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世界で一人でも見てくれたらいい

note 更新101日目


もう連続更新終わりにしようかと思ったが、どうにもそんな気分にならなかったので少し書く。



よくnote記事で見かけるのは

100日連続更新したら何かが変わる

と言う先人達の記事。

中には

・仕事に繋がった。

・本になった


少しそれに何かの期待や可能性を感じたのかもしれない。

だが、実際は

特別何も変わらない。

昨日の記事がいつもより見られたり、反応があった訳でもない。

そんなものだろう。

ただの一般人にそこまでの評価がある訳がない。

それはなんとなく分かっていたので、そんなもんかなと思う。

別に自分をそこまで落としてるわけでもない。



途中でスキすらされなくなり、ほんのちょっとだけ落ち込んだ。

それがこの記事だ↓↓↓

ネタ的に同じように感じた人いるかなと

内心期待はしていたので、全く何も無く、打ちのめされた感覚ではあった。


けど、不思議とちょっとだった。

以前ならなんでだー!と記事すら消していたくらいの承認欲求が酷かった。

多分だが、

noteの人達は他と何かが違う。

あくまでも私の主観だ

義理や見返り求めてやる人は他のツールに少ないように思えた。

その証拠に私にはフォロワーさんが奇跡的に何人かいる(この場を借りて御礼申し上げます)


だが、誰もフォロバはしていない。

にも関わらずまだフォローされている。

過去にも何人はフォローされたが、何もしなかったらすぐ外された。

これは、考え方だろう。

私も昔はフォローしたらフォロバが当たり前だと思っていた。SNSは義理の世界。

別に必要性を感じないとある時から思った。

その人の何かを追いかけたい。

とか特別そういうのが無ければしなくてもいい。

と思った。

現に私は興味あってもあまりフォローとはせず、

スキをするのみだ。

緩く繋がりたい・・・多分それに尽きる。


こんなこと言ったら完全に邪道かもしれないが、

フォローフォロワーと言う関係が窮屈なのは事実だから。


そもそもその関係性がよくわからないのも事実だ。深く考えるものでもないだろうが。


繋がりの形はそれぞれでいいだろう。

と話がそれたが

noteの人達は熱いものを秘めて書いている人が多い。

と言うより、私の何かに響く記事を書く人がたくさんいる。




だから私はnoteを続けている。

いつか私の書いた記事が誰の心に届いて

何か感じて貰えたら。

そんな風に時々思う。

だから毎日は書かないかもしれないが、

今の思いは伝えたい。

下手でもいい。別にその道をプロを目指してる訳でもない。

書くことが好きだから。

それでいいんだ。






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