人は1人では絶対に生きていけない。
まだカレーが残っているのだが、
何か違う辛さのものが食べたくなった。
カレーはまた火を通せばいけるので、
冷蔵庫の中を見たら 急いで消費したいキムチがあったので、即席キムチ炒飯をつくって食べた♪
とにかくすぐ食べたかった。超お急ぎ!!だったのでいろんなものは入れずに、基本の調味料で炒めたくらいの超シンプルなもの。
いただきます♡
美味しかった〜ごちそうさま♡
食べながらまた何やら降りてきた。
園児の頃、給食の時間になると保育士から、
「給食をつくってくれた給食のおばさんに感謝を伝えましょう!手を合わせて…いただきます!」。
そうして大人になったから、
いただきます、ごちそうさま、は目の前のごはんをつくってくれた人への感謝だと潜在意識へ染み付いていった。
もちろん給食をつくってくれた方、
家で毎日ごはんをつくってくれた母、
飲食店でごはんをつくってくれた店主さん、
それらだけでなく、この食材をよくみれば
野菜、肉、お米、調味料…
これらも誰かがつくってくれたもの。
肉は動物からいただいた命。
つくってくれた人にはもちろん、
もっと広い視点でいろんな対象やへの感謝の気持ちを持つ必要があると感じた。
よくよく考えてみれば当たり前のことだが、
私たちが生きていく上で食欲は切り離せないものであり、
忙しい日常を生きていると そんなことは忘れてしまっている。しかも1日3食とすると、お腹に入れるだけの機械的なものになってしまうこともありがちだ。
いただきます。ごちそうさま。は、
もっと広い視点での恵みや、携わってくれたいろんな人への感謝のことだ。
昔からベジタリアンだとか、菜食主義って言葉もあり、宗教的背景等いろんなことがあるが、
そういえば肉を食べることはかなり減った。
が、決して意識して減らしたわけではない。
気がついたら肉を食べることは減ったが、嫌いになったでも避けているでもない。
ジャンクフードを食べたくなる日だってあるし、
ガッツリお肉を食べたくなる日もある。
そんな時はごく普通にいただいている。
食べたいものは食べたい。それに我慢をする必要はないと思うから。
けれど、当たり前に手に入るものを私たちは食べている日々で、
もう少し広い視点で物事を捉えることで、
見知らぬどこかの人や、命を与えてくれている存在。
多くの存在、それを当たり前にいただける環境にあることへの感謝が足りてなかったように感じた。
感謝を持てるからこそ、一口ずつ味わって食べること、幸せ感を感じることができる。
目の前に出されたもの。
それはお金を出しているのだから当たり前…ではなく、当たり前ではない環境もあること。
感謝しながら、いただく。
これまでと食べること、食事というものに対しての価値観もきっと変わっていくのだと思う。
食べ物に限らず、身につけているもの、
日常の中での消耗品。
受けているサービス。
全てのものに対して、いろんな形で携わってくれている人たちがいる。
だから私たちは「当たり前に」日常生活を送れていること。
人は1人では生きていくことはできない。
目に見える形で何かをしてくれたとか、そんなことだけではなく
目には見えなくともいろんな人のおかげで、
日常を生きられていること。
今や当たり前になっているスマホも、昔はそんな便利なものは存在しなかった。
便利すぎる故に、目に見えない繋がりを忘れて
形のあることばかりに意識を囚われがちという弊害はあるが、ここではその視点は置いておいて。
たとえ孤独な生き方をしていたとしても、いろんな形で
どこかの誰かや何かのエネルギーをもらって生きている。
離島で自給自足のサバイバルライフだったとしても、
自然の恵みをいただいている。
お金を払ったのだから当然…ではないこと。
感謝の気持ちを持って生きていきたい。