「怪物」~怪物だーれだ~
「流浪の月」凪良ゆう氏の原作小説(映画版は少し違っていました)を読んだとき、繰り返された言葉「事実は真実と同じではない。ひとつの物事に対する主観と客観(世間)は大きく食い違うことがあること」というのを、この映画を観たあと、思い出しました。(「わたしの本棚25夜」より)
早織、保利、湊の3人の視点から書かれています。同じ事象が、三人の視点によって、違った景をみせてくれます。カンヌ映画祭で脚本賞受賞作品。伏線があって、台詞が刺さり、見ごたえありました。観る人によっても、いろんな解釈できる作品だと思いました。坂本龍一氏の音楽も静謐で素晴らしかったです。ただ、ラストがわたしは切なかったです。胸を痛める一方で、こりゃあんまりだ、とも思いました。
☆「怪物」是枝裕和監督作品
1.登場人物
早織(安藤サクラ)・・・シングルマザー、湊の母親
保利(永山瑛太)・・・湊の担任教師
湊(黒川想矢)・・・早織の子ども
依里(柊木隆太)・・・湊の同級生
校長(田中裕子)・・・湊の学校の校長先生、孫を事故で亡くす
2.あらすじ、感想(少しネタバレします)
早織は、湊の異変を担任教師からのいじめにあっているからだと思います。学校側に説明を求めますが、保利や校長先生の不誠実な態度。早織の視点では、保利や校長先生は怪物にみえます。びっくりするほど、苛立つような受け答えの教師たちには、早織ならずとも子を持つ親なら失望します。
一方、「モンスターペアレント」という言葉があるように、教師からすれば、子どもへの対応の不満を言いに来る親は怪物です。
保利の視点では、学級内で湊が依里をいじめているようにみえ、早織と湊の親子が怪物にみえます。また、「誰かが犠牲になるのよ」と保利に学校側の保身を教える、孫を轢いたかもしれない校長先生も怪物にみえます。保利の日常生活が描かれ、彼が不器用ながら生徒思いであることを知れます。
子どもの、とりわけ湊の視点では、自分の恋愛感情は怪物かもしれないと苦しみます。普通に育ってほしいと願う母の期待は重荷に感じてしまいます。そんな彼にとって、「誰にでも手に入るものが幸せ。先生も嘘ついた」という校長先生は、怪物ではなく良き理解者に近い存在として描かれます。
全編を通して、「怪物だあ~れだ」というフレーズが低奏音のように響き、視点によって怪物は違ってきます。
同様に、物語の発端となるガールズバーの火事にしても、早織からするとママ友さんから保利先生がその場にいたと良からぬ噂で保利先生への不審感を募らせる事実になり、依里からすると、現場で着火マンを持っていたことから放火犯になりうる事実でした。
湊が依里を叩き、保利先生が湊を制しようとして暴力をふるった事実は、いじめや暴力でなかったことも判明されていきます。これって、日常生活でもよくあります。相手を思って行動したことが見当違いだったり、憶測が進行したり、多様性をうたいながら慣習に縛られた行動していたり・・・。
事実は観る人、角度によって違ってくる。
そういう観点では、湖畔の小さな街で起きた事象は、「怪物だあ~れだ」と投げかけるだけでなく、普段の思考と観え方を少し考えてみたくなる、小さな気づきをもたらす映画でした。*画像は公式ページから借りました。
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