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【経済/世界史】金融自由化について

金融自由化

・イギリス
1980年代、イギリスのサッチャー首相は「サッチャリズム」と呼ばれる一連の経済改革を断行した。サッチャリズムとは、保守党のサッチャー政権がとった一連の経済政策。ゆりかごから墓場までを標榜する福祉国家だったイギリスは英国病と呼ばれる長期低迷状態にあった。サッチャー政権は、国有企業の民営化、大幅な減税、金融自由化(ビッグバン)を断行、福祉国家を解体して自由主義路線に転換した。
金融自由化(ビッグバン)とは、主に「売り上げ手数料の自由化」、「銀行と住宅金融公庫の区別の撤廃」、「証券・金融市場の海外への開放」を政策として行ったことを指す。この「ビッグバン」によって、金融部門における専門職が増大し、イギリスの産業が工業から金融へと、脱工業化が急速に進んだ。結果、イギリスへの海外からの投資が増大し、イギリスの金融機関が海外の資本から買収される、通称「ウインブルドン現象」が発生した。その後のイギリスは、世界の金融の中心として世界中から資本を集めることになったが、少なくとも国内の労働者・低所得者らにとってはつらい社会を作ることになった。(産業が脱工業化し金融部門が成長したことで、金属/機械工業などの産業は急速に衰退し、これらの産業を抱えていた地域に失業率が集中したため)

・アメリカ
アメリカのレーガン大統領も「レーガノミクス」と呼ばれる自由化路線を推進した。レーガン大統領の在任期間はほぼ1980年代全般にわたり、この期間に実施された経済政策を「レーガノミクス」という。当時のアメリカ経済は、スタグフレーションと双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)状態にあり、その経済状態を打破するためにレーガノミクスは行われた。
レーガノミクスでは、「税制改革」、「規制緩和」、「政府支出の削減」、「通貨供給の抑制」が主に行われた。
「税制改革」では、法人や個人の税率を大幅に引き下げることで、勤労意欲や消費、貯蓄意欲を引き出すことを狙った
「規制緩和」では、政府の規制が民間の自発的で活発な活動を規制してきたことで、生産性のアップや新たな分野への取り組みなどの意欲を削いできたと考えられたため、自動車の環境・安全規制や鉄鋼業の大気汚染規制を緩和し、金利も自由化した。民間の自発的で活発な経済行動を刺激し、また他分野や新しく参入する企業が増え、競争が高まって生産性が向上し、経済が活性化することを狙った
「政府支出の削減」、それはこのままの状態で進むと、アメリカは将来的に財政破綻することが明らかな状況があったことに起因する。個人でもそうだが、借金が積み重なっていくと、使うお金を減らすことを考える。アメリカも同様に支出を減らす方法を検討する必要があり、その矛先は社会保障制度に向かった。1929年の大恐慌以降、少しずつ福祉制度を充実させてきたアメリカだったが、1970年代半ばからインフレがすすむのに対して、賃金は増えず、中産階級の人々の経済生活は悪化した。支払う税金が重く感じられ、国の予算の多くを占める社会保障制度費用を削減すべきであるという世論が拡がり、その結果、今まで国家が担ってきた福祉や社会保障制度の権限と責任を各州や民間機関に移譲し、国の支出を減らす計画を立案した
「通貨供給の抑制」では、市場への通貨供給量(マネーサプライ)の増加率を1980年の半分程度まで引き下げることを目標とし、金融引き締めのために、FRB(連邦準備理事会)は政策金利を上げる政策も実施した。市場への通貨供給量の増加率を絞り、流通する通貨が少なくなることで、物価上昇率を抑えることができ、インフレを抑制することを狙った
結果として、レーガン大統領就任期(レーガノミクス)では、逆に財政赤字が拡大してしまった。アメリカの失業率やインフレ率の抑制には成功したが、実質経済成長率は低下した。レーガノミクスによって、財政が悪化した原因はこれらが挙げられる。
•減税によって米国政府の歳入が減っただけでなく、縮小させるはずであった社会保障費用は思うように削減できなかった
•インフレ抑制のためにとった金融引き締め政策により金利が上昇し、高金利に伴いアメリカドルへの投資意欲が高まりアメリカドルは他通貨に対して顕著なドル高をもたらした。ドル高により米国製品は価格競争力を失い輸入量が増え、貿易赤字も増えていった

・日本
日本でも、1980年代の中曽根政権の時に、日本専売公社(現在はJT)、日本国有鉄道(JR)、日本電信電話公社(NTT)が民営化され、自由化路線が始まった。金融の自由化は1990年代後半から。金融ビッグバンと呼ばれる一連の規制緩和で、従来の護送船団方式が改められた
金融ビッグバンとは、1996年の橋下政権から始まった金融制度改革。フリー、フェア、グローバルの三原則を掲げ、外国為替取引の自由化、銀行・証券・保険の相互参入、金融持株会社の解禁などが実現した。イギリスの証券制度改革ビッグバンになぞられて、こう呼ばれている。
護送船団方式とは、競争力のない銀行(地銀、信金、信組を含む)でも潰れないように、各行の金利やサービスを同じ水準に保って競争が起きないように指導した旧大蔵省の金融行政の通称。

一連の金融自由化で、マネーの移動を制限していた規制が撤廃された。さらに1989年にはベルリンの壁が崩壊し、世界の半分近くを占めていた社会主義国が姿を消すことになった。そうなると、マネーは完全にグローバルに動き回るようになる。合わせて情報通信技術が飛躍的に進化し、世界中がネットワークに繋がり、世界中のどこにいても、即時に決済ができる社会になった。グローバル化とネットワークの発達で、ありとあらゆる儲けのチャンスを狙って、世界中の金融市場を投資マネーが動き回るようになった。外国為替市場で1日に取引される金額はおよそ5兆ドルと言われており、日本が1年かけて生み出すGDPに匹敵するような金額が、わずか1日で世界中を駆け巡っていることになる。

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