獣吼の咎者:~第二幕~獣達の挽歌 Chapter.3
中庭のベンチは、いつしか夜神冴子の考察スポットと化していた。
眼前の噴水がサワサワとした涼感に黒水を噴き流す。耳心地だけは心地好い。
「ったく、どういうつもりよ? あの〈牙爪獣群〉は?」
灰色に曇る日射しの下で置き手紙へと目を通し、冴子は憤慨に頭を掻いた。
自分宛だ。
もぬけの殻となったジュリザの部屋へと置かれていた物になる。
『〈怪物抹殺者・夜神冴子〉に告ぐ──。
貴様の依頼主〝シスター・ジュリザ〟は預かった。
帰して欲しくば、明後日までにマンハッタン拠点〈エンパイアステートビル〉まで来るが善い。
そこで決着を着けようぞ。
生き残るのが〈闇暦の都市伝説〉か〈牙爪獣群〉か……。
シスター・ジュリザの身柄については、心配無用だ。
あくまでも貴様を誘き寄せる餌……。
応じれば帰してやろう。
だが、もしも応じぬ時は……』
不可解な手紙であった。
諸々の点で……。
喧嘩を売られるのは分かる──自分自身が売ったのだから。
「……どうして、此処が判った?」
自身が〈クイーンズ行政区〉へと潜んでいるという情報は、指先程も示唆していない。
鎌掛けに際しても、それを考慮して伏せてある。
なのに、何故?
「初襲撃が〈クイーンズ区長〉だったから? けれど、どうして〈ホーリーアベニュー〉だと特定出来た?」
「密通者でもいるんじゃないか?」
肩越し覗きにインディアン娘からの見解。
「密通者……ねぇ?」顎線へと思索のリズムを刻んだ。「だとしても、此処まで来て、何故〝私〟を襲わなかった?」
「無防備な時は護っているんだろ? その〈戌守さま〉っていうのが?」
「まぁ……ね。だけど──」納得には足らない。「──それに何故、ジュリザを拐った?」
「依頼主だからだろ? 書いてある」
「その事は誤魔化しに隠匿してある──此処の最高責任者であるマザー・フローレンスにさえね」
「冴子の素性も?」
「ええ」
「実はバレていた……とか?」
「可能性は無くは無いけど……」マザーとの初対面時を思い起こす。露骨な化かし合いに交わした牽制……確かに易くはあった。「とはいえ、細心の注意は払っていたんだけどなぁ?」
「もひとつ。暗躍ってのも気になる」
「そうね。所在が判ったなら、群勢で襲撃すればいいだけ。物量押しの方が圧倒的に優勢だもの」
「まぁ、こっちにしてみれば幸いだったけどな?」
「ええ……子供達が巻き込まれていたかと思えば、ゾッとするわ」
と、ここまできて、ようやく冴子は違和感に気付いた。
「ラ……ララララリィガッ?」
「よ★」
「よ★……じゃなくて! 何で此処にッ?」
「結構前から居たぞ? まあ、誰にも見つからないように過ごしていたけど……樹の天辺とか屋根の上とか」
「いつから!」
「三日前ぐらいかな?」
「どうやって!」
「つけてきた。ほら、あの〈蜂女〉の直後から」
「巻いた!」
「フリをした。居場所を訊いたところで、どうせ冴子は拒否するからな。そのまま泳がせて付いて来た」
軽く頭がクラクラした。
ある意味では〈牙爪獣群〉よりも厄介な相手である。
「だいたいアレだぞ? オマエの〈戌守さま〉っていうのと、アタシの〈シュンカマニトゥ〉は、とっくに仲良しだぞ?」
「ええッ?」
寝耳に水とばかりに、冴子はベンチ横の気配へと驚愕を向けた。
相変わらず弛緩した波動……たぶん昼寝している。
(ウ・ラ・ギ・リ・モ・ノ!)
ギンッと睨め付ける呪詛を涼しく流し、冴子の〈神様〉は大欠伸をひとつ。
「で? 行くんだろ? その〈ナンタラビル〉へ?」
「……帰れ」
「ま、アタシも行くから何とかなるだろ……二人なら」
「帰れ!」
「アタシの行動は、アタシが決める」
明るい居直りにインディアン娘は歯を見せた。
「ハァ~~~~…………」
不本意な観念に吐く長嘆息。
共闘の中で学習したが、こうなったらラリィガは折れない。我道邁進の頑固さがある。
「ったく、どいつもこいつも!」
真逆の性格に抱く親近嫌悪であった。
食事前の礼拝は、この教会に住まう者達の日課であった。
子供達も一堂に集まり、獣神像への祈りを捧げる。
「大いなる〈モロゥズ神〉よ、今日も平穏な日々を授けて下さり感謝しております。何卒、従順な我々〝子羊〟に、尊大なる御守護を……」
厳粛な祈りを捧げるマザー・フローレンスに倣って、辿々しくも子供達が続けた。
「もろーずさま……」
「ありがとーございます」
「そんだいください……」
宿舎に繋がる渡り廊下入口へと背凭れ立ち、冴子は軽い興醒めに眺める。
(モロゥズ……ねえ?)
何を崇めようが各人の自由だ。口出す気も無い。
が、うすら寒い愚かしさに映るのも事実であった。
時代が時代なら世論に斬られるカルト宗教でしかない。
異常な世界で幸いだ。
(そもそも誰が作り出したのかしら? あんな悪趣味な偶像? やはりマザー? それとも彼女も信徒に過ぎず、別に教祖がいるのかしら?)
獣──モロゥズ神──牙爪獣群────脳裏を過る。
はたして偶然にしては出来過ぎてはいないだろうか?
共通項が多過ぎる。
仮に〈牙爪獣群〉の領地にしても……だ。
五里霧中な思考を巡らせている内に、御遊戯が終わった。
マザーの手前か、子供達も退室におとなしい。
粛々と冴子の前を境界線と越す──「チビスケ達~? 今日はカレーだってよ~★」──擦れ違い様に投げた魔法の言葉に、ワッと沸いて駆け抜けるミニ怪獣達。
本来あるべき子供らしさを見送り、優しい苦笑を含んだ。
一頻り豆戦車の流動が去った後、冴子は背後に待つマザーへと振り返る。
「御話があるのでしょう? ミス・ヨガミ?」
「……ええ」
その表情は、一転して〈怪物抹殺者〉としてのものであった。
獣神像の御前になる長椅子へと腰を下ろし、冴子とマザーは意見を交わせる。
数席分の離れた距離は、そのまま互いの警戒心だ。
礼節を以て行儀の良いマザーに反して、冴子の態度は横柄であった。
艶かしい美脚を組みながらに、背凭れへと反り返る。
別段〝カルト偶像〟など恐くは無いし、崇敬を捧げる義理も無い。
「それで? 御話というのは?」
「随分と平静ね? ジュリザが拐われたっていうのに?」
「これでも心配しているのですよ」
「そうかしら?」
「ええ。ですが、私が狼狽えるわけには参りません。そんな姿を見せては、子供達に動揺を与えます」
「薄情な宗教だこと」
「それに、ジュリザには〈モロゥズ神〉が付いていらっしゃいます。いざとなったら〝救い〟が差し伸べられるかもしれません。そう、例えば〈伝説の怪物抹殺者〉とか……」
「……へえ? そりゃ頼もしいわ」
またも露骨な化かし合いが始まる。
本来なら、もっと早く設けたかった席だ。
依頼主のジュリザに遠慮して意図的に距離を置いていたが、彼女が拐われた現状では束縛する枷が無い。皮肉なものである。
「勿体ぶっても非効率なだけだから単刀直入に訊くわ……〈獣〉について」
「あら……ふふふっ」
「何か可笑しい?」
「いえ、まるで〝刑事〟のようだ……と。確か貴女は〝行き倒れ〟と窺っていましたから」
「またまた~? 知ってたクセにぃ~★」
ヘラヘラとした牽制に、値踏みの牽制が追求した。
「何故、素性を明かしませんでしたの?」
「知らない? そういうものよ? 〈正義の味方〉って」
軽い挑発を以て、さらりと流す。
非礼さを不快に感じながらも、マザー・フローレンスもまた冷静さを保って流すのであった。
これが、夜神冴子の心理戦に於ける武器だと看破すればこそ……。
挑発にせよ動揺を誘うにせよ、相手の平常心を掻き乱して主導権を握る──そうした小賢しさがあればこそ、この闇暦でやってこれたというワケだ。
乗るだけ馬鹿を見る。
「それで? 質問は〈獣〉……でしたわね?」
「そ★ 最高責任者のあなたが知らないワケないわよね? ううん、むしろ一番情報を持っているはずよ」
「確かに……施設内で起きた異常は、逐一、私へと報告が上がります。ですが、あの〈獣〉については、貴女の御満足に至るほどの情報があるとは思えませんが?」
「構わないわ。取捨選択は、こっちでするから」
沈黙ややあって、マザー・フローレンスは静かに語り出した。
「貴女がいらっしゃってからは鳴りを潜めていますが、それ以前に於いて月一回は出没していました」
「一年前からよね? で、被害者は八人……」
口に出すのも腹立たしいが、冴子は憶気にも出さずに堪える。
──冴子さんは〈怪物抹殺者〉だから……きっと敵討ちをしてくれると思って…………。
その想いが頭の中を逡巡した。
片時も離れた事は無い。
「約十二ヶ月に対して八人……つまりは襲わなかった時もあるって事よね? 単純に見て、四ヶ月……」
「最初の三ヶ月程は、そうでしたね。目撃されさえすれ、そのまま逃走しました。四ヶ月目に初めて実害を起こし、その次の月は、やはり逃走。以降は毎月です」
「最初の頃に集中しているわね?」
「ええ」
「手口は?」
「皆、同じですよ。頭を齧られ、喉笛を喰い千切られ、四肢を齧り散らかし、臓物を喰い漁られる……」
「まだ〈吸血鬼〉の方が上品だわ」
ムカつく想いを呑み込む。
早々に、ありったけの銀弾をブチ込んでやりたかった。
「襲撃場所は?」
「最初の子供は、中庭の植え込みで発見されました。行方知れずとなった事態に施設内は騒然となり、すぐさま大人勢総出の大捜索が展開したのです。翌日、植え込みの奥へと隠されるように……」
「発見を危惧する知性を持っている……か」
「その次の子供は、裏の物置小屋──その次は屋根裏──礼拝堂──そして中には、自室で殺された子もおります」
「……段々と大胆になっているわね」
それはつまり殺る事に慣れてきた事を──学習した事を意味していた。
「その〈獣〉、此処以外での目撃情報は? 特に此処に出没する以前に……」
「さあ? 何せ、この地は〈牙爪獣群〉の領地ですから、獣が大手を振るなんて日常茶飯事……特定の〈獣〉に絞る事は不可能ですよ」
「ま、そりゃそうか」
顎線をトントンと刻む黙考。
何かが引っ掛かる。
(どうして屋内へと入れる?)
薄々とは感じていた確信めいたものが、確固たる持論へと推移していった。
(やはり内部者か……)
だが、そうとはしても、それは誰なのか?
用務員の爺さん?
人好きのする料理長?
好青年な料理人達?
或いは、ジュリザ以外の修道女か?
否、冴子の直感は、初見から警戒を鳴らしていたではないか。
あくまでも直感であり確信ではないが……。
(仮にそうだとしても、何故、こんな大掛かりな構図を敷く必要がある?)
踏み切れない理由が、それだ。
孤児施設を確立する必要は無い。
縦しんば、効率良く収集する為の餌場だとしても、一過的な使い捨てで充分だ。息長く据える必要は無い。
何よりも〈宗教〉を建前とする真意が見えない。
だから、踏み切れないでいる。
さりながら、これは〝直感〟でしかない。
そう、あくまでも〝直感〟だ。
的外れな勇み足の可能性はある。
(確証が無い限りは〝人間〟の可能性も考慮しなければならない……とはいえ、かなり食えない相手ではあるけどね)
私情依存の先入観だけに囚われていては、真相への探究力を鈍らせてしまう。
だから、とりあえず客観的分析へと意識を戻した。
この相反する演繹を切り離した事は無い。
均等に両立させる事こそが〝真実〟への多彩なアプローチを生む。
結果として近道だ。
切り換えた思索が導き出すのは、もうひとつの不可解な特徴。
「呑まれた……かな?」
小声で零した。
「何か?」
「……別に」
乾いた苦笑で、はぐらかす。
(最初の数ヶ月は〝人間性〟が……つまり〝良心の呵責〟があった? だからこそ、最初期の三ヶ月は逃走した……実害を生まぬ為に)
これもまた根拠無き直感に過ぎない……だが、少なくとも夜神冴子には、そう思えたのである。
(が、獣性に呑まれた。辛うじての防波堤が、荒れ狂う赤黒い怒濤に決壊した。それが四ヶ月目。翌月──五ヶ月目の逃走は、おそらく最後の悪足掻き……残された〝理性〟と〝獣性〟のせめぎあい)
だとすれば──良心の呵責を抱くタイプだとすれば──納得に足る要素が見えた。
(だから、月に一人……か?)
捕食欲求を満たすだけならば、有無を言わさぬ飽食で済む。
根刮ぎ喰らえば後腐れも無い。
にも拘わらず、被害者は月に一人。
(仮に、そうだとしたら……厄介ね)
そう、厄介だ。
人間としての憐憫ではない。
そんな同情など抱く義理はない。
如何なる理由や背景があろうとも、ヤツは子供を喰らった。
脳天を撃ち抜くに充分な罪状だ。
冴子の懸念は、もっと現実的である。
(つまり……知能が高い)
一概に〈獣人〉と呼べど、大別に二種がいる。
即ち〝知性を維持するタイプ〟と〝野性に溺れるタイプ〟だ。
前者は上位種、後者は下等種と言い換えてもいい。
少なくとも〈牙爪獣群〉の主要勢は前者だ──あの〈クイーンズ区長〉や〈スタテンアイランド区長〉のように。
そればかりかヘリコプターで強襲してきた〝シオン〟ですら、そうだ。
知性無き畜生では組織構成として機能しない。
故か多くは野良であり、或いは組織に組み込まれても消耗品扱いの末端雑兵が関の山だ。
が、冴子の焦点は、そこでもない。
シンプルに戦闘に関してだ。
下等種の場合は、肉体こそ〈怪物〉とはいえ、中身は〈狼〉でしかない。目撃次第、撃ち殺せば済む。
どうせ本能任せに襲い来るだけの獣だ。
ところが上位種となれば、そうはいかない。
知略がある。
姦計がある。
腹を探りあう化かし合いがある。
無論、殺られるつもりは無い。
殺る戦意はある。
だが、結局はそれも相手の知性次第。
推測の物差しは不可能。
総ては交えてからだ。
(早い話〈牙爪獣群幹部〉と同ランクの敵が増えた……それも未知数なのが)
概ね訊き出せる情報は得た。
「さて……と」
大きな伸びに窮屈さを解放し、冴子は席を立つ。
「ああ、またしばらく留守にするから」
「どちらへ?」
「市内観光~★」
ヘラヘラと嘯く背中。
と、立ち去る間際に足を止めた。
「あ、もひとついい?」
「どうぞ」
「あの〈モロゥズ神〉って、何よ?」
「……〈神〉ですよ」
「…………」
「この闇暦に降臨される紛う事無き〈神〉──世の〈怪物〉達に鉄槌を下される希望です」
紡ぐマザーの仮面に薄ら寒いものを感じつつも、冴子は押し隠した。
投げ捨てる視線に定めた〈獣神〉は、何も語り掛けては来ない。
自室から主要な装備を整えると〈怪物抹殺者〉は、死地への旅立ちへと足を運ぶ。
これから先は総力戦だ。
持ち前の牙は総て使う。
装填用弾層の全ストックは勿論の事、自己調合による手榴弾に特殊弾丸──出し惜しみしている余裕など無い。
正門手前の煉瓦舗道で、後追いの気配が背後へ飛び降りて来た。
振り向かずとも誰かは判る。
「終わった?」
「言われた通りに……な」
冴子の訊い掛けに答えるラリィガ。
「で、アレは何なんだ?」
ラリィガが冴子から指示されたのは、各人──殊に子供──の部屋に、香料を撒く事であった。
入口や窓枠を主体として、気づかれぬように仕込みたいとの事である。
マザーとの対話中、これをラリィガへ委託しておいた。
事情聴取の傍ら、自身が囮でもあったというワケだ。
「あなたは何ともない?」
相棒へと振り向きもせずに、冴子は黙々と歩を刻む。
「うん」
「そ」
素っ気なく納得しつつ、やはり、この〈インディアン娘〉が特殊なプロセスに在る事を実感していた。
おそらく〈精霊崇拝〉に根を敷く〈憑霊獣化〉のせいだろう。
いわゆる〈獣人〉とは少々異なる。
何にせよ、これで自分の留守中は子供達の身は守られるであろう。
とはいえ、気休め程度でしかない。
早々に茶番にケリをつけて戻って来る──そう決意を固める。
「で、何だ?」
「トリカブト」
「ん?」
「〈吸血鬼〉に〝ニンニク〟──〈悪魔〉には〝蹄鉄〟──〈人狼〉には〝トリカブト〟ってね」
「よく解らないなぁ?」
「解らなくて、いいわよ? 別に」
強力な毒花として有名な〝トリカブト〟だが、伝承に於いては〈人狼〉に対して有効な忌避素材でもあった。
この花の英名は〝wolfsbane〟──単語を直訳すれば『wolf(狼)』『bane(破滅の基)』だ。