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松下幸之助と『経営の技法』#89

5/14の金言
 コツを体得してこそ、一人前になれる。そう思えば、そのための苦労は希望に変わる。

5/14の概要
 松下幸之助氏は、以下のように話しています。
 拭き掃除一つにしても、雑巾の絞り方が非常に問題で、それによっていい掃除ができるかどうかが決まる。もっと複雑な仕事になれば、雑巾の水の絞り方以上に難しいコツがある。科学的な学理や理論を本当に生かすためには、それを基盤としたコツを体得しなければならない。
 そのコツを体得することは、決して楽なわざではない。相当精魂を込めなければならず、一つの苦労である。しかし、苦労であっても、それをやらねば一人前になれないことを聞かされていると、それは苦痛でなく希望に変わる。だから、そのコツを体得することに対して精魂を傾けることができてくる。

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 松下幸之助氏の言葉は、従業員にコツやノウハウを体得してもらわなければならない会社が前提となっています。製造業だけにとどまらず、接客業などでもノウハウがあります。さらに、自らはこれらの事業を行わない、プラットホームのような事業であっても、そこには別のノウハウがあるはずですので、その運営のノウハウなどをしっかり体得してもらう必要があります。
 すなわち、従業員がノウハウを体得しなくてもいい事業は、基本的に考えられないと考えられます。
 では、このようなノウハウは、どのような場面で必要となるのでしょうか。
 大きく分けると2つです。
 1つ目は、事業継続のためです。先人が築いてきたノウハウを承継するために、そのノウハウを体得すべきことは、事業継続の観点からすれば当然のことでしょう。
 2つ目は、新規事業のためです。新たな事業を始める場合、その事業を一から全てを作り上げる場合もありますが、既存の事業を組み合わせたり、修正したりして作り上げること(全部でなく一部かもしれません)が多くあるはずです。そこでは、基礎となるべき既存事業のノウハウが、新規事業立ち上げにとって重要となりますから、自社にそれがなければ、他社でそのようなノウハウを身に着けてきた者を中途採用したり、さらには他社の当該事業を丸ごと購入したりするのです。
 他方、新規事業の場合、新たに作り出す部分についてのノウハウは、一から作り上げていくことになります。ここでノウハウを身に着けることは、事業を立ち上げることそのもの(事業を開始し、その事業の運営が安定するまでに生ずる様々な問題を解決することまでを含みます)です。ところで、新規事業は、必ずと言っていいほど、当初は想定外のトラブルが発生するものであって、事業開始当初のトラブルを一つ一つ丁寧に解決していくことが、新規事業を安定させていきます。
 そこで、この新規事業の場面で松下幸之助氏の言葉を考えれば、「科学的な学理や理論」を「本当に生かす」ために、事業開始当初のトラブルを一つ一つ丁寧に解決していく中で蓄積されるべきノウハウが、新規事業を安定させ、継続させるうえで重要である、したがって新規事業の場合も、努力を怠らずノウハウを蓄積してほしい、というメッセージに解釈されます。
 次に、ノウハウを従業員が獲得するための、会社側の取組みの問題があります。
 技術的には、人事制度上の目標設定や人事考課のほか、人事異動、指揮命令、社風作りなど、様々なことを通して、ノウハウ獲得を義務付け、奨励することが考えられますが、根本的な部分で確認しておくべき問題があります。
 それは、従業員のキャリアパスです。
 ノウハウは、それが特定の業務や技術の専門的なノウハウの場合には、それを身に着けた従業員は専門家としてのキャリアに進みやすくなるでしょう。他方、それが経営に近いレベルでのノウハウの場合には、それを身に着けた従業員は経営者や「ジェネラリスト」としてのキャリアに進みやすくなるでしょう。
 この、ノウハウの多様性も考慮に入れ、どのようなノウハウを身に着ければ、自分にとって好ましいキャリアが描けるのかを従業員に理解させることが、従業員のモチベーションに繋がります。ノウハウ獲得のために努力するための「飴」の役割を果たすのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者の素養に関する問題提起として検討してみましょう。つまり、経営者には、現場のノウハウの内容やその重要性を正しく理解し、それを従業員が獲得して承継させることまで目を配った経営ができることが、その資質の1つとして求められる、と指摘できます。
 これは、経営者が起業家であり、自らノウハウを開発したのであれば、ノウハウの重要性やその承継のための諸施策も自ら当然に行いますから、問題になりにくいでしょう。
 しかし、その事業に詳しくない経営者を外部から連れてくる場合に、例えば大幅なコストカットを行うことで、低迷している業績をV字回復させる、と豪語する経営者の中に、このようなノウハウを軽視し、事業の競争力を失わせてしまっている例が、少なからず見受けられます。人件費や原材料費など、コストカットは、たとえ売上高が下がったとしても、コストが減ることによって経常利益などを大幅に上げることができますので、その成果を数字で「自慢」しやすいのです。
 けれども、この方法は肝心の競争力まで失わせます(いざというときに競争するための筋力や運動能力を失わせます)ので、短期的に業績が回復しても、一定レベル以上の成長ができず、中長期的にはかえって業績が低迷してしまいます。本当に必要なのは、単純なコストカットではなく、適切な「選択と集中」であり、集中した事業の競争力を高める政策も同時に含まれなければならないはずなのです。
 このような事例とその分析から分かるように、特に事業再生のために社外から経営者を招致する場合には、適切な「選択と集中」による競争力の強化も同時に行える能力が必要であり、その能力を見極める一つのポイントとして、現場のノウハウの重要性や承継方法に関する理解を確認する方法が考えられるのです。

3.おわりに
 従業員個人の問題として見た場合、最近は転職を重ねながらスキルアップしていく人が増えています。そのような観点から見た場合、難しい「コツ」を身につけるまで「苦労」する、という松下氏の言葉は、実態に合わない言葉のようにも見えます。
 けれども、私自身も転職を重ね、様々な会社で同様な転職者を多く見てきましたが、転職を重ねるキャリアの過程のどこかで、腰を落ち着けて特定の業務に取り組み、専門性を身に着けている人の方が、特に秀でたところもないまま転職を重ねる人よりも、転職に成功している可能性が高いように見受けられます。
 歯を食いしばって頑張る、そして何か専門性を身に着ける、ということは、自分自身の将来への投資でもあるのです。
 どう思いますか?

※ 「法と経営学」の観点から、松下幸之助を読み解いてみます。
 テキストは、「運命を生かす」(PHP研究所)。日めくりカレンダーのように、一日一言紹介されています。その一言ずつを、該当する日付ごとに、読み解いていきます。


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