岸田首相の言う新しい資本主義による社会秩序とは、三位一体の神、三種の神器、契約の箱の概念そのもの
岸田首相って、本当に賢いと思う。それは自分の意見と合うからなのかもしれないが、やはり自分の言っている三位一体の法則を岸田さんは知っている、そんな気がする。
マスメディアも含めて四方八方から叩かれているけど、自分の目から見たら今までの歴代総理の中でトップレベル、この人以外自分は認めない。
増税やインボイス、防衛費のための増税、法人税増税など、その不満はあるかもしれない、物価高でインフレによるストレスもある、自分だってそんなに裕福な人間ではないから、生活費はかさむ。
だからと言って岸田さんがやる事に不満などは持たない。今までこれほど信じられる自民党の議員、首相など1人もいなかった。何が信じられるかって、偽善的ではない、しっかりとした現実の秩序を実現させようとしている、自然の中にある当たり前を経済に生かすために三位一体の法則を、新しい資本主義による社会秩序と表現している。
自分は岸田さんは本物だと思う。そりゃ自民党に属しているので怪しい部分はいろいろあるかもしれない、陰謀論者や政治論者が疑いの目を向けるのも仕方ないのかもしれない。
この新しい資本主義による社会秩序は、神の法則。三位一体、沈黙の天秤そのもの。これが正解なんだ、他にはない、新しい共産主義社会なんかじゃない、岸田さんの目指すものこそが神の法則なんだよ。
これは妄想でも強引なこじつけでもない、間違いなく、これが神が望む人間社会の秩序、神による絶対的な自由なる秩序アナーキー、この流れが聖杯そのもの。
この2つの画像をよく見てほしい、まさにシャンパンタワーそのものであり、その流れこそが自然の摂理、自然法。
新しい共産主義秩序はこの真逆となる。それは自然法の中にある物理的な流れに反している動きで、共産主義で生み出したものは中央集権の頂点へと集められる、それが僅かずつ分配される配給制、富を蓄積するのは中央集権の頂点に君臨する者達だけ、その支配構造はカルト宗教と同じで、今までとまったく変わらない個人崇拝の拝金主義。誰も何も所有はしないが幸せになれるとプロパガンダされる世界。
新しい資本主義では、人間は、1人1人が富を持ち、第4次産業革命による資本主義で潤った富は民主主義により人々へ流され、それぞれが必要な器に入る富を必要なだけ持ち、その溢れるものが下へ下へと流れ、細部まで行き渡る。その聖杯の器が溢れるまで。
やがて富は繁栄し、供給され、永続となる。
自由、平等、博愛として、生み出し、渡し、消費される三位一体の流れ。太陽と月と地球、天照、ツクヨミ、スサノオ。三種の神器、これが契約の箱の真の意味となる。
これを自分は理解できているから、岸田さんが目指すものが何かも解ったし、新しい資本主義による社会秩序の意味も解った。
だから自分はマスメディアも含め、四方八方から罵詈雑言を受け続けている岸田さんを擁護してきた。
別の記事でも言っているが、コロナを5類にしたのも、マスク着用緩和をしたのも、自民党総裁で初となる統一教会との断絶宣言、解散請求命令を出したのも、防衛費の名目とは言え30年以上ぶりに法人税を、引き上げたのも全て岸田政権になってから。
そして何故岸田さんが当初から中産階級にこだわっていたのかもようやく解った。まず上流階級が生み出した富を中産階級へと流さなければ、下層階級に富がうまく流れて行かないから。議員の給料を上げたのも、一応は上に位置する立場の人達なので、そこから始める意志を示したようなもの。まず自分達が始まりにならなければ、新しい資本主義の流れがいつまでも実現しないから、実際に行動しなければ何も変えられない、突然に大企業から中小企業へと富を流せなどの命令などできない。
そもそも、富が生み出されなければ、下へと流れるものがない、いつまでも下層にいる人達にシャンパンが届かない。そのために中産階級に富を流さなければならない、岸田さんはそれをずっと主張していた、人々はそれに気がつく事ができなかった。目先の経済的な不安や不満に気を取られ、その経済の流れの事すら考える余裕もなく政治への不満、政府への批判を繰り返すだけ。
更に陰謀論者や政治論者が批判を煽り多くの人を誤った道に誘導する。
今後、このまま岸田政権が淘汰され、政権交代のようなことが本当に起こるなら、人々はやっとまともな政治をやる、やっと誕生した我々のために政治をやる首相を、我々の側にある民主主義と日本の総理大臣と共に自ら淘汰してしまう。
断言するが、この国に岸田首相以上の逸材など1人もいない、代わりはいない。その貴重で尊い逸材を人々は自ら引きずり下ろそうとする、自分達の首を自分達で締める、なんて哀れで愚かな人達、もはや嘆きと哀しみしかない。
何も解っていない、誰も何も。
自分勝手に思い込んで裏目に出ること、よくあるけど、生きていきたい、今日より明日へ。