輪廻の呪后:~第三幕~呪后再生 Chapter.6
呪后がアンケセンパーテンの危機を察知したのは、宿星の動きによるものであった。
国王アクエンアテン崩御後に表層化した宰相神官達による派閥抗争……それは歪な反目の牽制を内政不安定化の種と蒔いていた。
すぐさまネフェルティティが後任王位に就くも、実質は押さえ込むのに精一杯で内政維持も辛うじてといった具合だ。
そんな水面下冷戦に懸念を抱き、最有力宰相〝アイ〟は大胆な一手を投じた。
最年少王子〝ツタンクアテン〟を次期王位継承へと推薦して交代を急き、更にはアンケセンパーテンとの許婚関係までも強いたのである。
アイ──現女王〈ネフェルティティ〉の実父であり、ツタンクアテンとアンケセンパーテンの祖父に当たる。
つまりは〈呪后〉にとっても……。
──だが、それが何だという?
──興味など無い。
──感慨すら涌かぬ。
──所詮は雑多な石コロ一撮み。
──さりながら、油断を敷いてはならぬ小賢しさにも在る。
──その点だけは注視せねばならぬ。
──無論、今回の政策も……。
新王となった暁には前政権の悪習〈アテン一神教〉を撤廃し、元来在るべき〈多神教〉を復興する──それがツタンクアテンの掲げた政策指針であった。
否、実態は違う。
後見人による政策指針──それは容易に看破できながらも、誰しも抗弁の機を見失った。
正統王位継承権の男児を担ぎ出されては……。
周到な計算である。
有無を言わせぬ正当性を盾と構えて、後見人たる自分が実質政権を掌中にする。
血の情愛によるものではない。
ひたすらに権力欲だ。
──分別着かぬ少年王など神輿として担ぎ出すに丁度良い……か。
──或いは傀儡。
──そして……この者は短命。
遠隔の瞳が憐憫の色を染めたと思えたのは、はたして気のせいだろうか。
──ツタンクアテン崩御後に王権と遺るは、反意を示さぬ孫娘……よりやり易くはなるであろうな。
いずれにせよ新芽の夫婦は矢面に立たされつつあった。
そして、毒牙が蜜を垂らして顎開いている事など、当人達は覚れる程に擦れていない。
しかしながら、アイには知り得ぬ誤算があった。
ひとつは〝アンケセンパーテンがツタンクアテンを心底から愛していた事〟である。
政略結婚など関係無い程に……。
常に〝民の幸せ〟こそを重んじる博愛は、拙くとも〈王〉として相応しい資質である──そう感ずればこそ、彼女は慈しみに支え続ける覚悟に至った。
仮に夫が病に旅立とうとも、その愛は揺るがぬであろう。
例え祖父に刃を向けようとも……。
そして、もうひとつの誤算は…………。
──台頭せねばなるまい。
──我自らが王権を掌握せねばなるまい。
──絶大な力を以て組敷く。
──容易い。
──数人殺せば、それで黙らせられる。
──所詮は恐々と尻込む狭心者達だ。
──縦しんば暗殺を思いついたとて、我に通るはずもない。
──呪力だ!
──呪力が違う!
──結界?
──それが何だという?
──黙っていただけの事!
──蓄えていただけの事!
──来るべき時を迎えるまで!
──あの〈黒き月〉は授ける……惜しみ無く……我が意を思うがままに実現させるだけの〈力〉を!
──現在こそ、その時ぞ!
魔雷!
幻影の単眼月から放たれる黒き魔雷!
呼応に放たれる不可視の祝砲!
死者の谷にて轟く邪悪な歓喜!
巣立つが善い! 禍よ!
神々の結界は強力なれど、一点集中の突閃は一角を穿ち砕いた!
それで充分だ!
──嗚呼……現在こそ、その時ぞ!
久しき外気は怨恨の吐息に黒と汚され、目に滑り込む景色は地獄を未来と映す!
斯くして〈呪后〉は表舞台へと台頭した!
恐怖統治の幕開けは為された!
突如として〈王の間〉へと出現した妖女は、問答無用に襲い来る衛兵達を狼煙と瞬殺した!
輝掌の瞬きのみで!
見せしめ──存在格差の誇示──無言ながらも充分な自己紹介であった。
恐々慄然と固まる宰相共に女給達……その場から逃げようとしようものなら消した。
身じろぎひとつ許さぬ。
嗚咽ひとつ許さぬ。
総ては彼女の意思ひとつに委ねねばならぬ……その現実を骨の髄まで叩き込んだ。
僅か数分のパフォーマンスで……。
そして、その姿を見たネフェルティティは、驚愕の眼に懐古を宿すのであった。
「あ……貴女は……」
──……語るな。
──要らぬ。
意を汲んだ慕情が微笑む。
「……そうですか」
充分であった。
満足であった。
もう一度会えた。
生きて会えた。
我が子に……。
「……コレを」
──何だ?
静々と歩み寄ると、懐から取り出した装飾品を手渡す。
羽根──。
黄金の羽根────。
ややあって、ゆるりと踵を返すと、母は部屋中央にて寛容に両手を広げた。
「さあ……」
覚っている……何をしに来たか。
だから、受け止めましょぅ。
辛かったでしょう。
苦しかったでしょう。
悲しかったでしょう。
憎かったでしょう。
そして、寂しかったでしょう。
その総てを聞かせて下さい。
貴女の声を……。
然れど、これは罰ではありません。
贖罪でもありません。
これは……〈愛〉です。
一際まばゆい魔光が王権を強奪した……。
斯くして非情は君臨した。
王族に連なる者達は一人残さず幽閉……抵抗の意思を示せば殺す。
無論、若き夫婦も例外ではない。
共々、温い鳥籠へと閉じ込めてやった。
──これで国政の煩わしさには関われぬ。
──そして、誰の策謀にも晒されぬ。
他人たる祖父〝アイ〟は〈呪后〉が君臨するや消息不明。
宮廷内からは完全に姿を消していた。
──大方、戦慄に恐れを為し、屋外逃走でもしたのであろう。
──その腹黒さの報いとして心の臓を握り潰してやろうと思っていただけに肩透かしを覚えたが……深くは詮索せぬ。
──居なければ居ないだけの事。
──居れば捻り潰すだけの事。
──それだけの事だ。
──野垂れ死ぬなら野垂れ死ねば善い。
──在野に生き延びられる程の器量とは思っておらぬ。
無様極まる挟心者の末路など、諸々の問題に比べれば些事に過ぎない。
そう、現状は羽虫にかまけている暇など無いのだ。
いざ王位に就いてみれば、エジプトは侵攻に次ぐ侵攻に晒されていた。
先代王崩御を内政混乱の好奇と見定めたか〈ギリシア勢〉が外敵と侵攻を重ねる。
更には同等の強国〈ローマ帝国〉が別敵と名乗りを上げた。
それらを退けるは容易い。
彼女一人で事足りる──一騎当千の防波堤にして難攻不落の盾。
さりながら、敵も諦めが悪い。
退いては攻せる波状戦況は終わる兆しも無く続いた。
──だがしかし、現状で最も注視すべきはコイツだ。
──素性不明の仮面呪術師。
──名を〈スメンクカーラー〉と言ったか。
些か不可解ではある。
この存在だけは結界宮殿からの遠隔干渉では感知出来なかった。
ともすれば、なるほど……どうやら強力な呪力を宿しているらしい。
それは読心を妨げている精神自衛でも明らかだ。
自分程ではないにせよ、王政内部に於いては無比であろう。
なれば稚技程度に感知出来なかったのは当然と言える。
下せる自信には在るが……。
調べてみれば、父王アクエンアテン政権時に突然、表舞台へと姿を現し、懐刀的存在として知恵を貸していたらしい。
その崩御直後には新王と収まったネフェルティティへも続け様に従えた。
そして、今度は自分だ。
「貴女様の理想を叶えるべく、手となり、足となりましょう……何なりと御命令を」
──小賢しい蠅が……。
──貴様如きが何の役に立つという?
──が、生かしておいても一興か。
忠臣装う魂から淀み出る〝黒〟を看破し、好奇心を燻らせる。
──歴代王に取り入り、汚れずして実権を握る……か?
──いや、或いは……。
──フフフ……まぁ、善い。
──獅子身中の虫というのも興よ。
──これで刺激には退屈しなかろう。
──尻尾を掴んでから殺す。
そして、化かし合いが始まった。
「我は必ずや甦る! 後世にて〈ジャジャ・エム・アンク〉として完成する! それまでの泡沫を平和と浸かるがいい! アハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハ!」
紀元前の決戦に於いて敗北を喫したスメンクカーラーは、呪力暴発の自爆を選んだ!
ただでは死なぬ!
一子報いようぞ!
刻みつけるは歴史!
心中するは生地!
世界よ! 戦慄に見るがいい!
我が爪痕を!
「アハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハ! さあ、共に逝こうぞ!」
──この呪力の総量……。
──やはり、そういう事か。
この決戦にて〈呪后〉は確信した。
──小奴が歴代王を傀儡とした目的は、ふたつ。
──ひとつは〈ピラミッド〉の建築。
──それも一際巨大な物を作らせたかった。
──墓跡ではない。
──霊的力場だ。
──〈ジャジャ・エム・アンク〉を呼び込む為の。
──だからこそ王権の行使力を欲していた。
──そして、それだけの規模ならば何年も費やさねばならぬ。
──成程、立て続けに仕えるわけだ。
──もうひとつは時間。
──これだけの呪力量を常人が対応蓄積するには、相応の儀式時間を要する。
──その間、荒れては欲しくなかったワケだ。
──内政外交共に。
──だから、国王を傀儡した。
──望む均衡を維持させた。
──自身は着実に儀式を進めるべく。
考察の間にも白はどんどん胎動を膨張させていく!
敵ではない……が、暴発するエネルギーは、あまりに広範囲過ぎる。
最悪、エジプトは焦土と化して歴史から消えるであろう。
それだけは回避せねばならぬ。
──善かろう。付き合ってやる。
──だが、それだけだ。
──……やらぬ。
──我が世界までは。
秘術を以てして生み出す単眼大魔方陣!
相討ち覚悟の自爆なれば〈大結界〉に抑え込むしかない。
己自身を核芯と据え……。
──我は不滅也。
──我は那由多也。
──我は……呪后也。
斯くして破滅の白夜は箱庭へと封じ込められた。
消失の箱庭へと……。
外界には何の異変も及ぼさぬまま……。
ただ、ティーポットに浮かぶ花弁が微震に揺れ騒いだだけ……。
──白き花は無垢に咲けば善い。
──黒き花は毒血に咲けば善い。
──疎まれようとも……。
──憎まれようとも……。
──それが我が役割。
──そして、それが……我が望み!
──あの娘こそが──あの妹こそが──嗚呼、アンケセンパーテンこそが──我にとって〈世界〉だ!
それが〈愛〉と呼ばれるものだと、忌避の児は未だ知らなかった……。
霊は彷徨った。
現世と重なる薄絹の世界を……。
霊界とも幽界とも呼ばれる膜の幻界。
そう、霊だ。
魂は封じられた。
存在が弾け散る刹那、エジプト神達は挙って引き裂き持ち去った。
八つ裂きによる分散封印。
亡きアクエンアテンの隠し弾であろう──念の入った事だ。
おそらく〈肉体〉消失を引き金とした遺産……。
これで確実に冥界へは逝けぬ。
総ての封印を解かぬ限り現世復活は叶わぬ。
かといって〈肉体〉も消失した。
本来ならば死すらも〈呪后〉には意味を為さない。再生など容易だ。
かつては〈ギリシア勇者〉なる傑物に斬られた事もある……一刀両断にも首はねにも。幾度かは致命的に斬り捨てられたが、その都度、難無く再生した。
さりながら、今回ばかりは事情が異なる。
重要なのは〈肉体〉だ。
依代となるべき〈肉体〉が完全消失している。
如何に〈呪后〉といえど、現世で存在を確立するには〈肉体〉を要した。
例え残骸であっても……。
今回ばかりは真の〈死〉やもしれぬ。
──寒い。
生まれて始めて体感する凍てつき。
飢餓感にも似た凍気が纏わり付き、身を齧り続ける。
離れぬ。
放されぬ。
思慕に執着する水子霊のように……。
──寒い。
彷徨い続ける。
何処かも定かにない世界を……。
さすがに覚悟し始めた。
完全なる消滅を……。
冥界へも逝けぬ。
再生も叶わぬ。
このまま凍餓に齧られ続け、苦悶を蝕んだままに消える。
忌児に相応しくも残酷な末路。
恰も父王の呪いが実ったかのように……。
そんな中、ふと光を感じた。
やや先に揺らぐ微弱な灯……さりとも惹かれるに充分な温かさか。
フラフラと導かれる。
近づくに連れて灯は辺りを呑み、彼女を包み込む空間は白と染まった。
伝わるは明るさだけではない。
安らぎ──。
生まれ落ちて初めて感じた満たし……否、遥か昔にもあった気もするが…………。
やがて意識は寝息を立てた。
せせらぎは包まれるに心地好い。
もう、寒くはない……。
荒涼の砂漠に落ちた金色の羽根──。
それを拾うと、アンケセンパーテンは込み上げて来る想いを語り聞かせるのであった。
内に眠らされた〈呪后〉へと……。
「母は……ネフェルティティは予見していたのです。このような展開を……」
成長した年齢を見極め、母は彼女に〈真相〉を告白した。
彼女だけだ。
奇しくも関係を築けた彼女だけだ。
他の姉妹は存在すら知らぬまま……。
だから、アンケセンパーテンは通うのを止めた。
忌避でも恐怖でもない。
距離を詰めるに辛すぎる。
「冥界へも逝けぬ貴女は、普通の人々に確約された権利が無い。復活の希望が断たれた悲しい存在。如何に絶対的な呪力に君臨しようとも、やがては万人に訪れる業から逃れられない。だからこそ母は、この〈マァトの黄金羽根〉を造り、私に後を託した……。この羽根は貴女が置き忘れた〝良心〟の想起を祈願した物であり、母が呵責に苦しんだ〝良心〟の結晶なのです」
それは仮初の冥界。
封印の名を飾った揺りかご。
そして、母親の愛情──。
「この内に在る限り、貴女の〈霊〉は冥界に微睡むも同じ……安らぎに護られるはずです。もしかしたら、いつかは再生も叶うかもしれません……皆と同じように。その時は、どうか……どうか〈愛〉を思い出して下さい……貴女の内に眠らされている〈愛〉を…………」
言葉を紡ぐに連れ、心面の波紋が荒れた。
寝顔を撫でてくれたしなやかさ……安らぎの眠りを守護してくれた口付け…………幼き日の慈しみが切なく、そして、愛おしかった。
「……姉さん」
零れ落ちた一滴は公言出来ぬ儚い想い……。
その宝石は砂漠の渇きに無と還される。
歴史が無感情な現実を刻み続けるかのように…………。
「そうか……オマエもか……」
刹那にして那由他──那由他にして刹那──その時間にて、ヴァレリア・アルターナは真歴史を体感共有した。
意識憑依の副産現象であった。
──奇縁よな。
──共に親から捨てられた身。
──共に親の愛を放棄された身。
──なればこそ、お前は〈肉体〉に相応しかった。
──妹よりも。
──結果、我は最適な〈肉体〉と巡り遭えたというワケだ。
──フフフフフ……。
「……いいぜ、くれてやる」
──何?
「その代わり、妹を……エレンを救けてやってくれ」
──他者の為に己を捨てるか。
──自己犠牲。
──偽善。
──理解できぬ。
「そうでもないだろ?」
──……何故?
「オマエも妹を愛していた」
──……愛?
──知らぬ。
──我は世界を欲しただけよ。
──あの娘……アンケセンパーテンを。
「それを〈愛〉って言うんだろうさ」
──……愛……だと?
「ま、よ? ぶっちゃけアタシも〈愛〉なんざよく分からねぇし、語れる身でもないさね」
──……………………。
「けどよ……エレンだけは守りてぇ」
──世界……か。
──オマエの。
「結局、波長だの何だの小難しい理屈じゃねえ……似た者同士だったんだよ、アタシ達は」
──……フッ。
──笑むか。
──この期に及んで。
──心地好き。
──宛ら、英傑の素質。
──善かろう。
──豪たる者よ。
──そなたの願い、褒美と授けよう。
──現世再生の褒美として。
赤は飛び込む。
赤は満たす。
赤は……弾ける。
そして、彼女は、静かに瞼を開眼した。
──もはや〈アテン〉も〈アメン〉も要らぬ。
──〈イシス〉も〈ラー〉も芥に過ぎぬ。
──我、絶対也。
──我、女王也。
意志掴みに地を叩き刻むは〈錫杖〉!
彼女の呪力を誇示する象徴!
折られはせぬ!
その〈誇り〉は!
──そして、我こそは……真の〈神〉也。
かつて〝ヴァレリア・アルターナ〟と呼ばれし肉体。
然れど、現在は違う。
そこに在るのは古代エジプトが封じてきた禁忌。
闇に祝福されし者〈呪后〉の再生であった。
私の作品・キャラクター・世界観を気に入って下さった読者様で、もしも創作活動支援をして頂ける方がいらしたらサポートをして下さると大変助かります。 サポートは有り難く創作活動資金として役立たせて頂こうと考えております。 恐縮ですが宜しければ御願い致します。