自分の身体を大切に〜カウンセリング編 はじめに
ちょうど1年ほど前の2023年6月半ばのこと。
息子が通信制高校に入学し、いろいろに慣れてきた頃、自分のためにカウンセリングをスタートした。同時並行で、漢方治療してくれる病院にも通った。身体の不調を改善しつつ、メンタル部分のケアもしていきたくて。
そうして、2024年1月にカウンセリングを卒業した。カウンセリングに通うことで、わたしは、自分軸をしっかり整えられたと感じる。それから、感情に振り回されることや、不安に押しつぶされそうになることが、格段に減った。
カウンセリングのことを書こう書こうと思いつつ、未だできていない。下書きの下書きのようなものは溜まっている。でも、なんだがしっくりとしない。それに、書こうと思うだけでも、とても気力が必要なのだ。なんて、自分に言い訳をしているうちに、日々が過ぎて、あれから半年近く経ってしまった。もう、書かなくてもいいかなとも思った。
けれど、最近もらった友達たちの言葉に背中を押されて、やっぱり書いておきたくなった。今がそのタイミングだって、言われてる気がする。それに、素直に乗っかろう。今なら、きっと書きたいように書けるのではないかな。
まずは、思い出すことから。身体ノートを取り出して読んでみる。そのときの気持ちを思い出そう。
去年は、とても不安定だった。まぁ、春はいつも不安定になりがちだ。そうして、身体に不調が出て、それにつられて精神的にも揺れやすい。新しいことが多いと、それに慣れるまでは、疲れやすくもなる。その上、このときは、過去のいろいろ思い出し、しんどくなっていたんだ。
わたしは、過去に恨みつらみがあった。特に、両親をはじめとする、大人たちに。自分も、もう大人なのに、変なの。けれど、もうそれをやめたかった。どうしてかというと、両親に対して、生活面でのサポートを始めるタイミングになってきていたから。
自分のために、心穏やかににサポートをしたい。それができないと、わたしはわたしを嫌いになりそうだった。大きな大きな責任感も感じていた。それで、自分を縛ってもいたなぁ。
そんなことをぼんやり思い出していたら、下書きにこんな文を見つけた。いい機会だから、このコも出してあげよう。
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『できるはず』
眠れない。
子どもの頃のことをいろいろと思い出して、眠れない。
押し殺していた気持ちが出てきているんだ。あれから、もう何十年も経っているのに。
息子が落ち着いたから、こうやって、出て来たのだろうか。思い出すと、まだ辛いし、怖いし、さみしいし、悲しくもなる。
楽しかったり、うれしかったこともたくさんあったはずなんだけど、どうしてなんだろう。出てこない。
仕方ないなぁ。付き合うしかないよなぁ。
ため息をつきながら、そう思う。
もう、そのときには戻らない。我慢する必要もなく、言い返すことも、できる。大丈夫なんだ。もう怖くない。
そして、何かを恨んだりもしていない。誰も悪くない。それもわかっている。
ただ、あのときの自分の気持ちを、否定せず、そうだね、と受け止めたらいいんだ。辛かったなぁ。怖かったなぁ。さみしかったよなぁ。悲しかったなぁ。よく、耐えたなぁ。
強くなりたかった。ひとりでも、泣かなくても、生きていけるような人になりたかった。泣くなって、きつく言われていたのもあるなぁ。強さを勘違いしていたみたい。
でも、強いって、いろいろだって、今はわかる。力でねじ伏せるんじゃなくて、しなやかで、静かで、決してあきらめない、そういう強さに、今は憧れる。
泣くのもいい。泣いても、また、立ち上がればいいじゃない。泣いて泣いて、また、仕切り直せばいいじゃない。泣いたら、ストレスが溶けて、流れ出ていくよ。感情を押し殺しちゃうのが、ダメだったんだ。
どうやら、溜まったものは、出さないといけないらしい。消化も吸収もされず、胸の奥の奥で、このときを待っていたのかもしれない。
ゆるゆると外へ。
無害な形で外へ。
感じるだけでも、出ていくはずだ。
感じ切ったら、新しいステージだ。
あのときをやり直そう。
今ならできる。
できるはず。
これを書いたら、ようやく、涙が出てきた。
あぁ、まだ眠れそうもない。
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↑の文は加筆修正なしで載せました。「恨みはない」と書いてますが、あのときはまだありましたね…
というわけで、カウンセリングの話、ゆっくりと書けるだけ、書いてみようと思います。よかったら、お付き合いください。よろしくお願いします。