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神在月のアドベントカレンダー【掌編小説】

「美味しいからといって、未来のチョコレートまで食べないようお気をつけください。未来がなくなってしまいますから」と店主は、意味深な言葉とは裏腹に、温かな笑顔で見送ってくれた。

久しぶりの一人旅。パワースポットといわれる神社をお詣りする道すがら、立ち寄った露店で掛けられた言葉だ。
わたしはくすりと笑って、さほど気にも止めず、お礼を言って店をあとにした。

その露店で購入したのは、参道に並ぶ商品としては似つかわしくない、クリスマスまでの期間をカウントダウンするアドベントカレンダーである。
アドベントカレンダーはレトロな絵柄と配色で、三角屋根に煉瓦の煙突、観音開きの扉に日付が書かれている、よく見かけるタイプのものだった。扉の中にはチョコレートが一粒ずつ入っているとの説明だった。

なぜここでクリスマスグッズが売られているのか、それはもちろん気になったのだが、カレンダーの最終日が1月1日であることも、わたしに興味を抱かせた。
理由を尋ねると、来年の運勢を占うおみくじ付きということで、「ここは神社だから、それもそうか」とあっさり納得。とにかく店主が、何を言っても信じたくなるような神々しさの持ち主なのである。
その店主が口にする言葉の端々から、わたしは妄想が膨らみ、「アドベントカレンダーの販売も、宗教の違いはあっても今は神在月かみありづきだし、もしかして招待されてたりして?」と勝手に合点がいき、これください、となったわけである。



でもまさか、帰り際に言われた「未来云々」という言葉が、こんな形で自分の身に降りかかるなんて、この時は想像だにしなかった。



12月を目前にして、仕事は繁忙期を迎え、わたしは追われるような日々を過ごしていた。だから尚のこと、チョコレート好きであるわたしにとってアドベントカレンダーの開封は特別で、待ち遠しかったのである。

そしてついに、11月30日の23時59分。
アドベントカレンダーを前に、わたしはメトロノームのような正確さで、カウントダウンを始めた。
24時00分。
わたしは両手の親指と人さし指で、そっと扉を開ける。
そこには美しい小箱が入っていた。ふたにはイルミネーションのような星空、下箱にはアドベントカレンダーを模した家とクリスマスツリーの街路樹が色彩豊かに描かれていた。
ふたを開けると、中には薄茶色と金色のラインが斜めに2本ずつ、美しくデコレーションされたトリュフチョコレートが入っていた。
口の中へと運ぶ。
カカオの濃厚さとキャラメルのような懐かしい味が絡み合って舌に広がり、一瞬にして、脳からしあわせを感じるホルモンが分泌されたと実感した。

翌日はフランボワーズがフィリングされたダークチョコ。その次の日はクラッシュナッツがコーティングされたザクザク食感の香ばしいチョコレート。
箱の絵柄も少しずつ異なり、並べると一つの街並みになっていた。
チョコレートの美味しさと遊び心のある小箱に、全部開けてしまいたいという衝動が起きなかったわけではない。でも、これをモチベーションにして繁忙期を乗り切ろうと思った。

店主もそんな感じのことを言っていた。「一日として同じ日がないように、一つとして同じ味のチョコレートは入っていません。人生のようにね。だから、一つ一つ大事に食べてください」と。

しかし、わたしはやってしまったのだ。
12月の2週目の火曜日。帰宅が午前0時をまわっていた。
仕事のトラブルによる残業だった。しかも、原因はわたしのミスである。
半透明になるくらいすり減って帰宅したわたしは、アドベントカレンダーの前に座り、まだ食べていない昨日の分と、今日の分の2箱を取り出した。
仕事はまだリカバリーできていない。取引先に迷惑をかけたままだ。
口に入れたチョコレートはほろ苦くて、こんなときでも美味しいと感じる。
涙があふれてきた。
手が止まらなかった。
次の日の扉も、その次の扉にも手を掛けた。
ヘーゼルナッツ、マロン、オレンジ、ミルクティ、ハート型のルビーチョコレート……。

はっとする。
明るいピンクのハート型が視覚に刺激を与えたのか、はたと我に返る。
目の前に7つの箱があり、5個も余計に食べたと気づく。
店主の言葉が脳裏をよぎった。けれど、わたしは疲れていて、体が欲するまま眠りについたのである。


ところが、翌朝出社すると朝の挨拶もそこそこに、「出張お疲れさま」「5日間も大変だったね」とみんなに労いの声を掛けられたのだ。

へ?

はあ?

出張?

5日間?

上司からも「君たちが取引先に出向いて対応してくれたおかげで大事に至らずに済みました。ありがとう。お疲れさまでした」と声を掛けられるが、何のことかさっぱりわからない。
視界に(いつも視界に入るようロックオンしているのだけれど)、頭をぺこりと下げて爽やかな笑みを浮かべる先輩の姿があった。

えーっ!

もしかして?

しゅ、しゅっちょー、いっしょ?

い、い、いつかかん!

うわっ、わわわわ、ど、どういうこと?

パニックに陥っても顔に出ないタイプなのだが、今は頭の中で乱気流が巻き起こっていて、体ごと持っていかれそうだった。
まずい。
「コ、コーヒーを」と言って、その場から立ち去るのが精一杯だった。

まとめると、わたしは取引先の島根まで4泊5日の出張に先輩と行き、仕事のトラブルを無事解決したが、わたしにはその間の記憶がない。
気休めに頭を振ってみたが、シナプスがそれとつながる気配は微塵もなく、そもそも痕跡すら見当たらなかった。

問題は先輩と一緒だったことだ。
先輩、わたし大丈夫でしたかね。
飲み過ぎたりして、うっかり告白とかしてないですよね。
でも、わたしならやりかねない。
どうしよう。
もしかして、まさか、チョコレートを食べ過ぎたせい?
個数と日数が合ってるし……。
わたし、本当に未来を食べちゃった?

その日は無心で仕事をこなし、早々に家路についた。
何度も記憶を順番に辿ってみるが、覚えていないものはどうすることもできない。
でもなんとなく、音残おとのこりというか、余韻のようなものはあった。おそらく、わたしと先輩は付き合うことになったのだと思う。
その後、2人で食事に行く機会があり、それは確信に変わった。

出張中の記憶がないことについては、先輩に話してはいない。でも、先輩のことも仕事もうまくいったことだし、これはきっと万事OKというやつですよね、と西の方に向かって二礼四拍手をし、深くおじぎをする。



そして今、年越しを彼と一緒に過ごしている。
わたしは彼のシャツの胸元をぐいっとつかみ、唇を引き寄せた。0.5秒ほどのキスをして彼を見つめる。唇を「す、き」という形に動かす。
彼は照れくさそうに笑ったが、ピントの合わない距離へと移動してきた。彼から少し長めの、お返し。
さっき食べたチョコレートの味がした。
とろけそう。

カウントダウンが始まった。

わたしたちはアドベントカレンダーの前に背筋を伸ばして座り、その時を待った。

……3、2、1。

2人で未来の扉を開けた。










©️2024 ume15
お読みくださりありがとうございます。
良いお年をお迎えくださいませ。

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