロロロロ……」
長い黒髪を振り乱して、爬虫類面が威嚇を向ける。
チロチロと小飼動物のように踊る割れ舌。
なまじい、頭髪のような人間的要素が残るだけに、グロテスクさには拍車が掛かった。
「って言うか、話せるんでしょうね? 会話が成立しないんじゃ無駄足だけど?」
些か不安になる。
「夜神冴子……」
「あ、喋れた。うん、それならオーケー ♪ オーケー ♪ 」
一般人なら悲鳴を上げて逃げ出すであろうおぞましさでありながらも、冴子はまったく動じていなかった。
慣れたものである。
或いは、場数に慣らされた。
「忌ムベキ暗殺者──幾多モノ〈怪物〉ガ、貴女ニヨッテ葬ラレテキタ」
「嫁入り前の娘を〈怪物〉みたいに言わないでくれる?」
両手構えの銀銃をチャキリと引き締める。
いつ発砲しても良いように。
「ケレド、イツモト同ジト思ワナイ事ネ。此処ハ〈牙爪獣群〉ノ領地……他国ノヨウナ矮小勢力トハ違ウ。貴女如キ、巨竜ノ背デ足掻ク蟷螂ノ斧二過ギナイ」
「饒舌な爬虫類ね? 賢過ぎて〝レッドスネーク〟もビックリだわ」
「……何?」
「知らない? 旧暦のお笑い芸人さん★」
低俗な挑発をウィンクで締める。
「シャアアアァァァーーーーッ!」
露骨な侮蔑と捕らえたか、蛇女の方から口火を切った!
地滑りに怒濤と化す蛇体!
下半身は止めどない圧に上半身を押し出す!
剥き出す毒牙!
迫り来る鋭爪!
発砲!
同時に冴子は後方跳躍に間合いを開く!
刹那、対応を取ったのは彼女だけではない!
アナンダもまた、直角に上体の軌道を逸らして回避した!
再び距離を置いた反目が火花を散らす!
「無意味ナ事ヲ……銃弾ナド何ノ意味モ為サナイワ。我等〈獣人〉ニハ!」
「あら、そう? コレ、銀弾よ?」
「ナラバ、相手ガ悪カッタワネ……私ハ〈狼男〉ジャナイ!」
「ふぅん? 試してみる?」
「無知過ギルッ!」
垂れ襲い来る!
が、臆する事もなく〈怪物抹殺者〉は構えるのだ!
「どっちが!」
火を噴く銃口!
銀光の弾丸が右肩を貫いた!
「ガァァァアアアアアーーーーッ?」
激痛が蛇怪へと刻まれる!
更に左腕への射撃!
堪らぬ苦悶に滑る緑は暴れ狂った!
八つ当たりにも似た錯乱が、高価なインテリアを容赦無く破壊していく!
「ついでに、オマケ」
下半身の腿部を狙い撃つ!
四発だ!
何処が〝腿〟なのかは知らないが。
「ィギヒィィィイイーーーーッ!」
あまりの拷問に、もはや直立さえも維持出来なかった!
転げのたうつ物体は、確かに〝蛇〟そのものに映る。
宛ら〝断末魔にくねる蛇〟だ。
気色悪い。
「あなた、喰らった事無いでしょう? だから〝銀弾は〈人狼〉の弱点〟と思い込んでいた。それこそ〝先入観〟ね。生憎〈銀弾〉は、総ての〈獣人〉に有効打なの……何故か解る?」
「ガアァァ……ッ!」
無様な苦悶が暴れる。
興味は無い。
処刑の銃口は、微塵の感慨すらも抱かぬまま講釈を続けた。
「古来より〈銀〉は、ギリシア神話に於ける月の女神〈アルテミス〉の属性金属。そして〈アルテミス〉のもうひとつの顔は〈狩猟の女神〉──あらゆる動物に絶対的な支配力を持つのよ。だから〈獣人〉は〈満月〉から狂気を感受して、高揚に変身する。逆を言えば〈アルテミス〉の神性には抗えない。ま、要は〈吸血鬼〉に対する〈十字架〉みたいなものよね」
「グゥゥ……夜神冴子ッ!」
処刑人を睨み据える蛇怪。
激痛は強靭な敵意で抑え込む。
なるほど、我が身を以て思い知った──何故、たかだか〝人間の女〟如きが闇暦支配層たる〈怪物〉達から危険視されるのかを。
闇暦には稀有な〈神の力〉──否、もはや現世魔界には存在せぬと言ってもいい──それを、この女は有している。
そして、それを〈牙〉として行使できる。
己の〈牙〉として〈怪物〉へと向けている。
仇敵たる〈神〉の喪失に歓喜の胡座を掻いていた〈怪物〉にしてみれば、これは看過出来ない危険分子だ!
殊更〈牙爪獣群〉にしてみれば!
だから、蛇女は強く確信するのだ!
仕止めねばならない!
「シャアーーーーッ!」
奇声を吐いて、再び躍り聳える蛇体!
昇龍宜しくの立ち上ぼりではあるが、その姿は禍々しくも低俗だ。
「爬虫類はタフね」
上から睨む邪視へと、動じぬ銃口を返す。
緑鱗の巨槍が突進して来た!
火を噴く!
一発!
眼前で交差した鱗腕を犠牲と防ぐ!
肉を貫くも勢いは死なぬ!
動揺が命取りになると知ればこそ、アナンダは〝痛み〟を殺せた!
続けて二発目──「ッ?」──引き金の空鳴き!
弾丸切れだ!
「チィ!」
即座に横跳びで距離を置く冴子!
間一髪、先程まで居た場所が爆噴に破壊されていた。
緑の大樹による体当り紛いの特攻!
ゾッとする破壊力ではあった。
「そっか……下半身に四発ブチ込んでいたわね。まさに無駄弾を消費していたわ」
少しばかり軽率さを悔いる。
もっとも、復活するとは思っていなかった……その為の駄目押しだったのだから。
「普通は、銀弾八発もあれば勝敗がつくけどね」
巨大な蛇体が残骸を轢き乱して体勢を立て直す。
ユラリと獲物へ振り向く異影は、立場逆転の好機を噛み締めていた。
(装填の時間を……みすみす待ってはくれないでしょうね)
チラリと横目に盗み見るのは、少しばかり離れた位置に在る事務用デスク。アナンダ区長殿の愛席だ。威厳故か、思ったよりも大きくガッチリした造りではある。
(数秒の嚢には使えるか……気休め程度だけど)
だが、はてさて、どのように実践するか?
緊迫張り詰める対峙には、僅かな状況変化も起爆剤となるだろう。
動けば襲い来る。
が、動かなくても、いずれは襲い来る。
反目の牽制に焦れた。
(あー……蛙の気分が分かるわ)
自虐の軽口を巡らせると、冴子は決断を下す!
物陰目掛けた跳躍!
やはり! 間髪入れずに大蛇が石火と迫った!
「戌守さま!」
叫び呼ぶ守護!
尽力及ばぬ時は、素直に縋れば善い。
真っ直ぐに向いた〈信仰〉には応えてくれる。
それが〈神〉と〝人間〟の付き合い方だ。
不可視の爪が舞う!
卑しい鱗体を斬り刻む!
「ガアァァァーーーーッ?」
突如として襲い狂う鎌鼬現象に、蛇怪は翻弄されるがまま立ち尽くす!
「何? コレハ! 誰ガ居ルトイウノ!」
鋭利な渦中へと囚われた蛇身が赤霧を散らしまくった!
不快に鼻腔を突く血臭の拡散!
次々と四方八方から、見えぬ牙爪が切り刻む!
が、さすがに〈幹部級〉は伊達ではない。
遅々ながらも傷口は治癒効力を見せていた。
切り刻む!
治癒!
噛み裂く!
回復!
キリがない!
並の〈獣人〉ならば、為す術も無く屠られていた。
しかしながら、やはり〈幹部級〉は〝特別な存在〟と呼べるだろう。
有象無象の〈獣人〉が結集した〈牙爪獣群〉に於いて、有無を言わさず君臨出来るのも納得だ。
だから、然しもの〈犬神〉も思うのだ──口惜しいが、やはり〈霊体〉では物質的介入には限界がある!
ならば、トドメは〈夜神冴子〉でなければならない!
神秘なる銀銃でなければ!
身を隠した冴子は、即座に空薬莢を処理した!
グリップ底部から引き抜いた装填用弾層と入れ換えに、懐中から取り出した新たな装填用弾層をセットする!
数秒の時間勝負!
「御待たせ!」
掛ける言葉は〈犬神〉か〈敵〉か。
銃を構えた上半身が、卓の陰から姿を現した!
定める照準!
直後、背後の窓硝子が噴き弾けた!
「ぅぐっ! な……何?」
背に浴びせられる風圧に、射撃の構えが無駄に帰す!
礫と吹き乱れる硝子吹雪に抗いながらも、冴子は予期せぬ状況へと対応意識を切り換えていた。
(まさか護衛が駆け付けた?)
一瞬、焦燥を覚える!
さすがに多勢の〈獣人〉を相手取るのは避けたい!
だからこその暗殺潜入だったのが、これでは水泡ではないか!
やはり──冴子の危惧通りに、黒い影が突入して来た!
月の逆光で潰されたシルエットは、それでも逆立つ体毛を刻んでいる!
着地の余韻に上げた顔には、爛々とした赤い目が攻撃性を灯す!
(クッ! どっちを?)
刹那の迷いが生じる!
前門の蛇か!
後門の新手か!
即座に愛銃を構える!
思考よりも本能が示したのは、新たなる介入者!
が──「え?」──当の獣影は〈怪物抹殺者〉には目もくれず、渾身の瞬発力で横を素通りした!
「オオオォォォーーーーッ!」
繰り出す拳が打ち抜くのは、このクイーンズの区長!
「ガハッ?」
予期せぬ奇襲に横っ面を殴り抜かれ、アナンダは吹っ飛ばされる!
後方の壁に叩き付けられる蛇体!
ガラガラとクレーター痕から剥がれるかのように、床へと崩れ落ちた!
「な……何?」
まったく想定していなかった予想外な展開には、さすがの〈怪物抹殺者〉も困惑を隠せない。
コイツは……はたして〈敵〉か〈味方〉か?
やがて射し込む月明かりが空気を鎮め、対象の容貌を克明に曝し出す。
少女であった。
大きな房に束ねた揉み上げが特徴的な〈獣人少女〉だ。
さりとも、これまで見てきた〈獣人〉と異なるのは、その体毛が部位的に分けられている点か。
胴体・前腕部・脛部・手足……要所には獣特有の濃毛が覆い生えている。だが、上腕や太腿といった箇所には、瑞々しい褐色肌が健康的な色花に覗いていた。
頭部にしても毛量が野性味任せに荒れ伸びてはいるものの、可愛らしい少女顔は素の状態を極力維持して剥き出されている。獣性を帯びながらも〝獣面〟ではない。
そうした構成要素のせいで、恰も〈獣毛の部分鎧〉のようにさえ映った。
しかしながら、冴子は注視に見定めるのだ。
大きく立った獣耳と、鋭角ながらもフサフサと実った尻尾──間違いない!
「……〝狼〟!」
達成感にも似た高揚が〈|怪物抹殺者《モンスタースレイヤ「待ちなさい!」
「しつこい!」
逃げ走るラリィガに、追い駆ける冴子!
大公園〈フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク〉全体が、追走劇の舞台であった。常闇環境への順応にくすんだ緑が遠慮無く繁り、植林とはいえ森林地帯と呼んでも申し分ない。
時折、ラリィガは整備の行き届いた舗装道も活用した。確固とした地面は蹴り易く、少しは疾走への底上げが期待できたからだ。
が、やはり諦めぬ冴子のしつこさに、すぐさま撒こうと植樹の森へ戻る羽目となる。
もっとも好転は無い。
撒くも引き離すも無い。
現状維持の堂々巡りだ。
「こンの~……元・陸上部エースをナメんな!」
「まったく……何なんだ! アイツは?」
区長暗殺は失敗に終わった。
冴子の敵意対象が〝謎の獣人少女〟へと推移したせいで〝三すくみ〟のような抗戦図式が綺麗に出来上がった為である。
その混戦の隙を突いて、クイーンズ区長は緊急警報を鳴らした。たちまち護衛の獣群が右往左往の迎撃体制だ。
湯水のような物量に対して、孤軍と抗う敵対関係二人──多勢に無勢もいいところである。
その結果、襲撃者二名は大窓から飛び逃げた。
そのまま不毛な追走劇を展開する羽目となり、現状へと至る。
ラリィガにしてみれば大誤算であった。
此処は一時撤退するしかない。
そして、冴子にしてみれば……どうでもいい些事だ。
目の前のコイツを捕獲出来れば!
爬虫類は、後々に殺れば済む話である。
「待てっての!」
「しつこいっての!」
ひたすらに困惑するラリィガ。
コイツは何なのだ?
何故、自分が追われる?
何故、そこまで自分を付け狙う?
そして、何よりも……どうしてコイツは、こんなにも早い?
あの奇妙な服装で?
はっきり言って、ラリィガは早い。
広大な大自然に生きてきた彼女は、そんじょそこらの奴等とは比較にならないほどに運動能力が卓越していた。無論、戦闘能力も。
況して、そうした得意を活かせる軽装だ。
にも関わらず何故、あんな女が自分と互角に張れる? 都会の洗礼に、野性も無くしたような女が?
『よぉ、ラリィガ?』
並走する〝見えない獣〟が声を掛ける。
「シュンカマニトゥ? 何?」
『どうして応戦しねぇ? オマエなら楽勝だろうよ? オマエがやる気なら、オレは力を貸すぜ?』
「……人間だからね」
『はぁ?』
「アタシの相手は〈牙爪獣群〉だ。人間じゃない」
『……それだけか?』
「それだけだ」
確かに闇暦の定義で括れば、自分は〈怪物〉に部類するだろう。
だが、そこまで堕ちる気は無い。
中身が〝人間〟である事こそが〝魂の誇り〟だ。
ラリィガは、更に短距離加速で差を稼ぐ。
その背中に半ば呆れた溜め息を吐きつつも、コヨーテは誇らしさに後へと続いた。
これが〈ラリィガ〉なのだから。
「クソッ! 撃ってやろうかしら?」
憤りを吐く冴子ではあったが、それを為せない事は重々承知している。
確かに脚でも射抜けば一気に捕らえられるが、あの素早さでは避けられる可能性は高い。何よりも射撃体勢に立ち構えている間に、あれよあれよと走り去るだろう。それほどの俊足だ。
と、奇策を思い付いた。
「あ、そっか。狙わなきゃいいワケね」
走りながら撃てば、照準を定めるタイムロスは無い。
無作為な射撃ならば問題は無いはずだ。
「そんじゃ、も~らい★」
片手持ちの銀銃を撃つ!
撃つ! 撃つ! 乱射だ!
「ヘタクソ! 当たるか!」
肩越しの一瞥に、ラリィガが捨て台詞を吐いた直後!
「うわっ?」
行く手を遮るかのように、突如として頭上から多数の大枝が落下してきた!
緑の瀑布だ!
跳び越えようにも、目と鼻の先では間に合わない!
驚き様の急ブレーキ!
そのままつんのめって、嵩張る葉のマットレスへと無様に沈んだ!
「ぷはっ!」
埋もれる枝葉の水面から顔を出す息継ぎ。
その瞬間、冴子はダイブするかの如く飛び掛かった!
「捕まえた!」
そのまま押さえ込むと、馬乗りにマウントを取る!
こういうチャンスはスピード勝負だ!
「クソッ! 放せよ!」
「往生際が悪いわよ! 観念なさい!」
女体の重石に抗う仰向けを、両肩掴みに地面へと押し付けた!
「え? あなた……ネイティブ?」
「インディアンだ! アメリカン・インディアンって呼べ!」
憤慨に含まれる不快感。
好かぬ誤認である。
打つ手無しと陥ったラリィガは、やむなしとばかりに叫んだ!
「シュンカマニトゥ!」
殺しはしない……が、こうなったからには背中を切り裂かれる程度は覚悟してもらう!
大気を舞う不可視!
その気配を、冴子は瞬時にして感知した!
「え? コレって?」
身に覚えのある気配!
故に、次に何が生じるのかを戦慄に察知した!
襲い迫る気配にゾッとする!
だから、彼女も叫ぶのだ!
「戌守さま!」
刹那!
気配を気配が弾いた!
存在せぬ存在が幾度と無く弾き合う!
互いに巫属対象を護らんと!
虚空に拮抗する闘いは、使役する両者も鋭敏に感じ取っていた。
「まさか〈精霊〉? それも〈シュンカマニトゥ・タンカ〉じゃないか!」
ラリィガが驚嘆するのも無理はない。
スー族にとって〝狼の精霊〟は〈シュンカマニトゥ・タンカ/偉大なる精霊の犬〉と呼ばれる存在であり、彼女が使役する〈シュンカマニトゥ〉──即ち〈コヨーテ〉よりも上位存在と定義されているのだから。
そんな高位獣精を、スー族どころか〈インディアン〉ですらない変な女が従えている……信じ難い。
「な……何者だ? オマエ? 何で、オマエも〈獣精〉を!」
「……〈妖怪〉だっつーの」
円周約三十六メートルもの巨球は、間近で見るに威圧感を誘発した。半壊している地球というモチーフは、闇暦に於いて洒落にならない。はたして設計者は、この現実の顕現を予見していたであろうか?
ともあれ夜神冴子とラリィガは、公園中央に位置するシンボリックオブジェ〈ユニスフィア〉の台座へと腰掛け、互いの素性を明かし合う流れとなった。
そもそもラリィガに敵意は無かったが、冴子にしてもどうやら的外れな印象を受けたからだ。
何よりも、彼女の異能プロセスは自分に近しい。
ともすれば、目当ての〈獣〉とは思えなかった。
何故なら、この娘の獣化は〈使役〉の類であり〈体質〉ではない。
という事は〝理性〟を欠くという事は考え難かったからである。
「で? ラリィガ……だっけ? あなた〈ネイティブ〉よね?」
「だ~か~ら~! 〈アメリカン・インディアン〉って呼べってば! さっきも言ったろ!」
「……同じじゃん」
「同じじゃないよ! その〈ネイティブアメリカン〉ってのは、白人達が利己的に定着させようとした呼称だっての!」
そもそも〈インディアン〉は誤認定着した呼称である。
発端となったのは彼の探検家〝コロンブス〟で、彼が北アメリカをインドと勘違いした事に由来する。
とは言えども当人達は、この呼称に愛着と民族的誇りを持っていた。
対して、冴子が言った〈ネイティブアメリカン〉は、比較的後年──旧暦後期ではあるが──に、白人達が誤認払拭の為に新定義した呼称である。
確かに〈インド人〉ではないのだから〈インディアン〉と呼ぶのは些か混乱を招く。
だから〈原生米国人〉という新呼称を提唱した──という思慮的主張を鵜呑みにするのは早計やもしれぬ。
その裏には『史実隠蔽』という思惑が敷かれていたとも言われているのだから。
つまり〈インディアン〉という呼称を死語化する事で、その〝存在〟への認識すらも史実の彼方へと忘却させ、不名誉な植民戦争での不正を社会認識から埋没化させる為だ。
更に言えば、そもそも〈アメリカ〉という国名自体が植民以降に付いた名だ。自分達の民族史を起点とした場合に矛盾している。
だから、当の〈アメリカン・インディアン〉達は〝民族の誇り〟と〝歴史の真実〟を以て拒否するのであった。
「ま、どっちでもいいけど」
「良くない!」
関心薄く投げ遣りな冴子へ、ラリィガはムキになって抗議を向ける。
「ところで、ラリィガ?」
「何だよ!」
「……教会、孤児、八人」
「は? 何だよ? それ?」
抜き打ち的な鎌掛けに確信を抱き〈怪物抹殺者〉は落胆の肩を竦めた。
「やっぱり……また〝ハズレ〟か」
「誰が〝ハズレ〟だーーっ!」
反射的に憤慨を吠える〈インディアン〉の少女。
言葉の意味は解らぬが、とりあえず自分が軽視された……とだけは思えた。
計らずも吹き抜けとなった大窓から、夜闇の息吹く涼風が鋤いた。
何とか愛用の椅子へと腰掛けたクイーンズ市長は、疼く傷痕に苦悶を洩らす。
「くぅ!」
脂汗ながらに眉根が曇った。
人間形態へと戻ったのは、治癒能力を高める為である。
意外に思われるかもしれないが、この場合は正しい選択であった。
並大抵の攻撃ならば獣人形態の方が治りが早い。だいたいは、ものの一時間程度で完治だ。傷の具合によっては数分数秒の場合もある。
先の戦闘で〈犬神〉の爪痕に対して高速治癒を発揮したのも、そうした強靭な生命力の立証と言える。
この超常的生命力こそが〈獣人〉が誇る最大の特性だ。
しかしながら、件の銀弾による痕は、格段に治癒速度が遅かった。いや、そもそも回復の兆しすら見せていなかったのやもしれぬ。
「容赦無く撃ち込んでくれたわね……処刑人が!」
右肩……右腕……左腕……両腿の四発…………痕を見るに、戦慄と忌避が等しく胸中に涌く。
夜神冴子は言っていた──「古来より〈銀〉は、月の女神〈アルテミス〉の属性金属。そして〈アルテミス〉は、あらゆる動物に絶対的な支配力を持つ。その神性に〈獣人〉は抗えない」と。
成程、だとすれば回復せぬも道理だ。
夜神冴子の言う通り、あの銀銃は〈神聖〉を帯びているという証拠だ。
ならば、どうするか?
ひとまず〝人間形態〟へと戻り、その支配神聖から除外されれば良い。
しかし、それでも、この傷痕の治癒には、まだまだ掛かるであろう。
根本的に〈獣人〉と〝人間〟では治癒能力に雲泥の差がある。
そして、もうひとつの難点は……痛覚の過敏性も大きく異なるという事だ。蝕む激痛は〈獣化形態〉の比ではない。
「まったく……この体質になってから、ろくな目に遭わないわ」
淡く伏せた眼差しは、心底辟易とした憂慮を宿していた。
遠き時間の果てに、元凶たる怨恨を噛み殺す。
最初に殺めた犠牲者を疎み恨んだ。
民俗学者であった父親を……。
「なるほどね……事情は分かった」
謎のインディアン少女から経緯を聞き、冴子はとりあえず納得に至る。
少なくとも〝敵〟ではない。
かといって〝味方〟でもない。
単に〝ターゲット〟ではないと判明しただけだ。
平たく言えば〝部外者〟だ。
どうでもいい……邪魔にさえならなければ。
「アンタは、その〈獣〉っていうのを追ってるのか?」
「まぁね」
ラリィガの質問に、関心薄く答える冴子。
意識逃しに仰け反れば、半壊した地球が視界を威圧した。
謀らずも彼方上空の黒月と共演し、恰も現世を要約した構図になる。
黄色く淀む単眼と目が合うと、何故だか笑えた。
「それが〝依頼〟だから?」
「まぁね」
覇気無く流す返事。
「ビジネス?」
「まぁね」
右から左。
「……本当は〝子供達を守る為〟じゃないのか?」
「まぁね」
何か訊ねているようだが、特に興味は無い。
「そっか。じゃあ今日からオマエ、アタシの〝友達〟な」
「まぁ……んんっ?」
聞き捨てならない親しさに、我へと返った!
「ちょちょちょ……ちょっとォ? いきなり何を言い出した!」
「だって、オマエ〝いいヤツ〟じゃん?」
「はぁ?」
「うん、オマエは〝いいヤツ〟だ。だから、アタシは〝友達〟になる!」
「バカ言わないで! あなた、私を誰だと思ってるの?」
「冴子だろ?」
「じゃなくて!」
苦虫顔に詰め寄れば、相手の表情は他意を孕んでいない。
その事実を感じ取ると、冴子は深い溜め息に沈んだ。
ややあって凄むは、一転して攻撃的な低い抑揚。
「後悔するわよ? 私は〈怪物抹殺者〉……共に在ろうとすれば、修羅地獄の運命を歩む事に──」
「何だ? それ? 都会で流行ってる冗談か?」
「──ぅおい!」
ちょっとだけ自尊心が傷付いた……別に誇らしい異名でもないが。
当のインディアン娘はキョトンとしている。
(……考えてみたら、当然か)
聞けば、ラリィガは荒野で自由気儘に生きてきた。
つまりは〝個人〟である。
弱小勢力ですらない。
如何に冴子の二つ名が馳せようとも、それは覇権巡りに躍起となる組織的勢力に限った話だ。
情報網どころか世界情勢に興味すら持たないはぐれ者が、対立均衡に介入する暗殺者を知るはずもない。
早い話が……この娘は〝田舎者〟だ。
「まったく」こめかみを押さえる。「ともかく! 私は御免被るから!」
「何でさ? 目的は一緒だろ?」
「一緒じゃない! 私の標的は〈獣〉よ! 別に〈牙爪獣群〉そのものと事を構えるつもりは無い! 個人で〈勢力〉と殺りあえるか!」
「でも、襲ったじゃん? 区長?」
「それは〝揺さぶり〟よ! あの〈獣〉が〈牙爪獣群〉と関わりがあるかどうかを見極める為の!」
「同じだよ。結果として喧嘩売ってる。これから追われるよ」
「そん時は、そん時! 仮に襲われても『降りかかる火の粉』程度なら、どうとでも出来る!」
「自信あるんだ?」
「でなきゃ〈怪物抹殺者〉なんて、やってられないわよ!」
とは嘯きながらも、実のところ冴子が渋っていた理由は、それだ。
結果はどうあれ、喧嘩を売った以上は固執的に目を付けられる。
誇示した通りに〈刺客〉程度なら返り討ちにする自信はある……が、勢力そのものから敵視に構えられるのは厄介だ。気が休まらない。
その反面、今更ひとつやふたつ〈敵〉が増えても〈怪物抹殺者〉としては変わらない。
それでも、余計なリスクを負う事は極力避けたい。
その葛藤に悩んでいた。
決意に後押しをしたのは、か弱くも未熟な涙──。
安い報酬だ。
だから、悔いは無い。
「で、どうだった?」
軽い好奇心が追求してくる。
冴子は「うっ」と、言葉に詰まり、気まずく視線を逃がした。
「……無かった」
「あはははは! 無駄足だったんだ?」
「ううううっさいわね! さっき言ったけど、目的は揺さぶり! 別段〝アタリ〟も〝ハズレ〟も関係無い! 仮に〝アタリ〟ならば儲けただけの話よ!」
負け惜しみではない。
実際には冴子自身も、こうした展開は予想していた。
とは言え、他者から指摘されると、どうにもばつが悪い。自分が間抜けにも思えてしまう。
そんな冴子の憤慨を余所に、ラリィガは真面目な面持ちで示唆する。
「でも、あるかもしれない」
「はぁ?」
腰掛けていたオブジェ台座から「よっ!」と跳ね下りると、スー族の娘は星光が喘ぐ重い墨空を仰視した。
その横顔は、薫風のような爽やかさを帯びている。
「ニューヨークは此処だけじゃない。他の行政区だって在る」
「他の行政区所属の〈獣人〉が、わざわざクイーンズまで来て凶行? 無くは無いけど……」
「まぁ、個人……つまり〝はぐれ〟の可能性もあるけどさ? だけど〈組織〉を徹底的に洗ったワケでもない。組織内の何処かに潜んでる可能性もある」
「可能性は低い……限りなくね」
「何で言える?」
「メリットが少ない。わざわざ境界区を越えるだけのメリットがね。だったら、自分が属する区内で殺れば済む話」
「でも、そうした奇行の可能性もゼロじゃない」
「ゼロなんて無いわよ。如何なる事象でもね」
「なら、洗い潰す価値はあるだろ? 可能性がゼロじゃないなら」
「そ……それは……」
極めて真っ直ぐな正論を前に〈怪物抹殺者〉は抗弁を失った。
インディアン娘が示す理屈は〝合理的に真理を導き出す〟という行程に於いて欠いてはならない原則だ。
永らく失念していた教示が心底から呼び起こされる──「足を棒にして探れよ」と。
ともすれば、身を投じる価値はある。骨は折れるが……。
そして〝夜神冴子〟持ち前の演繹能力が呼び起こされた。
「そこまでして目先の利己を追う──保身的な計算や理性が欠落している? ともすれば、より〝野性〟に帰属している……つまりは、並の〈獣人〉よりも〈獣〉としての性質が強い……仮に一過的だとしても」
「……へぇ?」
黙々と熟考へ溺れる冴子を、ラリィガは興味津々に観察した。
思考の大海原を漕ぐ現状の彼女には、どうやら周囲の状況など見えてはいない。周りが見えなくなるまでに没頭していた。
それも瞬時にして……だ。
切り換えが早い。
ちょっと面白いヤツだな──そう思った。
「……目的は?」
冴子の呟きが自問自答か意見を求めているのかは判らぬが、ラリィガは軽く助け船を出した。
「シンプル。喰う事。捕食本能。それ自体」
「格好の〝餌場〟を見付けた……ってトコか」
醒めた皮肉に嫌悪を噛み締める冴子。
肩に震えた幼い苦しみ──それが彼女に怒りの炎を燻らせる。
静かに──。
強く────。
「どちらにせよ組織の意向とは無縁な個人的嗜好……。でなきゃ、単独暗躍なんてしない。仮に組織の意向なら、部隊でも送り込んで根刮ぎ狩ればいい話」
「そこは間違いないね。今回の殺戮事件と〈牙爪獣群〉の支配統治は別件だよ」ラリィガの気負わぬ抑揚が説論を続けた。「まぁ〝はぐれ〟だろうと〝組織内潜伏者〟だろうと、どちらにせよ現状での糸口は〈牙爪獣群〉しかない。可能性があるなら、徹底的に洗わなきゃダメだろ?」
淡い微笑を夜風に乗せるインディアン娘。
思いの外に思慮深い一面を見せ付けられ、冴子は素直な感嘆を自虐に含んだ。
「……あなた〝刑事〟?」
「向いてる?」
苦笑が交わる。
と、風のざわめきが予感を凪いだ。
それに示唆されたかの如く、二人の表情が引き締まる。
「ま、いろいろと煮詰めたいところはあるけどさ。とりあえず──」
「そうね、とりあえず──」
「「──まずは〈牙爪獣群〉を倒してから!」」
背中合わせに臨戦意識を身構える!
その意思に同調するかの如く、二匹の霊獣も威嚇に牙を剥いて唸る!
冴子達を取り囲むように現れたのは、有象無象の〈獣人〉達!
狼──虎──ライオン──熊──豹────雑多な〈獣人〉が、繁みや物陰から姿を現した!
いつの間にか陣形されていた野獣の包囲網!
クイーンズ区役所からの追手であった!
痛みを誤魔化す為に、水割りに逃げた。
酔えはしない。
「まったく」
アナンダは深く背凭れる。
蝕む倦怠感が、苦痛か疲労かは本人にも定かではない。
「あんま酒は御勧めしないけどなぁ? 止血に影響するわよ?」
「──ッ!」
不意に聞こえた声に、ゾッと身構える!
先刻の悪夢を再現するかのように、そいつは室内に居た!
忍び込んでいた!
残骸と瓦礫が無惨な跡形と彩る区長室内に!
入口扉の傍らに寄り掛かるシルエット!
深い影の中から、銀銃が鈍い煌めきに向け据えられている!
「夜神……冴子!」
戦慄に腰が浮く!
そして、進み出た〈怪物抹殺者〉は、掌をヒラヒラ振るのであった。
「出戻り娘でぇ~す ♪ 」
明るく穏和な微笑みは、反して骨の髄から凍らせる!
処刑人からの死刑執行証であった。