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おはようございます。まいです。


近頃、親が子供の行動を待ってあげられないから云々…
(だいたい、それダメみたいな内容)を見聞きすることがあります。

その事について「エゴとお遊び」の視点からお話しをしてみたいと思います。


「待てない」親、というタイトル


どうでしょうか。
このタイトル。

なんだか、ピリッとした嫌な感じに受け取れませんか?
わざと、このタイトルにしたのですが、
エゴを採用しているとズキんとくる方がいるはずなのです。



「先回りしてしまう」
「気づいて助けてしまう」などの言葉をみて
自分はそうかもしれないと思う方は

子供の成長の為に、
「自分でやらせなければならない」
「先回りしすぎてはいけない」
「気づきすぎてはいけない」などの言葉をみて
そうしなければいけない…と悩んでしまった事が
あるのではないでしょうか?


できていない、やらなきゃ!と選んだそれらも
エゴです。

そして、子供の成長を願って
沢山の事を調べ悩んで頑張っていたので、
この記事に出会ってしまったということです。
おつかれさまでした。
もう、

大丈夫です。



待てない親というフレーズで「しなければならない感」や「そもそも不快」を感じる方は、
「待っていられないのは子供の成長によくない」というエゴを選んだため、
エゴが刺激されて不快に感じています。
そして更に
「完璧な母親でいなくてはならない」
「子供に失敗させてはならない」というエゴが合ったりしませんか?
(エゴはあるからダメという話ではありません。あって、いいんですよ。)

エゴさえ見つけてしまえば、オッケーです。
エゴは道具です。
自分の人生の物語に抑揚をつけてくれる演出材料でしかないわけです。
エゴをそこにいると認め、なだめます。
(そうか、どっかから引っ張ってきたエゴちゃんたち。
思っていてもいいよ。不安だったんだね。大丈夫だよ。)
エゴを取り出し、一体化していた自分から切り離すんです。
エゴで遊んでいた奥の自分に戻ります。
きっと視界がクリアになります。


「……で、こどもはどうしたいんだろう?」

ある程度感情を表現でき、話しを理解できるお子様であれば、
「どうしたい?」という言葉は理解できると思います。

なんでも子供のいう事を聞きなさい。ということではなくて、
提案したっていいし、困った顔だってしていいです。
その都度「どうしたい?」と聞いて選ばせてあげるんです。

「助けて」と言われたら、助けてあげてください。
「どう助けてほしい?」まで聞けたら、もっと子供の考えている事をしれますよね。
(緊急度の高いことは聞かずとも、すぐ助けてあげてくださいね^^)

もし自分のエゴが出てきて不快を感じた時、
エゴを採用してイライラしたってかまいません。
ただ「いま、このエゴ採用する!決めました!」と
心の中で自分で選んだことを認識してください。
そうすると、その後に声を荒げたって、なんだか演技をしているようで冷めてきたりもします(笑)
子供に「…あ、なんかごめん。そこまでじゃなかったわ」と、謝れちゃったりもします(笑)

再度、奥の自分に戻れて、視界がクリアになり
子供に「どうしたい?」と聞ける姿勢になれます。


どうでしょうか。
待つとか待たないとかの話しではないことに
気づきませんか?

どんなエゴを採用しているか、していないか。
子供との時間をどんな視点で過ごしているか。

それだけなんです。

奥の自分に戻れば、

待てようが、待てなかろうが


軽やかな感情でその時を過ごすことが出来るはずです。

「だって、奥の自分にとっては、
 物語に抑揚がついてどっちでも最高だから!」


待てる親になりたい!と、どうしても思ってしまうのであれば、
【奥の自分に戻って「どうしたい?」と聞ける自分を目指す】と、
エゴを選び直してみても良いかもしれません。
結果的に、これが「待てる」ということに繋がるかもしれません。
(くれぐれも「そうしなければならない」と一体化しないようお気を付けください。)

エゴとおあそび まい


ぜひ、試してみてくださいね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!


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