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ガチガチな世界をゆるめる

この本はめっちゃよかったです!
ゆるめるは最初はスポーツをゆるめるという話からはじまり、楽器の演奏をゆるめる、仕事をゆるめる、ふつうをゆるめる。

固定概念をぶっ壊せ。というのがいつも僕は持っていたのですが、この本を読むとなるほど、確かに固定概念をゆるめるのほうが平和的で、発展性があるなと思いました。

スポーツをゆるめる

僕はずっと体育をやってきたし、体育会系の世界で生きてきたので、あんまり考えたことがなかったのですが、澤田さん考えは天才的だーー!!!と思いました。

スポーツをゆるめる。
どんなイメージを持ちますか❓

僕のイメージは
スポーツは戦うものだし、スポーツを楽しむのは、練習とか試合で勝った時は凄い楽しい感じがありました。

ただ、それはスポーツは鍛えるもので、楽しくなるには上手くなる必要性があると考えてきたんですよね。

ゲームでいうと、コツコツレベルが上がって行くのが楽しかったですし、どんどん自分が強くなっていくのが楽しい。新しいストーリーが楽しいし、新しい発見があると楽しい。

つまり、刺激がなければ、楽しむ事ができない状態になっているのではないでしょうか?

でも、
スポーツ自体は元々、ストレスを発散させるためにありました。

今は、スポーツでストレスを加えるような事が起きてしまっている

言われると確かにそうだなと感じます。僕は比較的スポーツが得意だったけど、教員になって一番最初の職業が発達障害の体育を指導することでした。

どうやったらみんなが平等に楽しむことができるだろうか?
ヨガとかみんながやったことがないことを体育に取り入れてみてはどうか。
創作ダンスとかやってみたらどうか?鬼ごっことかスケボーをやってみたりとか。

子供たちの成長と身体能力の向上

ストレスを与えないことの矛盾がとても難しかったのを覚えています。

なので、
ハンディーを当てるというのは少し違うなという感覚がありました。

スポーツで笑いを起こす。失敗をしたら、褒められるような仕組みつくりと普及活動、ルールのデザイン、本当にめちゃくちゃ目から鱗でした。

音楽をゆるめる

ゆるい音楽

僕は体育は得意だけど、音楽は苦手なので、

得意なものを伸ばして、苦手なものは得意でカバーする

そう思ってきました。
でも、そうじゃないのか!!!!!

そもそも苦手とか固定概念で緊張しているだろうなと。
苦手が楽しさに変わるとは、気合で克服すると思っていました。

どうして、楽器は難しいと思ってしまうのか?

例えば、
ピアノの場合はなんであんなに鍵盤があるんだ!!楽譜も読めない。
頑張って、『ド、レ、ミ、ファ、ソ。。。。』こうしたら読めるけど、そうしないと読めない!!!!

楽器の演奏の本質は何か?
身体を動かしたら、物を通して音が鳴る。

本質を残して、
難しいことを簡単なことに変換することができないだろうか。

頭で考えたことがそのまま音に現れたりとか。
僕はそんなことを考えていました。

「音楽をゆるめる」おくが深いです。

ゆるキャラは「ゆるい」ではなく「ぬるい」

ゆるきゃら

すいません。適当に拾ってきたので、これがなんのキャラクターかもわかりません。でも、ゆるキャラはぬるいという感覚は僕は今まではなかったですね。

ただ入れたいだけでした。笑

働くをゆるめる

「働くをゆるめる」これは教員をやめた時から思っていたことです。

働くということがストレスになりすぎているんじゃないのか?
もっと楽に考えることはできないのか?
僕にとって、
働くことってめっちゃ楽しんですよ!

なんで平日とか休日とか人に決められなければならんのだ。

働きたい時に働くだけ働いて、休みたい時に休めればそれがいい。
「最悪ー。10連勤だったー。」とか言っている人を見て、なんで10連勤がきついことなのかなとかずっと思っていました。

100連勤でも働いて、50連休とかしたほうがよくないだろうか❓

あくまでも、僕の場合です💦

倒れますよ!とかいうじゃないですか。
とりあえずやってみたらいいじゃないか。

1回きりの人生で自分の身体を実験にするしかないじゃないか。

この間相談に乗った方で、

『中卒なんです。資格もないんです。コロナでやめさせられました。』

そう言われました。
でもね、
全く問題じゃないだろう!!!!!

身体を動かせばいいじゃないか!農家でも別にいいじゃないか!
解体なんかいくらでも人は余っているぞ、工場もやればいいじゃないか!

なんでそんなことが言えるかって、
僕が身を持って体験していることなので。言えます。

あなたの仕事を今までの経歴で考えたら人生は損をするだけだよ。

もっと働くをゆるく考えよう

普通をゆるめる

これもずっと考えてきたことの1つです。

「普通をゆるめる」今考えると小学校ぐらいから考えてきたことかもしれません。中学校の時とかずっと考えてましたね。

「普通」ってなんやねん。「常識」ってなんやねん。

なんで他人の定規に計られなければいけないんだ!
ずっとずっと考えてました。

コロナ期間中、こんな出会いがありました。
それは音声SNSでの出会いです。

全盲の方の普段考えていることを、話す機会がありました。

僕:「目が見えないことって不自由じゃないですか?」
Sさん:「どうして目が見えないことが不自由なんですか?」
僕:「え。だって目が見えたらできることもあるし。」
Sさん:「特にないんじゃないですかね〜」
僕:「。。。???」
Sさん:「ずっと昔からなんで見えないことが普通なんですよ」

僕は衝撃を受けました
そして、自分が恥ずかしく思いました。

あんだけ自分が自分の普通っていう定規ではかるんじゃねーよ!!!
とか思いながら、自分が自分の『普通』という定規で測っていたんですよ。

「普通」って何をもったらいうのか。

日本を離れたら、日本の普通は通用しないし、
もしかしたら「普通」という言葉は存在しないのかもしれません。

澤田さんはこんな言葉を残していました。

「固定概念をぶっ壊す」っていう言葉が嫌いです。

壊すって、
今までの考え方を大事にしていないようじゃないですか。

だから『ゆるめる』なんです。

あーーー深い。
とても勉強になる一冊でした。

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書評というよりかは途中から感想文のようになってしまいましたが、何か参考になっていれば幸いです(^^)

ではまたーーー!!

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