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東海豪雨の夜


 2000年9月11日の夜。

 仕事を終えてうちに帰る途中だったわたしは、名古屋駅で途方に暮れていた。

 大雨で、電車が止まってしまったのだ。

 とりあえず、JR名古屋駅構内に向かう。雨に濡れないし、広いし、どこかには座れるかもしれない。情報も手に入りやすいはずだ。

 駅構内は人でごった返している。

 座れる場所を探しつつ、食べ物調達を考えるが、みな考えることは一緒。食べ物は軒並み売り切れ。ありがたいことに、飲み物を買うことはできた。

 構内の端に、事務の先輩の姿を見つける。思わず、駆け寄ってしまう。先輩とおしゃべりしながら、電車の再開を待つが、雨は止まない。先輩が買ったパンを分けてもらう。心細さが和らいだ。

 JRがその日1本だけ走ると情報が入る。わたしの自宅方面。その場に残るという先輩と別れ、わたしはJRの電車に乗り込んだ。

 たくさんの人が乗り込んだ電車。わたしはドア付近になんとか陣取ることができた。ドアから、外を見る。街灯に照らされて、雨が降る様子が見える。

 ふと、下を見ると、水が線路の間際まで迫っていた。血の気が引いた。電車、無事に目的地まで行けるのだろうか…

 電車はゆっくりゆっくりと走る。光に照らされて、キラキラと水面が揺れている。たくさんの車が水に埋まっている。こんなことになっているなんて…

 自宅近くの駅に着く。同じ電車にたまたま妹たち2人も乗っていたため、父が車で迎えに来てくれた。

 帰り道。道のあちらこちらが冠水していた。水が浅いところを探しながら、車は何度も水の中を走ることになり、冷や冷やとする。恐ろしい。

 自宅まで後20メートルのところで、ついに車が完全に止まってしまった。車内に水が入ってしまったのだろう。

 自宅付近が一番水が深かった。それは予想していたけれど、予想以上だった。父を運転席に残し、わたしと妹たちは車から降りた。

 ざぶんざぶんと水が揺れる。

 膝上までの水の中、3人で車を後ろから押す。よろけながらも、車をめいっぱい押す。まだ、雨も降っている。わたしたちは、びしょ濡れだ。

「せーの、よいしょー!せーの、よいしょー!」

 火事場の馬鹿力だろうか。なんとか自宅敷地内に車を入れることができた。自宅の周りは水で覆われているが、家の中は大丈夫だった。

 ぐったりと疲れていたが、その夜は恐ろしくて眠れなかった。もう祈るしかない。

 翌朝、うちの周りを見て、驚く。見渡す限りの泥水…自宅が水に浮いているようだ。

 近所の小川が決壊している。田んぼも道路も、畑も庭も、すべて泥水に覆われている。

 ニュースを見て、また驚くことになる…

 東海豪雨時、後5センチ水嵩があったら自宅は床下浸水していた。

 過去に何度も水害にあってきた土地に住んでいる。家を建てるときには必ず2尺(約60センチ)は嵩上げするようにという言い伝えがある。

 ご近所すべて、被害を受けた家は全くなかった。ご先祖さまに、助けられた日だった。




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