3回観て3回号泣した映画の話:バジュランギおじさんと、小さな迷子
エンドロールが終わったあと、全観客と今すぐハグしたい! と思うような映画ははじめてかもしれない。
ツイッターを開くたびに『バジュランギおじさんと、小さな迷子』の情報が流れてくるようになった。期間限定でリバイバル上映をしているという。
推しが絶賛しているので、この人が勧めるなら面白いのだろうと軽い気持ちでチケットを取った。
実は『RRR』も『バーフバリ』も機会を逃していたわたしの、初ボリウッド。
ミッドランドスクエアシネマのスクリーンをミスって慌てたり(名古屋人にしか伝わらない)、予約したはずのチケットが取れてなかったり、色々ハプニングに見舞われながらも辿り着いた映画館。
あらすじも何も知らず、タイトル的にハートフルな映画なんだろうな〜泣いちゃうかもな〜くらいの気持ちで腰を下ろした。
……その3時間後、みごと嗚咽を漏らしながら号泣。
そして興奮冷めやらぬまま翌日もチケットを取り、さらにその後もう1回おかわりし、計3回映画館で大号泣する羽目になった。
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』という邦題通りのストーリー。
インドで迷子になってしまった、生まれつき発語のない6歳のパキスタン人でイスラム教徒の少女シャーヒダー。
話せはしないけど人の会話はよく聞いているし、人の行動もよく見ているし、好奇心は超旺盛(だからこそ迷子になるのだが)。
そんなシャーヒダーが出逢ったのは、真っすぐで嘘のつけないパワン、またの名をバジュランギ。
彼は敬虔なヒンドゥー教徒で、ハヌマーンという渡猿の神を信仰している。
少女を親元へ帰すため、異国人・異教徒のふたりがインドから国境を超えてパキスタンへと向かう……というお話。
ストーリー自体はいたってシンプルなのだが、道中さまざまな壁にぶち当たる。
ビザもパスポートもないふたりは、インドからパキスタンへ密入国。
もちろん、国境の柵を越えた瞬間に国境警備隊に銃を突きつけられるがバジュランギは嘘がつけない。
国境警備隊の隊長から「見なかったことにするからさっさと行け」と事実上の見逃し宣言をされても、「あなたから許可をもらうまではここから離れない」と真っ直ぐに言い返す。
このバジュランギという男は馬鹿正直で、まったくもって嘘をつけない。
信仰しているハヌマーン様に嘘をつくわけにはいかない、というのがバジュランギの信念なのだ。
結局、バジュランギに銃を突きつけていた国境警備隊の隊長は観念して彼に「許可」を与えた。
その後(これもまた馬鹿正直に「インドから密入国しました!」などと言ったがために)警察に捕まるが脱走。
逃走中にバスに乗車するのだが、ここでもまたすべてを話してしまうバジュランギ。
ここでは運のいいことに車掌が「あなたみたいな人が両国にいればいいのにね」と言い協力してくれることとなり、また、元々は特ダネ目当てでそのバスに潜伏していた記者チャンド・ナワーブも彼の話に感銘を受けて旅に同行することになった。
バジュランギは頑なに嘘をつかない。
ただシャーヒダーを家へ送り届けたい、その行いには嘘偽りも何もなく正しいことなのだから。
もうそこはうまく誤魔化しなよと、時に焦ったくもある。何度も「ああ、もう……」とシャーヒダーと一緒に額に手をなりたくなる。
だが、その歯痒いほどの真っすぐさに、人々の心は少しずつ動かされていき、その「人の心が動かされる瞬間」が連鎖していくことで、最終的に大きな世論の声となり、インド・パキスタンの政治的・宗教的な隔たりを壊していくことに。
そしてその中で、バジュランギ自身も心を動かされる瞬間がある。
バスの車掌に案内され、うっかりモスクで一晩を明かしてしまったバジュランギたち。ヒンドゥー教徒として許されざる行為に、慌てて外に出るバジュランギ。そこへムスリムの学者がやってきて、中に入るように促す。
異教徒だから、と頑なに拒むバジュランギを笑ってこう言うのだ。
「モスクは誰でも歓迎する。だから鍵はかけていない」
この学者がとても良い人で、警察から追われている彼らを匿い、アドバイスをしたり、はてには彼らを変装させて安全な場所まで送り届ける。
そして別れの時に学者は一行の旅路をアッラーに祈り、それに戸惑うバジュランギ。
彼からすれば異宗教の祈りなのだから、軽率に受け入れるわけにはいかないのだが、その戸惑いに気づいた学者は「ラーマ万歳」とバジュランギの信仰している宗教での挨拶をし、にこやかに去って行く。
その行いにバジュランギはぽかんとしてしまう。
対立している異教徒が理解し合い共存するということは、無宗教の我々が想像するよりはるかに難しいことなのだろう。
しかし「シャーヒダーを家へ帰す」という目的のもとでその境界線があえて曖昧になっていく。
特徴的なのが、パキスタンの聖廟でのシーン。
ナワーブとの会話の中で、願いが叶うことで有名な聖廟があると知り、そこへ行くことを提案するバジュランギ。
今までの彼からは考えられない提案を前に驚くナワーブに、バジュランギは言う。
「この子の親が見つかるためなら、なんでもする」
シャーヒダーがムスリムだと知った時に「騙された」と反射的に騒ぎラスィカー(婚約者)に「6歳の子ども相手に何言ってんの」とピシャリと怒られたバジュランギが、モスクで目覚めた瞬間慌てて飛び出して自ら進んでは中に入ろうとしなかったあの彼が、シャーヒダーのために異宗教の聖地へ足を踏み入れると言ったのだ!
そしてその聖廟には、時を同じくしてシャーヒダーの母親も祈りに来ていた。
(このタイミングでは運悪く出逢えなかったのだが)
涙をこぼしながら願掛けする母親も、疲れて眠ってしまったシャーヒダーを優しく抱えながら異宗教の神に祈るバジュランギも、願うことは同じ。
大切な人のために祈るという行為に、宗教の境界は必要ないのだ。
この後バジュランギ一行は再び警察に追われるのだが、最後はナワーブにシャーヒダーを託し、バジュランギは自身が囮となって警察の目を引くことで彼らを逃す。
結果、シャーヒダーは両親と再会したのだが、その事実も知らされないままバジュランギは警察に捕まりスパイの容疑をかけられる。
この窮地に陥ったバジュランギを救ったのもまた、彼に心を動かされた人々によるものだった。
チャンド・ナワーブが聖廟でネットにアップした動画が全世界で拡散されていく。
バジュランギとシャーヒダーと一緒に旅をしながらその様子をビデオカメラに収めていて、何か情報収集できればと投稿したものだ。
テレビ局に話を持ち込んでみたが話題性の欠如という理由で一蹴されていたのだが、ネットでその動画はじわじわと拡散されていき、世論を動かしていく。
もちろんその世論の動きが気に入らないパキスタン当局は、何がなんでもバジュランギに自白を強要すべく拷問を続けるのだが、ここにもバジュランギの信念に心を動かされる人がいた。
拷問を指示していた警察官は、インド側からバジュランギのアリバイが取れたことを受けて当局へ確認するが、「とにかくバジュランギに自白させろ、さもなくばお前はクビだ」と宣告される。
そしてこの警察官は自らの行いに疑いを持ち、国の誇りのためバジュランギを解放しインドへ帰国させようと考え、彼からの連絡を受けたナワーブが再び世論に訴えかける。
バジュランギはスパイではなく、迷子だったシャーヒダーを家に送り届けるために国境を超えてやってきたのだと、道中の映像とともに語るナワーブ。
「皆さん、国境の検問所に集まりましょう。バジュランギを無事に国へ帰すために!」
その動画は再び瞬く間に拡散され、ラスィカーたちはもちろんのこと、バジュランギたちが旅路の中で出逢ってきた人々もその様子を知ることになる。
帰国当日。
動画が拡散され、国境集まった両国の群衆たちによって検問所は破壊された。
もうバジュランギの行く手を阻むものは何もない。
バジュランギとナワーブもここで再会し、シャーヒダーが無事に両親の元へ帰ったことを知らされる。
「またパキスタンへ来いよ! 次はビザの判子をもらってな」
熱い抱擁を交わした後、ナワーブがバジュランギに言う。
その言葉に頷いた彼は、群衆が「Bajrangi Bhaijaan(バジュランギ兄貴)!」と叫び続ける中をインド側へ一歩ずつ足を運ぶのだが、ここで、パキスタン側の群衆に向かってバジュランギが、ムスリムの祈りのポーズを取った。
道中で出逢ったムスクの学者がしたことを、バジュランギも同様にして見せたのだ。
ハヌマーンへの信仰、その信念だけでここまで来たバジュランギ。
その姿に感銘を受けて異国人・異教徒の自分を受け入れてくれた人々に対して、相手の宗教を理解してその挨拶をする。
そこにはイスラム教とヒンドゥー教という二つの宗教の対立はなく、ただ相手のためを想うという気持ちだけがあった。
国境沿いに集まる群衆の中でインド側から婚約者のラスィカーが「パワン!」とバジュランギの本名を呼び、それに反応するバジュランギ。
その後、群衆の間を縫うように掻き分けて国境の際まで辿り着いたシャーヒダーが、ついに言葉を発する。
シャーヒダーが叫んだ「mama(おじさん)」は、迷子だった彼女と出逢った直後に「もし話せるようになったら僕のことをこう呼んでね」とバジュランギが伝えた、特別な呼び方だった。
婚約者のラスィカーは彼の本名で「パワン」と呼び、シャーヒダーは「おじさん」と叫ぶ。
バジュランギが心から愛するふたり。どちらも彼にとって大切な人たち。
群衆が「Bajrangi Bhaijaan(バジュランギ兄貴)!」と叫んでいる中、このふたりだけが違う呼び方をするのがとても良かった。
最後、「ラーマ万歳」と叫びながら飛び出してくるシャーヒダーをバジュランギが抱きかかえて映画は終わる。
バジュランギのまっすぐな信念が、ナワーブの熱い語りかけが、こんなにたくさんの人の心を動かしたんだな……と、終盤はもうずっと涙が止まらなかった。声を出さないようにするのに必死になるくらい。
圧巻のハッピーエンド、思わず立ち上がって拍手を送りたいところをぐっと堪えた。
まっすぐな想いが周囲の人々の心を動かし、大きな渦となっていくその展開がとても好きだった。正直者が馬鹿を見ることも少なくない世の中で、この映画においてはその正直さがインドとパキスタンという対立した国を一歩近づけるきっかけとなる。
正直者が報われる結末でよかった。
個人的にはチャンド・ナワーブのこともかなり好きで、彼自身はかなり柔軟な考え方のできる人間なのだが、その中で自身が「報道者として」協力できることを見出すのが良かった。
登場シーンのナワーブは少しポンコツのように描かれていて、でも最後はその彼が熱く熱く語りかける報道によって世論が動く。
こちらも先ほどの正直者が報われるのと同じで、不器用でも真面目に仕事を続けている彼が、バジュランギを国へ帰すための一連の流れの中で、大きな役割を担っているところが良い。
あとはナワーブの報道を国境警備隊の隊長がニュース番組で知り、微笑むシーン。
彼は国家に対しては背いたことをしたのかもしれないが、人としては正しい行いをしていたのであって、そのことを彼自身が知る機会があったのだという事象が描かれていて良かった。
結局、3回映画館で観て、3回とも大号泣した。
エンドロールが流れている最中、涙でぐしゃぐしゃになりながら周りを見渡すと同じように泣いている人たちが見える。
映画館で映画を観ることの醍醐味はこれだよなぁ……と、カラカラの喉に氷が溶けて薄くなったコーラを一気に流し込みながら思う。
まったく知らない人たちと同じタイミングで涙を拭ったり、同じタイミングで笑ったり、同じタイミングで息を呑んだり。
ね、ね、ここすっごくいいよね! 泣いちゃうよね! だよねーー! と心の中で勝手に共感する。
サブスク配信が当たり前になって、家で誰でも気軽に映画を観れるようになって、日々の忙しさを言い訳にわたし自身も映画館から足が遠のいていた時期があったのだが、やはり映画館はいい。
観終わった後、同じスクリーンにいる全観客にハグしたい気持ちを抑えて、不審者にならないように家路を急いだ。
わたしは3回ともひとりで観たのだけれども、改めて誰かと観たい映画だなぁとしみじみ思った。
そしてたしかに誰かに勧めたくなる映画だ、とも。
バジュランギがシャーヒダーを想う気持ち、そしてその姿に心を打たれた人々がバジュランギを想う気持ちと同じように、誰か大切な人と一緒に同じ涙を流しながら観たい、そんな映画だった。
インドとパキスタン、ヒンドゥー教とイスラム教。今もまだ続く対立の中で、いつか、こんな映画が必要だった時代もあったねと世界中で言い合える時が来ますように。
以上、現場からチャンド・ナワーブがお伝えしました。