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〈怒ると叱るの違い〉母親の機嫌がいいと家族は幸せになれるのか

こんにちは。まいです。

怒ると叱るの違いについてと、
母親の機嫌がいいと家族は幸せになれるのかについて
「エゴとお遊び」視点から
先日あった出来事を例にお話ししてみます。


夕方。
お風呂に入った後、
夫が「ケーキを食べたい」と言い始め、
夫と息子が買いに行くことになりました。
もう少しで夕食の時間だったので
「ご飯支度して待ってるね。」と、私はお留守番することになりました。


すぐ帰ってくると言っていたので、
急いでご飯支度をします。
お肉を焼いて、お味噌汁を作って、合間にお風呂掃除をして…
あとは盛り付けをするだけに。


しかし、そんなに遠くに買いに行ったわけではないのに、
30分以上経っても帰ってきません。

「もしや?」と、隣の義実家に行くと、
夫はテレビを観ていて、息子は遊んでいます。
夫はお酒をのみながら「豚汁持って帰るぅ」とご機嫌です。

「お?おおぅ…」私は戸惑いながら、家に戻りました。


私は苛立ちを覚えました。
まず「ご飯支度をして待ってるね」と伝えたにもかかわらず、
「遅くなる」くらいの連絡は欲しいところ。
そして、ご飯支度してるって言ってるのに、
豚汁もらってくるとはどういうことです?
単身赴任の夫はこの後 赴任先に帰るので、家には大量の味噌汁が残り、
小さな息子と食べきるのは結構しんどいのにぃ。と、
イライラし始めました。


…と、ここまでは、エゴと一体化していたころの私です。

「エゴとお遊び」をしている私は、イライラから瞬時に
ニヤニヤに変わるわけです。



…夫がご機嫌で豚汁を抱えてもどってきました。
おかずが増えて喜んでいるだろうと思ったのでしょう。


私は、まず「報連相は大切である」というエゴを取り出します。
(「お風呂掃除、洗濯もこなしながらご飯支度頑張っていたのに。」などの声はすべてエゴによる演出です。「報連相は大切」というエゴは悪い子ではありません。否定やダメ出しはしません。)
奥の自分(オールオッケーな自分)に戻ってから、再度「そのエゴ採用します!」と宣言します。
自分で選んだこの状態で話し始めると、ただの演技になってしまうので、
イライラしているような口調
で注意している感じになります。
まるでお遊戯です。(イライラがなくなっちゃっているので。)
怒りが込められていないのが伝わるので、
夫もなんだか叱られた子供みたいに素直になります(笑)

自分でイライラのふりをしているだけなので、
「今、ママ、ぷんぷんしてるよー。ちょっと気を使ってよ~?^^」と、
冗談まで言えます。笑ってしまって危機感もありません。
夫と息子は食卓の準備をテキパキとこなしてくれます(笑)


そして、伝えたかった事はしっかり伝わり、
楽しい食卓が始まります。
デザートはおいしいケーキ。

本当に、なにもなかったみたいにみんなご機嫌です。


「怒る」と「叱る」の違いを明確に体感できます。

「怒る」はエゴと一体化していてそのエゴを満足させようとしています。
「叱る」はエゴを一旦取り出して採用し直し、奥の自分に戻って演出し直すのです。
怒りの感情や悲観が混ざらなくなるので、伝わり方が明確に変わります。

エゴとお遊び まい「怒ると叱るの違い


以前はエゴと一体化していることに気づかず、
エゴを満足させようとイライラをぶつけがちだった私。
エゴと遊んでいる事に気が付いてからの自分と違いすぎて、
こんなに変われるんだと、嬉しくなります。

「母親だからがんばらなければ」とエゴを抱えている方はとくに、
気づいていただきたい内容です。

家族の目的地が「安堵感や心地よさ」とするならば、
母親が笑っているから家族が幸せなのではなく、
各々が各々のエゴ(自分にとってのこうであるべき)に気づき、
エゴに向き合い、
奥の自分に戻ってからまたエゴ(演出)を選び直し
使う言葉や態度を選択するだけで、
目的地までの距離が変わる。というだけです。
がんばる必要すらありません。
むしろ、奥の自分に戻ることを楽しんで下さい。

エゴとお遊び まい「母親の機嫌がいいと家族は幸せになれるのか」


イライラがサインです。
エゴの演出によって不快に感じているというブザーだと思ってください。

練習していると、瞬時にエゴを取り出せるようになります。
気付けば、ニヤニヤしていますので緊張感を必要とする場面などでは、
お気を付けください(笑)


軽やかに人生を楽しみたい方はぜひ「エゴ探し」「エゴとお遊び」
お試しください。
最後まで読んでくださりありがとうございました!

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