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輪廻の呪后:~第三幕~呪后再生 Chapter.5

 しゃべらぬ子供であった。
 いなあるいはしゃべるという事自体を放棄したのであろうか。
 それは閉ざした心の自己主張にも思える。
 さりとも、ネフェルティティは愛情をそそいできた。
 例え〈忌児いみご〉であろうとも。
 例え〈禁忌〉であろうとも。
 そして、例え〈魔性〉であろうとも……。
 それが母親のごうであればこそ……。

 父王・アクエンアテンは新生児を〈忌児いみご〉と忌避し、出産直後にして殺してしまう腹積もりであった。
 理由は神託に依るものである。
 懐刀と従え続けた仮面呪術師は忠告した。
「絶対なるアテン神は告げました──の者は災厄……の者は混沌……そして、の者は永劫の闇を従えた覇者である──と」
「理由は?」
呪力じゅりょく
「宿していると言うか? 生まれながらにして?」
「はい。それも尋常なレベルではございません。やがては天地を裂き、大きな戦禍を顕現させましょう」
「混沌の種と申すか? が第一子なるぞ!」
「畏れながら……」
「ふむ……」
「それに、貴方あなた様の王位も危うい」
「む……ぅ」
「御決断されるべきかと……」
ひとつ・・・く」
「何なりと」
それ・・は確かに『アテン神の御告げ』なのだな?」
「…………如何いかにも」
 盲信対象の神託と聞けばこそアクエンアテンは処刑の決意も躊躇ちゅうちょしなかった。
 いな、実際にはどうでもいい。
 建前さえ確立できれば……。
 世が未曾有の混沌へと陥る事を危惧したのもあるが、それ以上にみずからの威光がおびやかされる事を恐れた。

 さりながら〈生命いのち〉は殺されずに済んだ。
 母妃・ネフェルティティの必死な懇願こんがんひとけらの情に酌まれたからである。
 くして、とりあえず世に生まれ落ちる事のみ・・・・・・・・・・・を許された。
 だがしかし、代償として過酷な強制条件は課せられる。
 それは『世に真名レンを知ら示さない』という事。
 くちにさえ出してはならぬ。
 知られてはならぬ。
 母が呼ぶ時には「あの子・・・」とされ、そして父は、こう呼んだ……「アレ・・」と。
 決して知られてはならぬ。
 おおやけに知られてはならぬ。
 すれば〈死者の国〉へは逝けない。
 再生も叶わない。
 現世のみの抹消だ。

 もうひとつの絶対条件は〈封呪〉である。
 全身を巻き包んだ経帷子パピルスは、エジプト神総出で神力しんりょくを注ぎ込んだ封印布。
 超絶無比な代物シロモノだ。
 生まれながらに宿した〈呪力じゅりょく〉を──いや、もはや〈呪われしちから〉とでも形容した方が相応ふさわしい異能を──内に封じ込めるために作られた。

 元来〈アテン神〉のみを崇拝対象とした一神教いっしんきょうへと国宗を改めたアクエンアテンであったが、この点に於いては旧来の多神教へと折れた。
 とりわけ〈冥界神オシリス〉の力は不可欠……。
 巌としたポリシーを曲げてすがる有様は御都合主義の軟弱さにも映るが、実際のところ、そうまでして・・・・・・封じたい危惧対象であったという事実に他ならない。
 だからこそ、放棄失念もしてはいない──抹殺を!
 いましばらくは様子見・・・に折れただけだ。
 世間の目が……そして、母親の愛情が、弛緩の油断に萎えるまで……。

 数年後──。

 忌避児が物心を帯びてきた、とある夜半──。

 皆が寝静まった頃合いを見計らって殺意が行動を起こした。
 月光の白に疾走する黒装束の者達。
 アクエンアテンの息が掛かった暗躍集団〈黒き栄光アスワドマグド〉。
 後世には〈狂信集団〉と推移劣化する組織であるが、そもそもの原点は異なる。
 設立本分は〈アクエンアテン専属の暗殺秘密部隊〉であった。
 この隠し牙が在ればこそ、アクエンアテンの強行政策は短期間にて盤石と漕ぎ出せたのだ。
 政敵は殺す。
 そして、今宵の使命は、ただひとつ……。


 母・ネフェルティティの穏やかな母性にたゆとい、幼女は寝かしつけられた。
 その安らかな寝顔を慈しむに、母性はやるせない想いを噛む。
(どうして、この子・・・が……)
 毎夜去来する残酷さであった。
 やがて夫から夜伽をせがまれていた事を思い出し、ネフェルティティは寝室を後にする。
 せめて夢の中では幸福に在りなさい……その想いを額に口付けて。
 青の静寂──。
 ややあって、入れ代わりに不穏の影が姿を浮かび上がらせた。
 さながらカメレオンや忍者のごとく石壁や天井はりに同化潜伏していたらしい。
 いつからかは判らない。
 如何いかにしてかも判らない──あるいは〈呪術〉のたぐいやも知れぬが。
 首尾上々とばかりに寝室へと潜入した暗躍の徒党は、遂行の確信を共有にうなずき合う。
 窓からは夜風が月明りを誘い込み、スラリと抜き出した小刀が冷たい非情と反射した。
 数歩先にはヴェールの柔かさに囲われた寝台が安らかな気配を息している。
 おのが身に忍び寄る毒牙など察するよしも無い。
 したり。
 潜入さえこなせばやすい仕事だ。

 そして、惨殺はされた。


 翌朝、宮廷は未曾有の混乱に染め上げられた。
 血相を変えた宰相が連絡網の確立に声を荒げ、雑多な急務を強いられた侍女達が右往左往に奔走する。
 そして、寝室の惨状を目の当たりとしたネフェルティティは、絶望の重石おもしに膝折れるしかなかった。
 壁や床には鮮血の押し花が大輪を咲かせ、無垢に在った寝台はベールに及ぶまで赤にけがされていた。
 驚愕のまなこは拒絶したい現実を無慈悲に拾い上げ、やるせない自責を増長させる。
「嗚呼……私が離れなければ……私がいれば・・・・・この惨劇は無かった・・・・・・・・・!」
 猟奇的肉塊にくかいが散乱する中で、忌児いみごは窓から注ぎ込む陽射しを仰ぎ眺めていた。
 返り血など些末さまつとばかりに……。
 一方、茫然自失とする妻のかたわらにて、アクエンアテンは改めてさとるのだ。
(やはり神託通り・・・・……この子供は・・・・・存在してはならぬ災厄・・・・・・・・・・! そして、如何いかなる画策も無意味! この忌避児こどもは……殺せぬ・・・!)
 苦渋咬む険しさは、はたして如何いかなる感情であろうか。
「さっさとの死体を片付けろ!」
 証拠隠蔽を怒声に乗せ、返すきびすは現場を後にした。


 暗殺が叶わないと覚ったアクエンアテンは、最低限の保身として代替策を実行した。
 幽閉である。
 霊的聖地〈死者の谷〉へと宮廷を造らせた。
 それ・・専用に……。
 実態は〈結界〉だ。
 霊力れいりょく力場りきばなればこそ、神力しんりょくもまた強大に発現する。
 死者の埋葬と再生祈願を兼ね備えた墓標乱立地は、殊更〈冥界神オシリス〉の御膝元とも呼べた。
 ここにいてもみずからの国宗理念『アテン一神教いっしんきょう』をねじげる形となったがむを得ぬ。
 それは後だ。
 災厄・・を封印してからだ。
 さりながら、遺棄に餓死させるワケにもいかない。
 情ではない。
 恐れ・・だ。
 極力きょくりょく、遺恨の種は買いたくない。
 なので、最低限の自立がせるまでは、母・ネフェルティティの世話通いも容認した。
 れど物事の分別がつく年齢になると、次第に距離を開かせる流れをいた。
 自然体で捨てさせた・・・・・



 くして月日は流れる──。
 虚しくも孤独な月日が────。
 忌まれし子供も成長した。
 相変わらず封呪布パピルスは全身を包み隠すが、しなやかな肢体は年齢相応のなまめかしさを色香に演出する。
 虚無を夜風に乗せんと中庭へおもむくと、今宵も星空に幻月の姿を仰いだ。
 黄色い単眼を据えた黒い月を……。
 いきどおる憎悪をみずからが生まれ落ちた使命へと摩り替える最中、かたわらの茂みがガサゴソとうごめいた。
 風のたわむれではない。
 明らかに何者かが潜んでいた。
 初めての事だ。
 この宮廷に、自分以外に〝動〟を示す物など在りはしなかった。
 警戒視を注ぐも、取り立てて狼狽うろたえる事など無い。
 如何いかなる害悪であっても排斥できるだけの呪力ちからは備わっている。
 かざす右掌。
 ほのかにともる。
 が、その正体が明らかになると敵意の輝きは不必要と鎮まった。
 葉屑まみれに這い出て来たのは、邪気無き幼女であった。
 緑の潜水から解放されると、閉塞感に止めていた息を「ぷはぁ」と大きく吐く。
 状況確認とばかりに辺りを探れば、真っ先に目の前にいる異質に気付いた。
「あれれ?」
「…………」
 目と目が合う。
 愛らしい好奇心と、醒めた眼差まなざし。

 ──コイツは……ああ、そうか……知っている。

 ──本殿での情報は遠隔に感知・・している。

 ──確か〝アンケセンパーテン〟とかいうヤツだ。

 ──つまりは、私の〈妹〉という事か。

 ──だから・・・何だ・・

 ──所詮は〈血のえにし〉でしかない他人・・だ。

 ──興味は無い。

「あなた、だあれ?」
「…………」
「ここ、どこ?」
「……………………」

 ──何を言っているのだ? コイツは?

 ──みずから侵入しておいて、何を言っている?

 ──夢遊病か?

 ──……まぁ、いい。

 スゥと腕を上げると、細指は通用口つうようぐちを示した。
 現在いまとなっては、使う者もいなくなって久しい。

 ──ね。

 ──今度こたびは見逃してやる。

 ──血のえにしだ。

 ──次は無い。

 きびすを返して宮廷内へと戻る。
 まだ夜風に慰められたくもあったが、思いがけず興は削がれた。
 幼児こどもを歯牙に掛ける気概にはない……まだ・・

 ついて来た。
 幼い珍入者は、そのままついて来た。
 わざわざ出口でぐちし示したというに……。
 別段、歓待する義理も愛想に迎える器量も無いので無視する。
 暗い石廊をヒタヒタと舐める裸の足音。
 黙々と進む冷めた眼差まなざし。
 そして、トテテテテと付き纏う小煩こうるい無邪気。
「ここ、あなたのおうち・・・?」
 腰から覗き込む好奇心。
 一瞥いちべつの無視。
 歩幅に引き離す。
 トテテテと追いつく。
「ほかのひとはいないの?」
 無視する。
 少しばかり歩幅を開いた。
 追いつく。
「ひとりなの?」
 開く。
 追いつく。
「さびしくないの?」
 無視する。
 と、幼女は「明暗浮かんだり」とばかりに晴れやかな笑顔で宣誓した。
「じゃあ、わたしが〝おともだち〟になってあげる! それなら、さびしくないもの!」

 ──……らぬ。

 ──というか、コイツどこまでついて来る気だ?

 ──まさか私の寝室まで来るつもりではあるまいな?

 心を読もうにも意外な難敵であった。
 取り留めの無い思考が雑多に交錯している。
 しかも、全て本音・・だ。
 加えて言えば、後ろめたさ・・・・・も無い。
 取捨選択は不可能である。
 彼女にしてみれば、初めての遭遇。
 だから・・・知らない──子供・・とは、そういうもの・・・・・・だとは。
「おとうさんとおかあさんは?」
 ピクリと止まる。
 何故か・・・は判らない。
 判らないが……腹立たしい憤怒が鎌首をもたげていた。
 当の幼女はキョトンとした顔で見つめるだけ──自覚などあるはずもなし!
 逆鱗に触れたという禁忌タブーに!
 冷めた一瞥いちべつ一転いってんに嫌悪と染まる!

 ──消え去りたいか……小娘!

 ゆらりとかざされた左掌が、幼女の額を標的と魔光を溜め始めた!
 幼き瞳は、まだが起こっているかも把握していない。
 相変わらず無垢な好奇心を視線に注いで来るだけ……。
 が──「すごーい! なにこれ?」──次の瞬間には自分から掴み覗いていた!
 みずからへと向けられた魔掌に!

 ──クッ? 馬鹿かキサマは! 放せ! 危ない!

 狼狽うろたえていた。
 先刻までの殺気は何処へやらで狼狽うろたえていた。
 完全に予想外イレギュラーだ。

「ねえねえ? じゅじゅつ? コレ、じゅじゅつ?」

 ──放せ! 馬鹿者! 暴発してしまうだろうが!

 貪欲な好奇心は鎮まらない。
 そして、学んだ──子供・・とは、そういうもの・・・・・・だと。
 かろうじて引き離した牙は、遥か天空に遠吠えを放つのであった……。


 飯は食わせてやった。
 寝床も譲ってやった。
 散々かしましく騒いでいたかと思えば、どうやら眠気が差してきたらしい。
 だから、寝かしつけた。

 ──不可解な生き物だ。

 話し相手を努める気も無いので無視に徹していたが、幼女は御構いなしにひとりで話し、納得し、勝手に『会話』を成立・・させていた。

 ──警戒心も何も無いのか。

 ──このを前に……。

 たしなんでいたカルカデを卓上へ置くと、スッと寝台へ足を運んだ。
 寝息を奏でる未成熟を冷ややかに見下す。

 ──脆い。

 ──脆弱過ぎる。

 ──絶つに容易い。

 コイツが死ねば、さぞやアクエンアテンは絶望するであろう。
 想像しただけで溜飲が下がる。
 その顛末をほくそ笑めばこそ、悪意は手を伸ばした。
 だが……。
「おともだち……むにゃむにゃ……」
 無垢なる結界呪文が制する。

 ──大方、ファラオ共々、この辺りへと遠征にでも来たのであろうな。

 ──そして、勝手にはぐれた・・・・

 ──好奇心が強過ぎだ……オマエ・・・は。

 そして、寝顔を撫でていた。
 きっと今頃、王族は上へ下への大騒ぎだ。
 それだけでも愉快としようか。

 ──興の褒美だ……見逃してやろう。

 ──明朝には届けてやる。

 ──転移呪術をもってすれば造作も無い。

 撫でるたびとげは鎮まった。
 愛でるたびに清水が潤った。

 ──……二度にどと来るでないぞ?

 ──オマエ・・・来てはならぬ・・・・・・

 ──汚れ果てたが前には……。

 頬を優しくさすり、静かに寝室を去る。
 中庭──仰ぐ星空に虚無感を投げれば、久しく月は白かった。


 どういうワケか、幼女は頻繁に訪れるようになった。
 おそらく独自の往来道ルートを見つけたようだが、それでも単身〈死者の谷〉へ来るなど、どうかしている。
 それも〈王族・・〉が……。
 それも幼女こどもが……。
 いったい王室は何をしているのか?
 ……なるほど。
 千里眼と他心通をもって探り見れば、王宮内では右往左往の狼狽ろうばいが賑わう。
 無言の戒めをたしなめたが効果は無い。
 ジャジャ馬にもほどがある。
 仕方なしとばかりに護符アミュレットを授けてやった。
 自身の呪力じゅりょくを込めた代物シロモノだ。
 その強大禍々まがまがしい呪力ちからならば、下級のわざわいを退けるに造作も無い。
 毒をもって毒を制す……というヤツだ。
 何よりも、そうした異変・・は同期的に自分にも感知できるように造ってある。
 いざとなれば、みずからが制裁してもい。
 遠隔処置ながらも容易い。
 ともあれアンケセンパーテンは、来れば勝手に一人ひとりで語り倒していった。
 放っておく。
 カルカデをたしなみつつ投げていた。
 それでも御構いなしに喋り続ける……感情豊かに。
 興奮したと思えば自問自答に納得し、そうかと思えばシュンとしおれて自戒や自己弁護……そして、屈託無く笑う。
 飽きない。
 内容に一貫性いっかんせいなど無いし、ともすればどうでもいい・・・・・・が、ともかく観察をそそぐに飽きない・・・・
 かしましさが静まった辺りで関心を戻せば、高揚失せた眠気にジッとコチラを見つめるまなこ──そのまま手を引き、ベッドに寝かしつける。
 寝息を確認したところで〈転移呪術〉で在るべき寝床・・・・・・へと送り届けた。
 こうした流れが常態ルーティン化していた。
 帰せば寂しくもあったが、それも一夜いちやだ。
 どうせ明日には来る。
 ……寂しい・・・
 何故?

 やがて、時は流れ、彼女──アンケセンパーテン──も成人した。
 孤立の監獄にて風の噂ですら無いが、会いに来なくなった事実が物語っている。
 かといって恨みなど無い。
 もともと独り・・だ。
 だが……この心境に吹く荒涼は何であろうか?
 知らない……。



私の作品・キャラクター・世界観を気に入って下さった読者様で、もしも創作活動支援をして頂ける方がいらしたらサポートをして下さると大変助かります。 サポートは有り難く創作活動資金として役立たせて頂こうと考えております。 恐縮ですが宜しければ御願い致します。