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獣の刻印とは、神を信じず人間の知恵を拝む行為。だから多くが狭い門を見つけられない

獣の刻印、人間の数字666とは、神を信じず人間を拝み崇める事をする者のこと。

人間とは必ず騙し欺く生き物、その人間を信じるから洗脳され騙され支配下とされる、666の人間の数字を刻まれし何者かの家畜、ゴイムとなる。


人間を拝むとは、ミーハーに芸能人や有名人を神のように拝み崇めたり、カルト宗教の教祖を絶対として身も心も捧げる行為。極端な思想主義を持つ極右と極左の政治論者、政治家、極端な思想主義を持つ陰謀論者、都市伝説論者、そしてインフルエンサー、ユーチューバー、医者や社長等、神を信じずに個人崇拝、神より人間を信じる、そういった人間を個人崇拝し、拝み崇める行為、それが獣の刻印の本当の意味。

それは当たり前であり、聖書に書かれている通りで、それは神ではないので偶像崇拝を行うなと最初からはっきりと言っている。人間を拝めば人間は象徴を作る、銅像や絵画など、そういったものをありがたいもの、のように振る舞う行いそのものが偶像崇拝であり、神ではなく人間を拝む行為となる。


人間の知恵より想定され考察された理論や理屈ではなく神の法則を信じろと言っている。神による自然なるものを信じる事をせず、人間の秩序を信じて神による秩序を信じない。だから人間が作るデジタルのサイコロより、宇宙の法則、神による秩序によって定められた物理原則、その法則で動くアナログのサイコロを信じる事が神を信じること。人間に定められた運命、蛇道を歩くのではなく、神によって決められた定め、神道を歩けと言う意味でもある。


人間を拝んでもいけないし、逆に拝ませてもいけない。本物の預言者は自分を拝めとは言わないし、自分よりも神を拝めと強く戒める。自分が拝まれることを嫌い、拝む者を払いのけ、なぜ神を信じないのか、と怒り説教をする。

自身を拝めなど、預言者にとっては自決行為に等しい、それは神を裏切ることでもあり、自身の心が人間の支配下となり腐敗した証拠となる。だから俺は絶対に何者も拝まないし、何者にも拝ませない。神のみを信じ、神のみを信じさせる。


全てを生み出し全てを救う愛とは人間の中にある神の心であり、それを信じる事が神を信じることになる。これは人間ではなく、その中にある愛を、神の心を信じろと言う意味となる。あの24時間テレビの「愛は地球を救う」、自分はその文言を言ってるわけじゃない、あの中にも多く人間を拝む精神がある。


こんな話をする自分を信じろと言ってるわけではなく、拝めと言ってるわけでもなければ、リスペクトしろと、崇拝しろと言ってるわけじゃないし、そんなことさせるぐらいなら自分はこの世から消え失せる。カルト教祖になるぐらいなら自決する意志を持つ。

こんな話をお金儲けのネタに使うつもりもなければ、人気の数字を得るための道具に使うつもりもない。


見つけてもらうわけではなく、自分を見つけること。ここに神の心、愛の代弁者となり表現している本物の預言者がいる、簡単には見つけられない答えがこの中にある。天の国へと導かれる者は世界規模でほんの少数、その世界規模の人々の中に幾人かの本物の預言者がいる。その人物達を見つけるのは並大抵ではなく、本物らしく見えても、やはり欲に溺れた人間の支配下になった者である偽預言者である確率も高くなる。

神学、神秘的な物事を語る場合、何事も神を前提にして考え、話さなければいけない。我欲のための承認欲求や支配欲のためのマインドコントロール、洗脳など絶対に行ってはいけないこと。


これを語る自分を信じて拝むのではなく、自身が神を信じ、自身が預言者となること。そうなるのは確かに簡単なことじゃない、簡単な事じゃないからこそのもの。

人間である自分を拝めと言ってるわけじゃない、自分の話を絶対としろと言ってるわけじゃない、その答えを自身の愛、神の心に問えと、そう言ってるだけ。

だから、この沈黙の天秤と名乗る自分を拝むことをせず神を信じられたなら、世界中のどんな人間でも、誰1人として拝み崇める必要などなくなる。集団の圧力にも屈しない、従えとするファシズムにも呑み込まれることもない。個人崇拝をすることも無ければ、思想主義に溺れることもない。

政治論者、陰謀論者、スピリチュアリスト、ニューエイジ思想、カルト宗教の教祖、その何者かに支配されることもない。一番に信じるのは自分自身の心、神の心である愛。その他者の中にもある神の心のみを信じる。

知恵と心は別物であり、知恵は物質的な脳内の中で生み出されるニューロンによる伝達作用によってもたらされた知恵と感情であり、心は肉体よりも離れた場所からある意識、宇宙を司る愛であり魂でもあるため、それそのものが神の心となる。

大切なのは人間の知恵に従う事ではなく、神の心に従う。頭で考えるのではなく、心を感じる、それが愛を信じると言うこと。


自分が語る内容を信じることが重要じゃない、最も重要なのが神を信じること。人間、俺ではなく神を信じること、こんな話をする俺を信じても仕方がないし意味がない。俺を信じることは人間の知恵を信じることになる。そうなれば獣の刻印、人間の松果体の数字666となる。


だから俺は誰にどう思われても関係ないし、誰に嫌われようが蔑まれようが、馬鹿にされようが揶揄されようが正直どうでもいい。どんな陰口を言われようが、偏見の目で見られようが疑われようが、鼻で笑われようが、必要なことをただ話すだけ。

多くが見つけられない存在である、本物の預言者の役割として。ただひたすら、1人でも多く目に止まるよう、自分が解っていることを語り続ける。





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