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自分のためにやっているだけよ


 8月30日の朝、いつものように、朝ドラ『虎に翼』をみた。

 わたしにとっては、心が揺さぶられる回だった。前半、のどかが自分の本当の気持ちを言う場面では、「言えてよかったねぇ」とすごくすごくうれしくなった。

 そして後半、主人公の寅子が、後輩の秋山と話す場面のこと。

 秋山は産休を取る前日に、泣きながら相談に訪れる。産後、裁判官に復帰する予定だが、「今仕事を辞めた方がいいのではないか。寅子や周りの期待通りに頑張る自信がない」と、本音を漏らす。産休後、秋山がちゃんと今の場所に戻って来られるよう、寅子は力を尽くしていた。

 そんな秋山に、寅子は「秋山自身がやりたいことを選択して進んでいけばいい。お母さんに専念してもいい。ただ、ここにあなたの居場所がちゃんとあって、その選択肢があるって、覚えておいてほしい」と、話す。それから、秋山の「どうしてここまで私のために?」の言葉に、寅子はこう返す。

 「あの時自分がしてほしかったことをしてるだけ。つまり自分のためにやっているだけよ。」

 寅子には、結婚して妊娠を機に仕事を辞め、また働こうと思った時には、元の仕事には戻れなかったという過去がある。

 この場面をみて、「わたしも、まさにこれだ!」と思った。

 わたしは寅子みたいに、昔の自分が体験したような経験をして困っている人が、どうしても気になってしまう。その人の言葉から、大きな想いが湧き上がってきて、なんとかしてあげたいと強く思う。それは、とても親しい間柄ではなくても、勝手に湧き出てきて、わたしを突き動かす。そこから、言葉が生まれてきて、詩やエッセイになったりもする。

 それは、わたしが優しい人だからではない。ただ、その人に昔の自分の姿を重ねてしまい、いてもたってもいられなくなるだけ。悩んでいるその人のためじゃなくて、昔の自分のために、何かしたくなるんだと思う。そうやって、その人からきっかけをもらって、その時に湧き出た想いをカタチにして出してあげると、わたしの何かが満たされる。どこかが癒されるような気もする。

 けれど、その人が困惑するかもしれないって、最近、気がついた。勝手にそんなことをして申し訳ないけれど、きっと、これからもそうしてしまう時があるだろう。思い当たる方、ごめんなさい。これから、してしまうだろう方にも、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

 そうやって考えてみると、今、子どもと関わるパートをしているのも、癒しを得たいためかもしれない。わたしは、小学校低学年のお子さんを放課後にお預かりする仕事をしている。

 わたしは、「子ども」らしく子ども時代を過ごしていない。小さい頃から、大人みたいに周りに気を遣い、わがままを言わず、まずは自分以外の人を優先してきたところがある。それに、文句はもう言わない。自宅で夫や子どもたちと過ごす時に限ってだと、すっかり「子ども」に戻っている時もあり、呆れられているかもしれないが、わたしは安心して「子ども」でいられる。

 こうやって、子ども時代を体験したい気持ちが、どうしてもまだある。だから、子どもに関わりたいのかもしれない。子どもたちと一緒だと、「子ども」気分になる時がある。子どもたちとUNOをやっている時などだ。大人の自分がちゃんといるのだけど、中で「小さなわたし」も、一緒に笑っているのを強く感じる。とっても、楽しい。ワクワクする。

 子どもたちが、素直に、怒ったり泣いたり、喧嘩したりする様子も、とても好ましく感じる。わたしの中の「小さなわたし」も、それをみてる。うれしそうにみてる。そうなんだ。幼い時は、こうやって、自分の気持ちを素直に出せるのがいい。ありがたいことに、まるで擬似体験をさせてもらっているようだ。

 パートで子どもたちと関わるようになって、そろそろ一年が経つ。時に、大変なことがあっても、ここで働きたいと思う。子どもたちからもらった、笑顔やいろんなエネルギーで、わたしはどんどん元気になっている。子どもたちにしてあげているつもりだけれど、実はもらっているばかりかもしれない。だから、もっと寄り添いたいし、力になりたい。自分でできることを増やしたいし、お返ししたい。

 そうして、強く願う。わたしみたいにならないでって。その子らしさを損なわずに、ゆっくりと大人になってほしい。「どんな自分でも自分」だと、自分を偽らずに育ってほしい。わたしみたいだった人は、昔を生きず、今を楽しんでほしい。

 自分らしさをただ受け入れて、あったかく抱きしめていけますように。
 わたしもあなたも、子どもたちも。





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