輪廻の呪后:~第二幕~虚柩の霊 Chapter.6
「どういう事だ! 何故〈肉体〉が無ぇ!」
憤りめいた動揺。
柩内に安置されていたのは、黄金の大円盤を先端部装飾と据えた長錫杖だけ。金色の中央に彫り込まれた単眼意匠は、恰も彼女の徒労を嘲ているかのようであった。
(間違いない。あの女の錫杖だ。あの〈呪后〉の……。だが、それだけだ。それしか入っていない。どういう事だ? 本来〈古代エジプト〉に於ける死生観では『死後、その存在は〈魂〉〈霊〉〈肉体〉に分かれて、その内〈魂〉は冥界へと行き〈霊〉は地上に残る』と信じられていた。その〈霊〉が帰巣的に〈肉体〉を必要とする為に〈ミイラ〉という風習が生まれたはずだ。だとしたら、これはどういう意味だ? 王柩は安置されているのに、何故〈肉体〉が無い?)
黙考を咬む中で、ふと思い当たる。
(再生を望まれてないからか? 当然と言えば当然だが……史上稀に見る忌避嫌悪対象である事を考えれば。しかし、腑に落ちねぇ……だったら、コイツは何だ? この錫杖は? 何らかの理由で肉体をミイラとして保管出来ずに、コレを象徴的な代用品として埋葬したのか?)
さりながら、ヴァレリアの胸中には不穏な懸念が強く生まれるのであった。
(……黒月)
眩い円盤は、やはり〈黒月〉を模しているようにしか見えない。
殊更、中核に彫られた巨大単眼が物語っているかの如く……。
(旧暦──それも紀元前にコイツがいた? 有り得ねぇ……)
「どういう事です? ミイラが無い……」
不意にイムリスが疑問を明言化した事で、唐突に黙考は拡散された。
再び現実世界へと居座る冷静。
「理由は解らねぇな。だが、コレが現実だ。受け入れるしかない。だが……確かに〈ミイラ〉は無いが、こうして〝代用品〟は有る。そして、これまでの怪異を鑑みりゃ、悪さしていたのは〈霊〉だ。〈霊〉に帰巣的性質が備わっているのならば、仮に〝代用品〟だとしても〝宿り木〟には利用する可能性はある……この石柩にも入る可能性もな。だったら、コイツをブッ壊しゃあいい」
「確信は?」
「無いな。だが、目の前に〝可能性〟が有るなら、何でもやってみるさ。そうすりゃ事態の進展は動く……どういう形にしろな。尻込みにやらないで後手後手よりはマシだ」
自己納得の屁理屈だとは自覚する。
だが、それでもいい。
それは口先三寸の言い訳でもなく、間違いなく彼女自身の信念なのだから。
少なくとも彼女は、そうして生きてきた。
いざ実行せんと錫杖に手を伸ばす──瞬間、背後からの殺気にヴァレリアは跳び退いた!
同時に無警戒に在るイムリスも押し飛ばす!
両者間の虚空を射抜き過ぎる銀光!
投げナイフ!
強襲の姿を背後に睨み据えれば、部屋の入口には小柄な黒尽くめが威嚇を発散していた。
見覚えがある輩だ。
「……〈羽根〉を渡せ」
「やっぱり出て来たかよ……〈黒き栄光〉!」
「では、オマエは〝一般人〟へと変身偽装して、独自に墓跡調査をしていたのか?」
「ま、そういうこった」と、戦闘後の疲労感を軽い弛緩へと逃し、ヘラクレスはペルセウスに真相を告げた。手頃な椅子とばかりに腰掛けるは偉大なる王柩。「エジプト神庇護下の遺跡に潜り入るとなれば〈ギリシア英雄〉じゃ都合が悪い。そこで存在をスルーされるように変身していたってワケだ。……と言っても、俺には考古学なんてサッパリ解らねぇ。そこで〝有能な考古学者〟と組んだのさ」
「それが〝ヴァレリア・アルターナ〟だと?」
「いい女だぜ? アイツァよ?」
これ見よがしに見せる白い歯は、アンドリュー・アルターナへと向けたものであった。
それを感じるからこそ、不快に「フン」と鼻を鳴らす。
一方でメディアは男共の小休止には加わらず、一心に呪文詠唱へと集中していた。
向かい据えるのは北側の石壁。
強いるは閉ざされた進路の解放。
しなやかな両腕は繊細な指先に至るまで海面と泳ぎ、或いは大地の隆起を思わせる力強さに鋭角を刻み生む。
その舞は厳粛さすら感じさせた。
押し殺した呟きに止めどなく流れ出るのは〈呪文〉に違いないが、生憎と聞き取れない上に意味など皆目解らない。
普段の姦しさが嘘であったかのように、呼び寄せる神秘へと己を捧げ続ける。
が──「重いわね……さすがに」──誰に言うとでもなく零すと、疲労とも諦めとも取れる溜め息に詠唱儀式を解いた。
「どうなんだよ?」と、豪胆が背中に浴びせる。
「……此処、何処だと思ってる?」
不愉快そうな一瞥に返した。
此処は王墓内──エジプト神の庇護下。
敵神の掌中とも呼べる。
普段通りに魔力が集積出来ないのも無理からぬ。
理を曲げるにも限界があるというもの。
「にしても……異質な〈呪力〉をビンビン感じるわね。おそらく〈エジプト神〉じゃあない」
「まさか?」
ペルセウスの懸念に「おそらくね」と肯定して魔女は続けた。
「可能性としては〈呪后〉の部屋に通じる経路が開かれた。つまり……呪后の覚醒が近い」
「……そうか」
特に動揺も焦燥も見せず、ペルセウスは覚悟を噛むのである。
ただ静かに受け入れるだけであった。
いずれ来るべきタイミングが来た……と。
神妙な空気が支配する中で、アンドリューが不可解な疑問点を口にした。
「しかし、妙だな? かつて此処を調査した際には立体映像ではなかったぞ? れっきとした壁だった」
「だとすれば、その時は壁が有ったんでしょうね。けれど、今回は外された。推測だけど〝資格者〟……というか〝候補〟がいたからかもしれない。この二重仕掛は、おそらく篩。つまり〝看破できる程の知恵者〟かを試験した。更に石壁で閉ざす第二トラップのトリガーとなっていたのは、不必要な〈侵入者〉を未然に防ぐ為」
「フン……その資格者が、ヴァレリアだと? 何故、アイツが? たかだ〝考古学を齧っただけの小娘〟だぞ?」
「そこは解らない。どんな因果性を内包していたのやら。けれど〈エジプト考古学〉に深く携わっている。それも率先的に。今回の〈謎〉についてもね。そして、状況を聞くにメンバーは限られている。抜けたのは、ヴァレリア・アルターナと……えっと……」
「イムリスな」と、ヘラクレスからの助け船。
「そうそう、その人。けれど、どちらに因果性があるかと推測すれば、私としては圧倒的に〝ヴァレリア・アルターナ〟ね。今回の件に於いては関わりが深い」
面白くなさそうに、はなじらむアンドリュー。
と、今度はヘラクレスが推測を口にした。
「もしかして〈羽根〉か?」
「羽根? 何よ?」
「いや、アンケナンタラの墓から手に入れたんだが……正体不明の〈黄金羽根〉だ。ヴァレリアは、ソイツをずっと持っていた」
「ふぅん?」
細めた眼差しを思考の世界へと逃がす魔女。
貴重な考察材料だ。
重要か否かは別としても……。
「で、此処から先には行けないのかよ?」
「……正直、期待はされたくないわね。あまりにも魔力……いいえ〈呪力〉か……の底値が違い過ぎる。まるで海原の中の湧水よ。せめて屋外なら何とか渡り合えたけどね」
侭ならぬ立ち往生に活路を呈したのは、意外にも〝人外〟ならぬ〝人間〟であった。
「別経路なら……」
「何よ? アンドリュー教授?」
「いや、どうにも〈魔力〉に捕らわれて失念していたが……或いは別経路が在るやもしれん」
「そんなものが?」
「私にしても確証があったワケでも無い。だが、こんな仕掛けが起動したとすれば、今後は何者も立ち入れなくなる……不都合だろう? それは? だとすれば、極秘の通常経路が在ると考えた方が合理的だ」
「コイツの他にか? かぁ~? だとすりゃ、俺とヴァレリアの苦労は何だったんだ?」
「いいや、コレが在るから……だ。これだけ大掛かりな仕掛けを前にすれば、他の経路が在るなどとは誰も思いはせん」
「それで? それは何処なのかしら?」
「ふむ……」暫しの黙考。「もしかしたら、あそこかもしれんな」
繰り広げられる交戦!
ヴァレリアと黒装束の死闘!
暗殺者のナイフ投擲を駆ける撹乱に避わし、跳び詰めて突き出すジャックナイフは見切りの体術に距離を開いた!
立ち回るに室内は充分とは言い難く、況してや柱も無い造りでは身を隠す盾すら無い。
ヒット&ウェイで逃げ回らねばならなかった。
相手取るは一人とはいえ二対一の優勢とはならない。
イムリスは戦力外として王柩の陰へと下がらせた。
一対一だ。
柩の御前にて繰り広げられる命懸けの余興。
さぞや〈呪后〉は御満悦だろう。
「オイ、何故そこまでして〈羽根〉を欲しがる?」
「…………」
「またダンマリかい?」
牽制の反目を交わすも、実は時間稼ぎである。
ヴァレリアの脳は、既に推察を巡らせていた。
別な疑問点に。
(何故、此処にいる? どうやって入った? 隠し部屋だぜ? 此所は……)
自分とて〈羽根〉に導かれた。
そうでもなければ発見すら出来なかった。
何重ものヴェールに隠蔽された経路だ。
それを、何故?
(此所は〈呪后〉の間だ。その〈呪后〉が招き入れるか? アタシを呼ぶ根回しを画策した〈呪后〉が邪魔者を?)
その意思を汲めば矛盾している。
不自然である。
だとすれば……。
(……事前に知っていた? 待ち伏せ?)
投擲の刃を右滑りに遣り過ごす。靡く長髪は黒雲の如く流れた。
(そもそも〈黒き栄光〉は古代エジプト神の信者によって構成されている。王墓の内部構造に精通していても不思議じゃねえ。ともすれば、自分達が共有する〝隠し経路〟すら所有しているかもしれないが……)
しかし、直感は否定する。
(或いは、こちらの動向を知った者からの手引き? けれど、誰が? どうやって? 此処へ立ち入ってからは数分だ──遡って、隠し階段発見からは数十分程度──ツタンカーメンの玄室から飛び込んだ隠し部屋では、小休憩を加味しても一時間強しか過ごしていない。何処からか監視していたとしても、通達を受けてから襲撃に来るまでの所要時間が短過ぎる)
またも相手がナイフを抜き構えるのが見えた。
いったい何本の投擲ナイフを携えているのやら……。
腰落としにバネを蓄え、どちらの方向にも跳躍回避出来るように身構えておく──が、その下準備は無駄に帰した!
投擲ではない!
突進!
真っ向から!
自ら跳び込んで来たのだ!
銀光の嘴で刺突せんと!
「なっ?」
予想外の攻撃に戸惑う!
再三に渡る投擲によって、無意識に先入観を刷り込まれていた!
それを算段しての奇襲かは定かにない。
が、一瞬の躊躇は命取りとなる!
僅かにも硬直が生じる!
それぞ相手が狙った隙!
「チィ!」
避わすべきは右か! 左か!
否、そのどちらでもない!
「ッ?」
刹那、違和を抱く暗殺者!
虚空感!
目算していた手応えを得られぬ!
距離が開いていた!
ヴァレリアは溜めた跳躍力を後方へと注いでいた!
攻撃を受け流すのではない!
間合いを保持する選択に転じたのだ!
即興ながらにベターな策を浮かべられるのは、実践環境の場数にて培った素養か……いや、或いは天性の素質やもしれぬ。
いずれにせよ仕損じた!
そして、続け様にヴァレリアは逆襲へと転じる!
足裏に着地の力場を咬むと、即座に自らを跳ね伸ばした!
前方に!
離脱した渦中に!
わざわざ舞い戻った!
「何!」
敵の刺突を潜り抜けて繰り出すは、ジャックナイフの刺突!
「クッ!」
寸での体幹推移に辛うじて避わす暗殺者!
ジャックナイフは黒覆面を微々と掠り、両者の体は互いの空振りに交錯した!
ならば、こちらを頂く!
刹那に判断した黒覆面は、滞空のままに芯を捻ると遠心力を蹴りへと転じた!
至近の一手!
後頭部に叩き込んでやる!
しかし、それもまた空しく!
標的は消えていた!
沈んだ!
追撃を予測していたヴァレリアは、その場屈みに遣り過ごしたのである!
二の轍!
同じ過ち!
中空に刻む不安定は、先刻以上の隙と広げられた!
「オラァ!」
「カッ!」
頭部に走る鈍い衝撃!
ヴァレリアの回転エルボーがトドメとばかりに叩き込まれる!
そして、暗殺者の意識は闇へと墜ちた──。
数分の経過──。
シガレットの紫煙に疲労感を拡散していたヴァレリアは、監視に据えた獲物が微々と蠢いたのを見定めた。
ようやくの目覚めを察知してツカツカと近寄る。
大方、虚を突いて逃げようとでも算段していたのだろうが、甘く見られたものだ。
そうはいかない。
気配を殺していても判る。
「おい」
胸ぐら掴みの乱暴に起こせば、体格の軽さから女の腕力でも上体を弄べた。
「テメェら、何を目論んでいる? あの〈黄金羽根〉を狙う目的は何だ?」
「…………」
沈黙のままに返ってくるのは、睨め付けるかのような反目。
癪に障った。
アタシは〝ヴァレリア・アルターナ〟だ。
こう見えても裏社会じゃ、少しは名が通っている。
自尊は加虐心にも似た苛立ちへと推移した。
「黙秘かよ? ここまできて通用すると思ってんじゃねえぞ!」
癇癪紛いの粗さに黒覆面を剥ぎ取る!
それは軽率であったやもしれぬ!
すべきではなかった選択であったやもしれぬ!
信じ難い衝撃に呑み込まれるのであらば!
「なっ? 婆さん?」
そう……ヴァレリアを襲撃してきた賊は、彼女が懇意と付き合ってきた人好き──果実露店のマティナ婆さんであった。
「どういう事だよ!」
「ついにバレちまったねぇ……ヴァレリアちゃん」
驚愕に呆然とするヴァレリアに反して、老婆の声音は普段と変わらぬ柔和に在った。
然れど、抑揚は沈む。
「いつからだ!」
「最初から」
「……え?」
「ヴァレリアちゃんと出会った頃から、あたしゃあ〈黒き栄光〉なんだよ」
「何で!」
「おめおめと〈オリンポス信仰〉なんかを看過できるものかぃ! 此処は〈エジプト〉だよ!」
「そんなの知った事か! どっちでも関係ねぇ! どうして──」綻び崩れる気丈は頬に零していた。「──どうして婆さんなんだよ!」
「ヴァレリアちゃん……」
「ふざけんじゃねえ! ふさんじゃねぇよ! ふざ……けんじゃ……」
やるせない憤慨は次第に我を殺すかのように蹲り、そして、小刻みに震えていた。
あの気丈が……。
あの不器用な真っ直ぐさが……。
だから、その粒は積年の意固地を氷解させるに充分であった。
「ヴァレリアちゃん……」
優しく頭を撫でる枯れ枝。
注がれる慈しみは、あの日と……まだ幼かった頃と同じように。
「あたしの娘の事は知っておいでだね?」
「婆……さん?」
「そう、あの子は……あたしの娘は、何処ぞの〈怪物〉に殺された……喰われた! 喰い散らかせられた!」
普段の消極的な物腰は何処へやらに、激しい鬼気が支配する!
小柄な老体に不釣り合いな程、膨大で力強い〈鬼〉が猛る!
「何処のどいつかは判りゃしない。この闇暦じゃ些末な日常茶飯事だからね。けれど、それがあたしの娘だった! あんまりじゃないさ! 無情にも程があるってモンだ! あの子が何をした? そうだろ? アイツ等に……怪物共にとっちゃ道端の草かもしれないさ! 無造作に引っこ抜いて投げ捨てただけかもしれないさ! だけど、あたしには違う! この世で、たった一人だ! たった一人の娘だったんだよ!」
「婆さん……」
「来る日も来る日も祈ったよ……セトに……セベクに……バステトに──あのクソッタレた〈怪物〉を神罰に裁いてくれ……と。もっとも実ったかどうかを知る術は無い。何せ〝何処のどいつ〟かすら判りゃしないんだからね。だから、祈った……祈り続けた……そうするしか無かった……終わり無い懇願を…………。そんな折、あの方が現れた」
「あの方?」
「……〈黒き栄光〉指導者〝スメンクカーラー〟」
「ッ!」
衝撃が走った!
予想外の名に!
「有り得ねぇ! ソイツァ史実上の人物だ! 遥か古に死んでいる!」
「事実だよ」
「有り得ねぇ!」
「ヴァレリアちゃん、時代は何だい?」
「あ……」諭されて落とし穴に気付く。「闇……暦……」
古今東西の〈怪物〉が跋扈する現世魔界──その現実を示されては納得するしかなかった。常識など唾棄される。
「どうやって生き返ったか……或いは、生き延びていたかは知らないよ。だけど、実在していた。その超常存在だけで、誰の目にも充分な説得力だったさ。嗚呼、エジプト神の威光は確かに顕現するのだ──とね」
「……もしかして、だからか?」
語らずも覚るヴァレリアの言葉に、過熱した激情は湖面と鎮まる。
「相変わらず呑み込みの早い子だよ……ヴァレリアちゃんは」
「やっぱり……そういう事か」
願うは『娘の復活』──。
一途な母親の願い──。
哀れにも愚かしく、そして、美しくも尊い母娘の慕情────。
「それに必要だったのか? あの〈マァトの黄金羽根〉が?」
しかし、それは静かな首振りに否定された。
「いいや。それを欲したのは、スメンクカーラーだよ。あたし等は任務を課せられたに過ぎない」
「じゃあ?」
「約束してくれたんだよ。首尾善く〈黄金羽根〉を奪取した暁には、娘を反魂させてくれる……ってね」
「そんな馬鹿げた口車に乗っ掛ったのかよ!」
「エジプト神の神秘は顕現する! それは〈スメンクカーラー〉の実在が証明した! だとすれば〈セト〉も〈オシリス〉も! わたしの娘だって生き返る! 生き返れる! そうすりゃ、また一緒に暮らせるんだよ! 親娘で幸せに!」
「婆……さん……」
鬼迫が荒ぶる!
荒れ狂う!
母性という名の鬼が!
その根源に切実な想いが汲めればこそ、ヴァレリアにしても息を呑んだ。
……だが。
だが……。
だが!
間違っている!
「それがいけない事かい? 母親が実の子供を想い慕うのがいけないってのかい? わたし等〝人間〟には、そんな些細な……質素な幸せすら望む権利なんか無いって言うのかい!」
「生前のままなワケないだろ!」
「ッ!」
「そうさ……仮に本当だとしても、生前のままじゃねえ。何故ならスメンクカーラーの根は〈エジプト神信仰〉だ。そして、その超常を顕現させる手段が、ヤツ自身の〈呪術〉ならば尚の事。理を力尽くで捻曲げるというなら、現実に於ける『反魂』は……おそらく〈ミイラ〉だ」
「そ……それは」
「いや、最悪それすらも無ぇ……肉体が無いんだからな。だとすりゃ、異なる肉体に憑依させる〈再生死体〉の類だ」
「……黙れ」
「いい加減、夢から醒めろよ……婆さん」
「黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙れぇぇぇーーッ!」
「愛せるのかよ! 怪物を! 最愛の娘を貶めるのかよ! 怪物に!」
「あたしは……あたしは! ただ……ただ!」
ヴァレリアの瞳は、やるせない憐憫を染めていた。
背中におぶってやった事もある。
優しさに匿ってもらった事もある。
思慕に渇いた鼻摘みと、母性を持て余す老いぼれ──。
そういう間柄だったからこそ……。
「正直、親子の慕情ってのは実感が涌かねぇ……アタシはガキの時分に捨てられた身だ。いや、語りたくねぇよ……安っぽい偽善で……偉そうに……他人の幸せの在り方を否定するなんてよ。けどな、いまのアンタを見たら、娘はどう思うんだろうな」
「ヴァレリア……ちゃん……」
解ける険……。
和らぐ声音……。
そして、銃声!
「なっ?」
飛沫が散った!
絶命の飛沫が!
赤が!
老いた命が……散った!