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「知ってました?」私は知らなかった(笑)/人生を楽しむコツ発見🙂

息子が難しい顔して言うんです。

「ああーー。できない!😫」

宿題の「3つの数の計算」に慣れなくて なんかぷんぷんしてる。
息子も、できないわけじゃないのにね(笑)


こういうとき、
なんか変なエネルギーが出ているなぁって思ったんですね。



そして、
息子が勉強に集中している時
音もたてずに静かなんです。

「なにもやっていない」みたいなかんじ。

終わった後に「あ、おわってた」みたいな顔をするんです(笑)




前者(できない)と後者(集中)の違いと言えば、

不快ということでしょうか。


いや、でも後者はでもない?


なんだこれ?


この現象はなんだ?と
奥の自分に問い合わせました。


すると、こう返ってきました。


人生という物語を、
エゴという演出家の感情表現を使って面白くしています。


集中、とは
そこにすべて在り
何もない状態です。
我らにとっては
当たり前の状態です。


エゴを使用して集中した時
それはになります。

奥の自分に問い合わせ「回答」


ほーーーーーーっ
納得。

それは納得。


エゴが「できないできない!知らない!」と言っている時は、
奥の自分が「すごいすごい!やっぱり重いねーこの感情!」と
感情のエネルギーをキャッチして
ワイワイキャッキャしているのに対し、

集中している時は、
奥の自分は「ふーん」ってしてるのに気がつきました。
あんまり興味ない感じ(笑)
なんか、すんってしてる



エゴを使用して「今に集中」している時は、
エゴは作業がうまく進めば快という感情を感じるので
奥の自分は感情のエネルギーを受け取って
「ワイワイキャッキャ」しているんです。

「至福の時間」がそれっぽい!


奥の自分視点で何もなくなっているときに、
「私」の在り方を整えて「軽やか」を目的とすると
安堵感や喜びの様なものを感じます。

安堵感や喜びも快の感情です。

感情はエゴが感じているとすると…


結果、この目的もやはりエゴを使用しているということ。



新しいエゴ(軽やかさの行動を促す)を選び直す前に、
「軽やかでいる」というエゴを選んでいるという事になります。



結論

💖エゴと遊ばない手はない!

わーい🥰




奥の自分と完全に同じになってしまうと、
みんな一緒ってこと。

これがワンネスというやつか??

あくまで奥の自分視点というのが、
人生という物語を楽しむコツなのかもしれない。


エゴ。自我。
それは個人を判別するものだとして、
何がおおもとか、
人から聞いた言葉を使っていたので
なんとなくしかわからなかったけど、



あああ。
そいういうことなのか。


自分の内側で思い出されると、
こんなにも納得するんですね🙂



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