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【わたしがいる場所】 ~不登校児だったわたしの本当の居場所を見つけるための旅路~

こんにちは!100歳図書館の事務局メンバー【ライター担当】えっちゃんこと柴田 惠津子です!

今回ご紹介する人生最高の1枚の写真
わたしがいる場所
~不登校児だったわたしの本当の居場所を見つけるための旅路~

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こちらは60年以上前に撮影された家族写真。家族の皆さん、キリッと決まっていますね。

持ち主は、セーラー服を着ている、当時小学1年生の浅香 文惠さんです。(写真前例右)

当時、お嬢さま学校に通いながら「この場所は、わたしがいる場所じゃないな」と思い、不登校へ……。

幼いときから意思が強く、おてんばだったという文惠さん。そんな文惠さんに対して、お母さんはとても厳しい指導をしていたのだそう。

学校や家庭での居場所に違和感を感じて悩みながらも、自分が信じるほうへ舵を切っていく文惠さん。

現在は、悩みを抱えている人たちの居場所にもなって、不登校の子どもたちの社会復帰に向けた支援活動や、思春期の子どもや親、人間関係に課題を持つ方向けのカウンセリングなどを行っています。

文惠さんが自分の居場所を見つけるまでの葛藤や、ありのままの自分を受け入れてくれる人たちとの出会いなど、現在のキャリアにつながる原点をお聞きします。

もし、今いる場所で生きづらさを感じて悩んでいる方も、ぜひお手に取って読んでみてくださいね。

お写真に込められた文惠さんの想いを2021年3月27日 「つながる100歳図書館」で語っていただきました。
この記事では、そのエッセンスをまとめてご紹介していきます。

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お嬢さま学校に入学。でも、“ここじゃない”とはっきり確信していた

- お写真に写っている文惠さん、とても凛とした表情をされていますよね。このときの状況について教えてください。

こちらの写真は、わたしがちょうど小学校に上がる6歳ごろ、家族で撮影した記念写真になります。写っているのは、父(写真後列中央)、母と妹(写真前列左)、父方の祖母(写真前列中央)、母方の祖父(写真後列右)です。

当時わたしは、家族のすすめもあって、地元で有名なお嬢さま学校に幼稚園から通っていました。

でも「この場所は、わたしがいる場所じゃないな」って幼稚園を卒園するころには思っていたんですよね。

わたしはおてんばで、いたずらっ子だったので、「ごきげんよう」という挨拶をする子どもたちとは合わないなぁという気がしていたんです。

小学3年生の1学期まで学校に通っていましたが、我慢も限界に達して体を壊してしまい、不登校になってしまいました。


- 幼いときから自分がいる環境に違和感を感じていたのですね。不登校になって自分を貫いていくことは、大変なことも多いと思います。文惠さんはどうでしたか?

自分の意思を貫いていくためには、かなり苦労しましたね。

母は、不登校になったわたしを、精神に異常があるんじゃないか、怠け者なんじゃないか、って疑いました。

あるとき、母の知り合いだった心理学者の先生方のところに連れていかれまして。

お会いした先生方はこう仰いました。

「普通の女の子以上に活発だけど異常はないですよ。ただ、お嬢さま学校の環境には向いていないから、とにかく学校を変えなさい」と。

おかげでやっと母も納得してくれて、このまま同じ学校に通わずに済みました。その後、美術を学んだり、転校したりすることができたので、わたしは心理学者の先生たちと出会えて変われたんです。

ただ、意思が強いわたしへの母の指導は、とても厳しかったです。

「あなた、それだけ自立心が強いのであれば、家のこととか、銀行回りのこととか、わたしの代わりにやりなさい。それらができなければ、あなたはわたしに対して主張できないですよ」と言われていました。

10歳になるかならないかくらいのときには、銀行や市役所などに1人で行くこともありました。職員さんたちには「子どもが来るところじゃない」と言われて困ることもありましたが、なんとか、自分で用事をこなしていましたよ。


- 文惠さんはお母さんの厳しい指導についてはどう思われていたのでしょうか。

子ども心としては、嫌でした。

わたしのなかでは、どうして母に愛されないんだろう、母は本当にわたしを生んでくれたのかなぁ、って思っていましたが、自立心が育つためには必要なことなのかもしれないという気持ちもありましたね。

でも、早く親元から離れたいという気持ちもずっとありました。


美術にふれることが心の支え。周りの人とつながり、足りないものを補うことで自分の世界が広がっていく

- 不登校になって、すぐ美術を学びはじめたんですよね。美術に興味を持ったのはなぜでしょうか。

友達が美術の教室に通っていて、おもしろそうだったので、やりたい!と思ったんです。

母は厳しいながらも、絵を描くための材料費、書籍代などはいくらでも出してくれましたので、月謝を出してほしい、と頼んで、美術を学びはじめました。

美術のなかでも、とくに、前衛美術(既成の芸術概念や形式ではなく革新的な表現をめざす芸術の総称 ※デジタル大辞泉より)と、現代美術(20世紀以降または第二次大戦以降の美術 ※デジタル大辞泉より)は、自分の心の状態を表すことも多いので、とても惹かれましたね。

もともとフロイト(オーストリアの精神科医/精神分析の創始者 ※日本大百科全書より)と、シュルレアリスム(人間の精神を解放する具体的な方法を模索したことから超現実主義とも訳される ※知恵蔵より)という美術の一派が密接に関わっていたともされています。なので、わたしのなかでも心理学と美術は関わりあうものでした。

こうした美術にふれることは、当時のわたしにとって大きな心の支えになりましたね。


- 美術というものが、当時の文惠さんの心のなかにあるいろんな違和感や気持ちと向き合い、自己表現できるものにもなって、生きる活力になっていたんですね。また、当時の文惠さんには心の拠りどころになった人たちもいらっしゃったのでしょうか?

家族以外の方々がわたしに愛情をかけてくださったのもすごくよかったと思います。

ちょうど母の大学の先輩が家の近くに住んでいて、わたしを可愛がってくださったんです。25歳くらいになるまで、いろんなことを教えてくださいました。

それから、小学6年生のとき、商社に勤めていた父親の転勤で、海外で生活したこともありまして、現地の日本人の方が親代わりになって寄りそってくださったこともありましたね。

こうやって周りの人たちがサポートしてくれたおかげで、わたしは無事に育つことができたのも多分にあります。自分に足りないものを周りで補っていけば、自分の世界が広がっていきますよね。


これからも好奇心いっぱいに、若者育成などに取り組みたい

- 今は、不登校の子どもたちへの支援やカウンセリングなどを通じて、人々の居場所にもなっている文惠さん。今いる場所で生きづらさを感じて悩んでいる方、不登校になっている方に向けて、メッセージがあればお願いします。

わたしは、心理学者の先生方の言葉と、絵のお稽古に行って美術を学びはじめたことが、現在の仕事や活動に活きています。

そういった経験をふまえると、絵を描くことや縫物など、手を使うことを取り入れてみると、人生における新しい発見ができるんじゃないかと思います。

とくに、不登校になっているときには、朝早く起きること、体を動かすこと、手足を使うことは、おすすめです。

不登校になると、夜遅くまで起きてしまい朝早く起きられないときもあると思うので、朝起きて、ラジオ体操などをして体を動かしてみて、まだ眠かったらもう1回寝てみるというのも、コンディションを整えやすくなるのかなと思います。

それから、農業のボランティア活動に参加して、土に触れたり、体を動かしたりするのもいいかもしれません。

こういったデジタルではないものに触れていくことも大切にしながら、完璧でなくてもいいので、手を使う何かをやってみるということも試してみていただければと思います。


- 2021年現在70歳。文惠さんとして、今後チャレンジしたいことはありますか?

絵を描くことや手芸、若い方たちを育成する教室、ブログなどで発信していることを何らかの形にまとめることなどをやっていきたいですね。

50年以上経ってから、わたしの人生を変えてくれた心理学者の先生にお会いする機会がありまして、先生はこう仰いました。

「自分の意思を通したがるところなど、ちっとも変わっていないね。女も男も関係なく活動する人だよね。本当はそういうことを望んでいたんだよね」と。

それから、わたしの祖母は70、80代になってからいろんなことをはじめた人だったので、わたしもまだまだ大丈夫っていう気持ちもあります。

これからも好奇心いっぱいに、取り組んでいきます。


- 文惠さん、お話くださりありがとうございました。小さなころから、自分の「違和感」から目をそらさずに向き合いつづけてきた文惠さんの意思の強さ、それを認めてくれる周りの人たちとの出会いなど、とっても素敵ですね。ソーシャルキャピタル(※)という言葉もありますが、人や地域、社会とのつながりが子どもが育つ過程においても重要で、足りないものを補えることもあるんだという気づきもいただきました。

※ソーシャルキャピタル:社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを表す概念。抽象的な概念で、定義もさまざまだが、ソーシャルキャピタルが蓄積された社会では、相互の信頼や協力が得られるため、他人への警戒が少なく、治安・経済・教育・健康・幸福感などに良い影響があり、社会の効率性が高まるとされる(デジタル大辞泉より)

執筆:柴田 惠津子


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浅香さん

浅香 文惠さん プロフィール

好きな言葉「チャンスの神様には後ろ髪がない(前髪しかない)」

1951年2月20日生まれ、70歳(2021年現在)
千葉県浦安市在住
不登校経験とアートの知識を活かし、不登校の子どもたちの社会復帰を支援する仕事・活動などを行っている。思春期の子どもや親、人間関係に課題を持つ方などを対象にアートを取り入れたカウンセリング、書籍『文惠絵セラピー』を出版するなど活動中

浅香文惠 公式HP: 
http://fumie-therapy.com/

これまでの活動略歴:
・小3で不登校になり、美術を学びはじめる
・前衛美術や現代美術を中心にアーティストとの交流を持つ
・10代のときに父親の転勤でインドと東パキスタン(現バングラデシュ人民共和国)での生活を5年間ほど経験
・文化学院大学部美術科卒業
・若手のアーティスト育成・プロデュース活動を行う
・放送大学教養学部の発達と教育専攻を修了。通信制の鹿島学園高等学校のサポート校経営、東京福祉専門学校での講師など、教育の仕事を行う
など

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