マガジンのカバー画像

ちょっとだけ?!でも、打てば響いたmarikko note♥

16
自分なりの自己満足noteをまとめてみました。 井の中の蛙、市井note。 2024・07~。 まず12本を選んだのはサッカーイレブンの後ろだから♥
運営しているクリエイター

記事一覧

#あの選択をしたから

自分のいままでの人生を振り返って、いまの自分に一番大きな影響を与えている選択は、結婚だろう。 はじめて自分の意志・判断で選択したと断言できる!! それまで、時代や周り、起きてきたできごとに左右されて、優柔不断なわたしはこころから、自分自身で選択したと言い切れるものがなかった。 行きたかった中・高受験も、祖父母と暮らしたかったふるさとも、ちいさなことでは入りたかった部活も、みんな何らかの理由で、選択できなかった。 大学を卒業して、就職し、やりがいを感じ始めたころに前後して

#やさしさを感じた言葉

わたしは、褒められると木に登るタイプなので、褒め言葉にはすべてやさしさを感じる。。(甘い・・・) 「いつもおしゃれですね。」といわれると、うれしくなって、また洋服が買いたくなるし、 「仕事がはやいですね。」といわれると、ますます張り切ってがんばってしまう。。 裏の意味や、社交辞令とも考えず、単純に喜び、木に登る。。 逆にいうと、マイナスの言葉にはへこみやすいのだろう。。 厳しさのなかにも、やさしさはあるのに。。 そのなかで、いま気にいっているやさしさを感じた褒め言葉が

#写真が好き

#写真が好き SNSのない教員時代から、教室内外の子どもたちの写真を撮り、学級新聞や掲示板に掲示したり、記録を残したり・・・それをきっかけに、この年になるまで、下手の横好きの写真好きだ。 全スマホのこの時代、パソコンはあるものの4Gガラホで、敢えて一眼レフカメラを持ち歩くわたし。 全機能を使いこなせるわけでもないが、限られた範囲でのSNSに投稿したり、現像して自分のアルバムをつくったりして楽しんでいる。 一瞬を切り取るのが楽しい。 切り取る対象を見つけるのが楽しい。 カラ

母方のルーツを訪ねてひとり旅 #忘れられない旅

#泊まってよかった宿 先月、岡山県の高梁市に出かけてきた。 私の祖母のルーツだ。 祖母は、母が女学校の頃、戦争で母の長兄・次兄を次々に亡くし、心労で急死したそうだ。 だから直接会ったことはない。 その後の事情もあり、母も数年前に他界したので、聞きかじりの想い出しかない。 ほかの祖父母との想い出は自身のなかにたくさんあるのだが、この年になって無性に祖母に会ってみたくなった。 いわゆるファミリーヒストリーの旅。 母が他界する前、しきりに祖母に会いたがっていたのを一緒に叶

#私の仕事#はたらいて笑顔になれた瞬間

#私の仕事 いつも、子どもたちとかかわる仕事をしてきた。。 大学を卒業してからずっと。。 教諭、塾講師、子育て、子ども新聞リポーター、託児所、発達障害児支援、学童支援。。 もし、男性だったら?!、結婚・出産をしていなかったら?!病気で中断しなかったら?!時代が違っていたら?! いろんなもし?!が、頭のなかを駆け巡る。。 悔いもある、諦めもある、そのうえで、納得して貫けたのが・・・、子どもたちとかかわる仕事だった。。 「誠実に希望をもって」 くじけそうになったとき、こ

#オープン学級通信

#オープン学級通信 もうすぐ、お別れの日が来る。。 この6年間、ほんとうにいろんなことがあったね。。 教室に、いろんなこころで入ってくるみんなを、わたしもいろんなこころで迎えた。。 みんなをあったかいこころでまるごとつつんであげようと、やさしく、つよくあろうとがんばってきた。。 ひとりではない先生たちの、さまざまな価値観に、揺れ動きながら、いっしょに育ってきたよね。。 こまったときの、OO先生=わたしでいられたのは、みんなのおかげです。。 いっしょに学んで、遊んで、

#子どもに教えられたこと

#子どもに教えられたこと 仕事ではなく、我が子の子育てを通して、「子どもに教えられたこと」を振り返ってみる。。 ひとことでいうと「子どもではなく、自分自身ひとりのひととして、自分自身の自己を確立すること」だったようにおもう。。 子どもが小さかったころは、ともに遊び、生活や感情を共有して、ともにたのしんできた。。 その後、学齢期になると、自分の夢や希望を子どもたちに託し、自分の自己実現を図ってきたきらいがある。。 子どもにとっては、少し重荷だったろう。。 子どもには、子

再生

#さぁ、これから!!

新緑の季節。。 立夏。。 大きく深呼吸をして。。 #さぁ、これから!! いつも何度でも、生まれ変われる。。(^^♪

#私にとってはたらくとは

「私にとってはたらくとは、自立であり、自律である。 精神的・経済的自立への一歩であり、社会のなかで生きる自律である。   そして共生の場でもある。」

#天職だと感じた瞬間

周りからは、「子どもと関わる仕事(いまは子どもの第3の居場所での仕事)はOOさんにとって天職だね。」と、よく言われる。 でも、自分では、それしかできないから続いているというのも本当のところだ。 大学を卒業して教員になり、その当時のジェンダーを自分なりに考えて打破しようと選んだ職を、家族の死を経験して結婚という形で退職、そして出産。 男性社会で、子育ては母親という神話を否定しきれず、社会との関わりをどう持とうかと模索しながらの子育て。 少し体調を壊し、やっと自己実現を図ろうと

#元気をもらったあの食事

2018年、母が亡くなった。 3月に倒れ、1か月ほどの入院の後の4月。 倒れたその日は、姪っ子のレストランウェディングの日だった。 2・3年前からの闘病生活だったが、昔から料理好きの母は、簡単ながらも最後まで、自炊をし、ひとり暮らしを続けていた。 倒れる数日前、母から電話があった。 「OOちゃん、ごはんが欲しくなくなったよ・・・。。」 2・3か月に一度、仕事のお休みをもらって帰省するたびに、日帰り温泉に出かけ、おいしいランチを食べるのが救いだったわたしには、徐々に覚

湯布院のたび。。

#わたしの旅行記 あたらしい家族がふえたので、いっしょに大分県湯布院を旅してきました。。 コロナが5類に移行して、海外の観光客の方も、いっぱい。。 新旧入り混じった街を堪能できました。。 まず、目に入ってきたのは、由布岳。。 山頂に雲をかぶっていましたが、青空。。 野焼きをしたばかりの草原の芽吹きもきれいでした。。 昼食も堪能、新緑の金鱗湖周辺や、観光客でごった返す街中も散策。。 路地を一つ入ると、打って変わって静寂、夜には蛍も飛び交っていました。。 「バー、山猫

エピソード記述( ^ω^)・・・、練習。。

小鳥の死体が標本に大変身の巻① 10月のとある放課後、こどもたちがちょっと道草をくいながら帰ってきた。 口々に発したことばが、「先生、歩道に鳥の死体があったよ。」 先日は、カメの死体の話。 いちばん最後に帰ってきたいぶくん。 上履き袋を私にこっそり見せる。 中を覗き込むと、薄緑色の鶯に似た小鳥が1羽。 「お墓を作ってあげないとね。」 「先生は、はく製にできる?」 「内臓とか、とるのかなぁ?、先生には無理だとおもうよ。」 いぶくんとは、1年生のとき、私がこの第3の居場

仕事にやりがいや社会とのつながりが感じられるのは他者の存在があるからです。こどもたちもふとしたことで成長していくのはその関係性を自分で素直に受け止められそれが内発的動機付けになっているからだと思います。そこに教育の平等性や公平性を保障していく大切な意味があるのではないでしょうか。