一生懸命に伝えたいことがあるから、人は言葉を尽くす
世の中なんて、そうはうまいこと行かないようになっている。しかしそれが人間社会だから、我々はここでしか生きられない、生きられないから憤る、ニューワールドより既に、この人間社会と呼ぶ監獄の中に閉じ込められている。
でも、そんなにたくさんはいらない、ささやかでいい、少しでいい、その少しだけがあれば人は充分に幸せになれる。
何か、自分は人を勘違いさせたのかもしれない、覚るとよく表現したが、何か特別な誰かになったと言ってるわけじゃなくて、これは誰でも起こり得ること。今日にでも、明日にでも目は覚ませる。
目を覚ます、それは陰謀論者がよく言う目を覚ますとも違う、自分が言ってる覚るとは、自分を自覚する事と、全ての思想主義から簡単に抜けられるような思考の柔軟さを持つこと。仏教のそれとも違う。
確かに、自分は宇宙を覚ったと言っている。それはどういう事かと言えば、やはり深く考えても浅く考えても答えは三位一体にたどり着く。生み出し、渡し、消費し、そしてまた生み出す。この自然の摂理によるトライアングルこそが宇宙の秩序そのものであると解った。だから宇宙を覚る事は神を知ることだと自覚し、そして己を知った、このちっぽけな己を、我を自覚した。
なぜ我々は存在してるのか、それは宇宙があるから存在してる。我々は宇宙であり、それぞれが神の細胞、素粒子であり、全てがあるから我々は存在している。
無意味な生命じゃない、無駄な魂など1つもない、全てが必要な現象であり、この宇宙の時を刻む0.0000000001秒の内にある瞬間でもある。自分がいるからこの世が流れ、あなたがいるから世界は動く、あなたがいなければ何も無かった。
始まりから終わりへ、終わりから始まりへ、それが自分自身、あなたの全て。自分は他の誰かの今でもあり、他の誰かは今の自分でもある。
言葉とは表現方法であり、人は誰しも全てを知っている、解らないように見えるのはそれを表現する術を知らないから、表せる言葉が思いつかない、だから何も解らないと思い込んでいる。
全てを表現するなら、どんな方法でも具現化はできる。絵でも音楽でも、詩でもポエムでも、何でもいい、自分が持つ感覚をそこに素直に表現すれば覚りの物語を書き残せる。
始まりは紐理論よりもまだ小さな最小ミクロとなり、その最小ミクロが行き着く先にあるのが宇宙を越えた最大マクロ。自分の中の奥深くに最大マクロの宇宙の果てがあり、その中には無限なる世界が広がる。
己が神であり、己が全てとしてあるなら、その心は神の心であり、それに従うことが正しき神の道。生命の全てが神であり、その糸の絡まりが宇宙であり、認識できるこの世の全ては己の中にある。それを表現するために言葉を学ぶ、新しい言葉を覚えれば感覚的に解っていた事を表現できる。
生まれたての赤ん坊が泣くのは、その感覚を持っているから。解らないならそんな感覚を持っているわけがない、知ってるから泣く、解っているから表現する。人は生まれた時から既に全てを知っている、覚っている。
言葉を話せたなら、お腹が空いたと言える、淋しいと言える、言葉が解らないから態度と声で表現している。
目を閉じて宇宙を感じれば、それを表現するための言葉を知っていたなら、誰もが全てを説明できる。それは生命と呼ばれる雑草ですら、その感覚を持っているので、言葉を話せれば人間にそれを説明することができる。
解らないんじゃない、それを表現する言葉を知らないだけ。
1+1=2になると、その現象を全ての生命は知っているし、計算式が存在しなくても最初からそれは解っていたこと。だから全ての生命は、この宇宙が何なのか、神とは一体何なのかを、それを知っている、だから本当は全ての生命、人間の誰もが宇宙の全てを説明できる。
それは、おかしいと言えないのは、知らないからじゃない、知っているが臆しているから言えなくなる。だから眠ってる羊と陰謀論者に揶揄される。
それはおかしいと言えないから怒り苦しむ、悲しむ、我慢をしストレスがたまる。既にそれが「おかしい」と解っているが、それをどう表現し説明したら良いのか解らない、だか
ら何も言えなくなる。
それは怒りを煽る誰かに認めて欲しい思いからのもの、解ってるのにそれを説明できない、その漠然とした憤りの何か、悔しさ、怒りと哀しみ、それを何と表現したら良いのかも思いつかない。しかしそれを表現する術を知っていたなら何者も拝む必要はなくなる。
宇宙のアカシックレコードからダウンロード、インポートするわけじゃない、既に知っている全てを、何とか言葉として表現するために一生懸命頑張って言葉を繋ぎ合わせてる、それがスピリチュアルとなり、ニューエイジ思想となった。
神の赦しが基本にあり、自分の許しが発動される。その神による絶対なる赦しの秩序が無ければ、許しの感情、感覚すらも存在しなかった。誰かを愛すれば、その人へどうにか解っているこの感覚を伝えるために言葉を尽くす、それと同じこと。
あなたを愛する、あなたが全て、あなたのためならこの命を失うことなど怖くはない、あなたの心を守りたい、あなたと共に生きたい、あなたと一緒にいたい、あなたの心を守るためなら全ての人類を敵にしてもかまわない。たった1人孤独でもいい、あなただけを愛したい、始まりから終わりまであなた1人だけを、愛したい。
愛する誰かに、そう言葉を尽くすのは自分の中にある知っている本物、真実をどうにかして伝えるために、あらゆる表現方法で語り続ける。
神を知りたければ愛を知ること、その神の心に答えを聞き、身を委ねる。
愛と覚りと欲望のバランスを、心の天秤で美しく保つ。己が聖杯となりて三位一体の流れの中で今を自由に生きる。
自分は特別な者ではない、普通の人間として、愛の預言者、沈黙の天秤として生きる。