獣吼の咎者:~第一幕~潜む牙 Chapter.7
旧暦一九八九年──。
アナンダ父娘が、南米の地〈ハイチ〉に滞在して一ヶ月が過ぎた。
父〝ジャフカ〟は考古学者であると同時に民俗学者でもある。
その為、研究対象如何で各地を流転する生活が続いた。
当然ながら、一人娘であるアナンダも連れ添う形となる。
父子家庭故の柵だ。
幼少からの事なので、もう慣れた。特に不服は無い。
現在の研究熱は〈ブードゥー教〉に注がれていた。
だから、この発祥地に仮住まいの根を張っている。
それが如何なる宗教なのか──アナンダは詳しく知らない。
否応なく刷り込まれる知識としては〝ハイチ土着の精霊信仰〟という事だけ朧気に把握していた。
その程度だ。
別段、興味は無い。
「お父さん、入るわよ?」
ティーセットを運んで来たアナンダは、形式的なノックを響かせてから応接間へと入る。
今日も客人は来ていた。
テーブルを挟んで父と対談している。
内容は、間違いなく〈ブードゥー教〉だろう。
毎日のように父が招くのは、その知識を聞き出す為だけなのだから。
痩せた黒人紳士だ。
何者かは知らない。
黒いジャケット姿に山高帽子を被り、手にしたステッキで儀礼的な洒落気を飾っている。
正直、好かない。
何処がどうとか、無礼な輩というわけでもない。
それでも、好かない。
この怪紳士からは、生理的嫌悪感を誘発するオーラが発散されていた。
或いは、この男のニタリとした笑みが粘着質な卑しさに在るからであろうか。
ソファに座る客人はアナンダと目を交わすと、独特のいやらしさに歯を見せた。
それに応じて、アナンダも社交辞令の会釈を返す。
好かない。
ティーセットの盆をテーブルへと置いたタイミングで、父が納得の独り言を吐いた。
「やはりな……やはり、そうか」
「そりゃそうだぜ、旦那? 何が〈ゾンビパウダー〉ですって? 冗談言っちゃいけない。たかだか〝テトロドトキシン〟なんてフグ毒で、仮死再生を操れるワケが無ぇ。そんなレベルで済むなら日本なんざ、とっくに〝ゾンビ大国〟だ。何たって、アイツら〝日本人〟は、嬉々とフグを喰いやがるんだからよ……酔狂な民族だぜ、ィエッヘッヘッ!」
「では、君も〝潜在未知の開花〟と捉えるかね? つまりは〝生命力の進化〟と?」
「いいや、違いやすね。いいですかね? 旦那? そもそも〈ゾンビ〉は、古くから〈ブードゥー教〉に伝わる秘術だ。呪術によって死者を蘇生し、自我意識の欠落した奴隷として使役する──それが〈ゾンビ〉なんでさぁな」
「まるで〈ロボット〉のように……だね?」
「御詳しくて?」
「民俗学や考古学をしているからね。その辺りは前以て調べたよ」
「ィエッヘッヘッ……こりゃ手際がいい。言い得て妙ですが、その通りですわな。だから、自発的に他人を襲う事も無い……命令されない限りは。そして〈呪術〉による蘇生だから、他者へ感染する事も無い。巷じゃ『噛まれると感染して〈ゾンビ〉になる』『捕食本能任せに人間を襲う』なんて誤認されてるが、アレは娯楽映画から出てきた別物だ──〈ゾンビ〉じゃねぇ。鼠算的に増殖するのは、寧ろ〈吸血鬼〉の特権でさぁな」
どうやら話題は、ブードゥー教に伝わる怪物〈ゾンビ〉のようだ。
「まさか、君は伝承通りに〈呪術〉に依るものだと? そんな前時代的な迷信を支持しているわけじゃあるまいね?」
「さぁて……ねぇ?」葉巻を深く吐く。「とにかく〈ゾンビ〉は実在する──それだけは確かでさぁ。古くから目撃談も事欠かさねぇ」
(イヤね……不気味な〝死人返り〟の話なんて。薄気味の悪い)
内心、不快感を抱きつつ、アナンダは卓上へとティーセットを整えた。
無関心を装ってはいるものの、決して気持ちのいい話題ではない。
「ですが、ジャフカの旦那? 飲み友達の義理で、一応、警告はしておきますぜ?」
「何だね?」
「あまり本気に深入りしない方がいい。コイツの闇は根深い」
盆を下げる際、盗み見た客人と目が合う。
またニタリと口角を上げた。
好かない。
遥か故郷に待つ婚約者への手紙を認めると、アナンダは夜風を求めてバルコニーへと出た。
軽い気分転換だ。
父娘が住まう借家は、地元民家から離れた場所に在った。
玄関の前には青く澄んだ海が広がり、周囲を常緑の樹林が囲う。少しばかり遠景に目を逃せば、切り立った断崖だ。
ともかく豊かな自然が祝福してくれているわけだが、それらは闇夜に呑まれると一転した姿へと変貌する。
爽快な潮騒は深淵からの呼び声と変わり、樹々は深い闇を育んで葉音をざわめく。そこに潜む動物達は奇声に威嚇し、虫の鳴き声は人魂からの警鐘の如く心境を過敏に煽った。
陽が暮れれば、軽く〈魔〉が潜む──。
そんな環境に於いて〝死人〟の話など悪趣味にも程がある。
「まったく……今回ばかりは早々に引き上げて欲しいものだわ。研究対象が、あまりにも不気味過ぎる」
うんざりとした溜め息が漏れた。
否、それだけではないと自覚する。
不安で仕方ないのだ。
「この地の風土も、文化も、住民も……何処か自分達を拒絶している印象が拭えない。奇異と嫌悪感と好奇と蔑視──そうした視線が渾然一体となって向けられているかのように感じるわ。まるで文字通りの〝異邦人〟よ」
言いようもない不安を払拭しようと、ロケットペンダントを開く。
婚約者の笑みは、自信に満ちていた。
「早く帰って挙式を済ませたいわね」
軽く想いを口付ける。
暗い潮騒の中で、ふと昼間の客人を想起した。
「それにしても、何者なのかしら?」
たまたま酒場で意気投合した間柄……という事は把握している。
けれど、それだけだ。
それ以上の事は何も知らない。
父の研究〈ブードゥー教〉に絡んだ人物には間違いなかった。
毎日のように訪れては、終始、その話題に熱を展開しているのだから。
と、不意に背後から取り押さえられた!
「んぐっ!」
口へと布が押し付けられる!
強烈な刺激臭は薬物の物だ!
渾身の力で抗うも、背後の人物は屈強なのかビクともしない!
(何? 何? 何? イヤ! イヤァァァ!)
支配するのは、混乱と恐怖のみ!
足掻く!
足掻く!
足掻く足掻く足掻く!
然れど、抵抗は非力!
そして、アナンダの意識は朦朧と途絶えたのである。
目覚めた場所は祭壇であった!
そこに荒縄縛りに寝かされている!
(な……何?)
発声が叶わない!
いや、身体の自由も浅い痺れによって殺されていた!
薬物の副作用であろうか?
辛うじて動かせる範囲で状況を見渡す。
拓けた空間であった。
土色の岩盤に松明の篝火が踊る。
おそらく何処かの洞穴を利用した場所に違いない。
祭壇の前には集会に適した面積が広がり、そこには多くの現地人が集っている。
厳かに捧げられた崇敬が自身の仰臥する祭壇へと向けられている事から、最悪の状況だけは悟れた!
自分は、贄だ!
何らかの儀式──それも如何わしく邪悪な儀式──に捧げられる生け贄だ!
彼等が崇める〈神〉に捧げられる供物と選ばれたのだ!
「ぁ……ぁ……」
麻痺が呂律を潰す!
戦慄を叫ぶ事すら許さない!
恐怖に彩られた眼が瞬きすら忘れる中、やがて彼女と信徒を遮るかのように黒外套姿の男が割って入った。
位置的に全容貌を掴む事は叶わぬが、その顔には仮面を被り素性を隠している。
「聞けぇい! 親愛なる信者達よ! この者の父は、事もあろうか我等が信仰〈ブードゥー教〉に俗悪な探りを入れて来た!」
仮面男の怒号を耳にして、アナンダの思考がピースを組み上げた!
この者達は〈ブードゥー教〉の信者!
そして、おそらく父の探求心は、彼等の禁忌へと踏み入ったに違いない!
これは、その報復!
狂気の制裁なのだ!
「無粋にして俗悪! 愚劣にして盲目! 我等が崇高なる聖域を無知なる刃物で切り裂き、俗物好奇に汚そうと言うのだ! 断固として許されざる蛮行である!」
父から聞いた事を思い出した。
この〈ブードゥー教〉には、二面性がある。
それは〈正統宗教〉と〈邪教〉の二面性だ。
正しき〈ブードゥー教〉は〈神官〉と〈女神官〉の下で精霊信仰を教義として、おおらかな人生観を育む。
しかし一方で、その呪術を私利私欲に用いた〈呪術師〉と呼ばれる存在は、率いる信徒を恐怖統治によって歪めて〈邪教〉へと姿を変えている……と!
これは、まさにそれであった!
人間社会の裏に潜む毒蛇の巣だ!
見知った顔も居る!
果物屋も! 雑貨屋も! 警官も!
「制裁を加えねばならぬ!」
高揚した熱気が、一声に歓喜を上げた!
「この者に〈蛇霊〉を宿らせて〈ゾンビ〉へと変える! これは報復だ!」
更に鼓舞が猛る!
(いや……いや……)
短刀を手にした呪術師が、アナンダの傍へと歩み来た。
抵抗に見開く目に贄の目覚めを覚りながらも、特に関心は示さない。ただ、微かに上げた口角が優越と満足を主張していた。
指先が熱さを滲ませる。
浅く切られた。
スゥと滴る赤を小瓶に掬い取ると、呪術師はそれを眼前に見つめてブツブツと呪言を注ぎ込む。
ややあってアナンダの枕元に運ばれて来たのは、小さな簡易祭壇。
呪具性の高い燭台に照らされ、人型に切られた紙が敷かれている。
その人紙を台紙に小瓶を置くと、いざ呪術師は大きな所作に呪文を唱え始めた!
呼応するかのように、不穏な霊気が召喚に荒れる!
気配云々だけの話ではない!
実際、松明は気流に消されまいと炎を暴れさせ、その場に居る者全員の衣服は嘗める悪戯にはためいた!
だから、確信するのだ!
目に見えぬ何かが招来している!
(イヤ……イヤ!)
贄であるが故か、アナンダは鋭敏に感じ取った!
この不可視が、何をせんとしているかを!
宿り木!
自分の中へ飛び込まんと、見えぬドス黒さが虎視眈々と狙っている!
ややあって祭儀を終えた呪術師が、彼女の傍らへと戻って来た!
手にした切っ先が狙い定めるは、彼女の左胸!
殺・サ・レ・ル!
確定した命運に、脳が危険信号を駆け巡らせた!
吹き出す脂汗!
直面した恐怖が麻痺を殺した!
「イヤァァァーーーーッ!」
振り下ろされる凶刃!
その瞬間、何故か呪術師は弾き飛ばされた!
「な……何だと?」
狼狽える呪術師!
やがて彼と彼女の間に、黒い靄が滞りだした!
「ィェッヘッヘッ……随分と盛り上がってるじゃねぇか?」
翻弄に嘲笑いながら、人型を成していく霞!
山高帽子を斜に構えて、葉巻を蒸かす痩け顔──例の黒人紳士だ!
アナンダの凝視と目が合う。
特に感慨を抱く程でもないが、謎の紳士はニタリと卑しく口角を広げた。彼にしてみれば、ただの御挨拶だ。
当のアナンダは、ただ驚愕に呑まれるだけであった。
この好かぬ怪紳士は〝人間〟ではなかった!
眼前の事象が有無を云わさぬ!
果たして、何者なのか?
そして何故、自分を救けるのか?
現実離れした窮地も相俟って、混乱に拍車が掛かる!
さりながら呪術師は、瞬時にして看破していた──この男が何者かを!
だからこそ、驚愕は隠せぬのだ!
「おお……何故だ! ゲデ? 我等〈ブードゥー教〉の死神である貴方が、何故、こんな小娘に庇い立てを?」
「ィェッヘッヘッ……悪ィが、この嬢ちゃんは知り合いの娘なんでな」死神と呼ばれた怪紳士は、これ見よがしに葉巻を蒸かす。「それに酒代の借りもあらぁな」
「この者は〈異邦人〉だぞ! それでも〈精霊〉か!」
「異邦人……ねぇ?」醒めた値踏みに贄を一瞥すると、ゲデは乾いた蔑笑に嘯く。「ま、オレにゃあ関係無ぇや」
「な……何?」
「そもそも〈神官〉でも〈女神官〉でも無ぇ〈呪術師〉風情が、何を正義面で語っていやがんだか……。たかが邪教堕ちだろうが?」
「ぬうぅぅ!」
歯噛みする呪術師。
見れば信者達にも動揺が広がりつつある。
無理もない。
眼前に〈神〉が降臨したとなれば、呪術師との格差は明白だ。
このままでは長い歳月に根回しした威厳が失墜する!
ならば、強攻に出るしかない!
例え相手が〈神〉であろうと!
「構わぬ〈蛇霊〉よ! その娘へと取り憑くがいい!」
「ィェッヘッヘッ……たかだか〈蛇霊〉如きが、オレ様に勝てるかよ」
姿無き貪欲が襲い迫る!
が、ゲデは然も労せずとばかりにステッキで叩き退けた!
すぐさま再特攻を仕掛ける蛇霊!
弾く!
またも来る!
「やっぱ〝蛇〟ってのは粘着質だねぇ? しつこくていけねぇや」
呪術師が呪印を結った!
夥しい数の〈蛇霊〉が呼び寄せられる!
「ィェッヘッヘッ……今度は数ってか?」
喜悦に大きく歪む口。
深く紫煙を吐くと、ステッキをクルクルと回し遊んだ。
紫煙?
いや、待て。
それにしては尋常な量ではない!
吐き出された気は黒い霞と化して、腰丈までを泥濘する!
そして、ゲデは分身した!
まるで残像たるかのように、六人の〈死神〉が滑り生まれる!
「「「「「「ィェッヘッヘッ……!」」」」」」
耳障りなダミ声がエコーに笑う!
「あらよ!」「ほいさ!」「どっこいせ!」
個々が独立して展開した!
彼方此方で、多数の〈死神〉が〝不可視の蛇霊〟を斥け続ける!
ある者は空中を足場と立回り、またある者は篝火を火竜と育て襲わせる!
信じ難い超常的攻防を目の当たりにして、然しもの邪教信者達も恐々と畏怖し、また高揚した興奮に酔った。
当然、アナンダも……だ。
「スゴい……いったい何? 何者なの?」
見入る悪夢に息を呑む。
と、指先が小さく咬まれた。
「っ痛!」
血を抜き取られた傷口だ。
その状況を視認し、ゲデが舌を鳴らす!
「チッ! しまった!」
矮小に変化した〈蛇霊〉を見逃してしまった!
そいつは狡猾に気配を殺すと、混戦を尻目にアナンダの下へと忍び寄っていたのだ!
傷口から潜り込む異質!
ドクン──と、鼓動が大きく濁った。
「ぃ……ぃゃ……」
例えようもない不安が呑み込んでくる。
何かが起きる──その予感が恐怖を呼んだ。
そう、おぞましくも得たいの知れない何かが!
「イヤァァァアアアアーーーーッ!」
悲鳴!
耳を塞ぎたくなるような絶叫!
恐怖!
内に暴れる力に踊らされ、アナンダの肢体は激しくのたうった!
「あがっ! あっ! あっ!」
変質していく肉体!
硬質化していく皮脂は緑色の鱗と覆い、両脚は分割を無くして一本に融合していく!
牙と伸び生える犬歯!
悲劇の涙を零す眼は、爛々と獲物を求める蛇眼へと染まる!
単一化した脚は巨大な蛇尾とうねり、膨れる体躯に拘束する縄は千切られた!
「ったく……生きながらにして〈蛇霊〉なんかを宿すからよォ」
変貌を見届けたゲデは、これ以上の介入が無駄だと悟り霧散に消えた。
一応〈ゾンビ〉化の魔手からは護ってやった。
予想外の展開に〈怪物〉となったが、それは預かり知らぬ事だ。
邪魔だった力の消失に、蛇達は一丸となって飛び込んだ!
「あああぁぁぁァァァアアア!」
みなぎる魂!
暴れ狂う衝動!
斯くして、アナンダは新生した!
忌避すべき〈蛇女〉へと!
最初に殺したのは、その場に居た邪教徒達であった。
あの呪術師を皮切りに皆殺しだ。
続けて、父を殺した。
本能だったのか憎悪だったのか……それは覚えていない。
ただ、喉を熱さが濾す度に、感情の死んだ目からは熱さが零れた。
哀しみだったのかもしれない。
もう忘れた。
忌まわしき地を離れて、摩天楼の闇を彷徨う。
やがて風の噂で、想い人が結婚したと聞いた。
張り裂けそうな胸の痛みに本能を狂わせた。
だから、喰らった。
幾多もの血肉を……。
彼の家へと向かった。
二人の愛の結晶を丸呑みにしてやろうかと思った。
出来なかった……。
幸福な家庭は眩しい結界であった。
彼の幸せが、憎く……悔しく……嬉しかった…………。
だから、闇に生きると決めた。
そして〈魔〉と堕ちた。
いつだったか──。
例の死神は再会に告げた。
「もうじき、この世界は終わる。そうすりゃ〈怪物〉による天下だ。少しは生き易くなるだろうぜ」と。
……嘘つき。
そんな世界は訪れなかった。
時代が変わっても、私には〝生き地獄〟だ。
走馬灯が尽きながらも、アナンダはひたすらに泣き濡れた。
いまや脳裏を占めるのは、祈りのみ……。
非情なる末路に組伏せられた愁訴のみ……。
「普通に……普通に生きたかった……普通に恋をして……普通に笑って……普通に子を生んで……普通に……普通に…………」
ひたすらに免罪符を求めた……。
一途に〈神〉へと縋った……。
せめて死せる世界では、普通の幸福に肖りたいと……。
ただ、ひたすらに…………。
覚悟した瞬間が訪れない。
時間は、どれぐらい経ったのであろうか?
数時間か?
或いは、数秒か?
いずれにしても、過ぎる闇は一向に覚悟した熱さを眉間に刻まなかった。
その違和感に誘われるまま、恐る恐る瞼を開く。
夜神冴子の姿は、そこに無かった。
吹き抜ける夜風に、呆然と立ち尽くす。
テーブルへとアイスピックで突き刺されたメモ──それに気付くのは、数秒後であった。
『屍肉でも喰ってろ!』
虚しい勲章を心に刻み、冴子は狩場を後にした。
樹々の囃し立てが、安い冷やかしに聞こえて腹立たしい。
ふと虫の予感に目線を上げた。
進む先に立つ人影──ラリィガとかいうインディアン娘だ。
まるで冴子が通り掛かるのを察知していたかのように、毅然とした面持ちで待ち構えている。
「何か言いたそうね?」
わざと、おどけに砕ける冴子。
「……どういうつもりだ?」
ラリィガの暗い声音は、微かな非難を含んでいた。
百も承知だ。
どうでもいい。
「利用できるものは利用する──だから、利用した。それだけよ」憎まれ口に、横を素通りする。「恨むなら、自分の浅はかさを恨むのね? 私なんかを軽率に信用した自分自身を……」
「……そうじゃない」
擦れ違い様の訊い掛けが、二人の距離を止めた。
「何でトドメを射さなかった?」
背中越しに交わす想い。
「好みじゃないのよ……蛇は」
「また〝人間〟を襲うかもしれないぜ? 何たって〝糧〟だ」
「そん時は殺す」
そして、夜神冴子は足を運び始める。
別に情けを掛けたつもりは無い。
撃ち殺しても問題無かった。
ただ──涙──それだけの理由だ。
ポツリポツリと雨が降る。
不器用な背中を見送りつつ、ラリィガは憂うかのように呟いた。
「自然から遠ざかれば心は固くなる……か」
ラクタ族の言葉であった。