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「類似性の高い形状」を架け橋としてシーンをつなぐように見せかけて、敢えてつながない ~「左耳」から「右耳」へ

公生「僕は……ピアノは止めたんだ」

アニメ「四月は君の嘘」(第1話)


◆概要

【「類似性の高い形状」を架け橋としてシーンをつなぐように見せかけて、敢えてつながない】は「シーンとシーンのつなぎ方」に関するアイデア。


◆事例研究

◇事例:アニメ「四月は君の嘘」(第1話)

▶1

物語冒頭にこんなシーンがある。

・Step111歳の少年が、コンクールでピアノを弾いている。彼の名は公生。本作の主人公である。その演奏は素晴らしい。まさに天才。子供とは思えぬ腕前だ。たくさんの客が聴き入っている。画面には公生の真剣な表情や、鍵盤を叩く指先などが映る。

・Step2:しばらく後、カメラは公生の左耳に近づいていった。左耳がアップで映る。

・Step3:……と次の瞬間、場面転換。14歳になった公生の右耳がアップで映し出された(つまり、Step3の3年後の世界だ)。とある中学の音楽室、公生はピアノの前に座り、楽譜にペンを入れている。


▶2

ご注目いただきたいのは、Step2から3へのシーン移行(「公生の左耳」→「公生の右耳」)である。

一見すると、「11歳の公生がコンクールでピアノを弾くシーン」と「14歳になった公生がピアノの前で楽譜にペンを入れているシーン」が、「耳」の映像を架け橋としてスムースにつながれているように見えるのだが……じつはそうではない。

むしろその真逆。


だってそうだろう。スムースにつなぎたければ「左耳から左耳へ」、あるいは「右耳から右耳へ」と移行すべきなのだ。ところがここでは「左耳」と「右耳」がつながれている。

このズレ……!

「あれ?どうして『左耳から左耳へ』、あるいは『右耳から右耳へ』という移行ではないんだ?その方が自然だと思うんだけれど」「敢えて左耳と右耳をつないだのは何か意味があってのことかな?」と首をひねった鑑賞者も少なくないと思う。

つまり、左耳と右耳という「よく似ているが確かに異なるもの」を架け橋としたことで、このシーン移行には何か違和感が漂っているのだ。


▶3

じつは……いろいろあって、14歳の公生はもうピアノを弾いていない

「音楽を聴いて楽譜に起こす」というアルバイトをしているのでピアノの前に座ることはあるが(Step3がまさにその場面)、しかしそれだけ。彼はもうピアニストではない。コンクールにも出ていない。

そう、11歳の頃とは違うのだ!


「左耳から右耳へ」というスムースならざるシーン移行は、この断絶、すなわち「『11歳の公生』と『14歳になった公生』の人生が連続していないこと」を示唆していると考えられる。

逆に言えば、「左耳から左耳へ/右耳から右耳へ」というシーン移行ではダメなのだ。それではスムースすぎる。「11歳の公生」と「14歳になった公生」の人生が連続しているように感じられてしまうだろう。


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