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紙の手帳に字を書き、紙の本を読むということ

人間、自分が生きた痕跡を残したいものなのね、と最近よく思う。手帳に仕事や家事の計画と記録を書き、思ったことや勉強したことを書く。ああ、自分はこれだけのことをしたんだ、とほっとする。中高生のときは、いかにたくさんの筆記用具を使い切るかが勉強量のバロメータだった時もあるように思う。

家をすっきりさせたい気持ちが強かった時は、すっきりした空間こそが自分の行動の痕跡そのものなのだから、わざわざ書かなくていいと思っていた。今でも半分はそう思っている。書く時間がもったいないというか、書いて紙が増えるのが無意味というか。それに、書いたって私はそれをずっと保管するつもりはない。何年か経ったら絶対に処分する。それなのにわざわざ紙に書くのって無駄じゃないかと思う。でも、書きためたい。

読書の記録を今さらながら、まとめ始めた。どれくらい本を読んできたのか知りたかった。やっぱりあんまり読んでいない。本を読むための集中力がない期間が少なからずあったのは大きい。本を読むスピードが回復したのは、ここ数年だと思う。これからでもいいから読みたかったものを読もうと思う。もう遅いかな、と寂しいことを思ってしまったけど、いうほど年老いてもいない。何人かを思いがけず見送ったり、身近な人の老いの姿に直面するにつけ、今後どう生きるかを改めて考え始めたのだと思う。

人生で長い間心身の不調を抱えたことを、残念に思うし、あの不調がなければ、今頃もっと社会で活躍できていただろうにな、と思う。でも、不調を抱えたからこそ、自分と向き合えたし、したいことや、数年前までの自分がまったく思い描いたこともなかった「これからのこと」を慈しむことができるようになったのだと思う。

デジタルツールも使うけれど、目の前の本やノートに触れる楽しみをこれまで以上に味わいたいと思う。

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