【読書感想文】ジェイムズ・エルロイL.A四部作について。
RTGです。いつも大変お世話になっております。
タイトルの通り読書感想文です。今回のお題はノワール(暗黒小説)の大家、ジェイムズ・エルロイの代表作『L.A四部作』について。
初めてこの作家を知ったのは中学生の頃でした。自治体の図書館で目にした『アメリカン・デス・トリップ』という著作がきっかけです。
やたら不穏なタイトル、そして表紙を飾るマフィアのモノクロ写真を目にして、やだなー怖そうだなーこんなの絶対読めないなーと稲川淳二ばりに怯えていたのが原初の記憶です。それから20年以上の時が経ち、後述する書き手さんの影響により読んでみたという次第。
22年の年末にほぼ完成させていながら公開していなかったので何でだよ加筆してアップロードします。
ブラック・ダリア
1930年代~50年代のロサンゼルス暗黒街とそれにまつわる凶悪犯罪、そしてロサンゼルス市警の腐敗と警官たちの暗闘を描くノワール・サーガ。通称『暗黒のL.A四部作』その第一弾。
……大仰に言っといて何ですが、あんま印象に残っていないんですよねコレ。『四部作』とか銘打たれてる割にはその後の話との接点が少ないのと、他の三作に比べて登場人物や物語の狂気が薄いのが要因な気がします。
いや、キャラや物語が薄いと言ってもあくまで相対的な話です。むしろそこら辺の小説を基準にすると全然濃いしイカれてる。ただ何だろうな、他の三作に比べて良くも悪くも”まとまっている”感が強かった。
2人の名物警官が猟奇殺人の解決に奔走し、その過程で互いの心中深く根ざすトラウマや狂気が掘り起こされる。それが本作の大筋なんですが、追うべき線/次元が単一なんですよ。追う事件はあくまで1つだけ。キャラの濃い複数の主要人物と、1つだけでもヤバイ級の凶悪犯罪が3つも4つも複雑に絡み合う後続作に比べると、やべえモノを読んだという感触は薄い。”まとまっている”という表現を用いたのはそういう理由です。
つまらんと言ってるわけじゃありません。むしろ全然面白い。一定水準はゆうに超えてる。あくまで四部作の第一作目という意識で読むと物足りなさを感じるだけの話です。その意味では、一つの完結した物語として読むのがこの作品の無難な読み方かもしれないなと思いました。
少なくとも「読んでよかった」とは間違いなく言い切れます。重厚で陰鬱な物語でありながら読後感はビターに爽やか。極端なグロ描写も特にないので、わりと人を選ばず勧められる小説かなと思います。
ビッグ・ノーウェア
L.A四部作第二弾。
熱意が空回り気味だけどめっちゃ切れ者のアップショー、息子の親権を争う裁判のために名声を欲するコンシディーン、カネと女のために破滅的なシノギを繰り返す元警官バズ・ミークス。これら三人がLA市警の共産党狩りプロジェクトに駆り出される、そんな話。
あと、裏主人公のダドリー警部補が本格的に動きはじめます。裏主人公って言ってもこの物語限定じゃないんですよ。四部作全部の裏主人公。
陽気で気さくで有能な、人間味あふれるロスの英雄。でも本性はえげつない人種差別主義者。悪党ひしめく本シリーズですが、その中においてもこいつは別格です。悪党じゃなくて悪意。それも底無しの。
足掛け20年以上に及ぶ四部作の歴史は、そのままダドリーの暗躍の歴史です。作中の悲劇はだいたいこいつのせいと思っておけばOK。
第二弾だけど四部作の実質的スタート作です。『ブラック・ダリア』の説明で述べた、複数のキャラと複数の凶悪犯罪が入り乱れる作風が確立されたのもここから。
面白い。複雑だけどめっちゃ面白い。単一でもヤバい事件がいくつもいくつも入り混じった結果、スケールも濃度も激ヤバ級の真実が浮かび上がるストーリーテリングにゾクゾク来る。
主人公格三人の描写も良い。それぞれが異なる目的や欲求を抱えていて、それを果たす事が今後生きるために欠かせないという逼迫した状況に置かれている。
欲望の描き方が濃いんですよ。各々の行動原理の説得力がクソ強い。複雑極まる事件の渦にそんな奴らをぶち込んだらそりゃ面白いに決まってるわと。
創作界隈で言う”キャラ立て”とは、必ずしもキャラクターの人となり全般の描写を指すものではないのではないか。そのキャラクターの本質、そいつが自身の人生を生きる上で欠かせないもの。つまり欲望を一点突破レベルで煮詰める事も、強烈なキャラ立ちを成立させる一つの手段ではないか。そんな事を読みながら考えました。
話が逸れたので戻すと、自分は四部作でこれが一番好きです。他三作に比べて全体的に主人公サイドが劣勢なんですが、陰鬱なだけに終わらない読み味がある。何というか”もののあはれ”感が強くてそれが良い。ラストシーンは今でもたまに脳内で反芻してる。
あとアップショーの被疑者取調べシーンが良かった。暴力を一切用いず、それでいて万力でギチギチ締め上げるような容赦の無い尋問はダークヒーローの描写としてカッコ良すぎる。ふだんはドジっ子のくせに。
LAコンフィデンシャル
L.A四部作第三弾。
上昇志向の強いエリートぼっちゃんのエクスリー、腕っぷしも正義感も強すぎる危険人物のバド、飄々と振る舞いながらも後ろ暗い過去をひた隠すジャック。各々が担当する3つの重大事件を巡り、3人の間で繰り返される反目と駆け引き、騙し合い。
関連性の見当たらない事件と、決して相容れない3人の警官。裏切りと暴力、そして協力の果てに浮かび上がるのは、数々の犯罪が複雑怪奇に絡まって織りなされた巨大犯罪のタペストリー。根深すぎる闇を白日の下に晒せるか。そんな話。
面白い。面白さの肝や理由はビッグ・ノーウェアと重複するので省きますがんまあ~面白い。あとダドリーおじさん絶好調。相変わらず悪意が底無し。こいつを見てると人間の業しか感じない。
あと長い。文量もそうだけど作中での時間経過が長い。確か6~7年くらい。
キャラも事件もクソ多いこのシリーズでですね、そんな長大なスパンの話をされると正直困るんですよ。何がなにやらわかんねえとなる事うけあい。実際自分はそうなりました。何なら下巻の1/3以降はふいんきで読んでいたまである。職場の昼休み限定でちまちま読み進めてたのも一因でしょうが。
話が少し逸れますが、この本は97年に映画化もされていまして。
アカデミー賞は同期の『タイタニック』に総ナメされたものの、実際こっちの方がタイタニックより上なんじゃないかという声も未だに根強いとの事。超気難しい事で有名な原作者エルロイが、本作視聴後に監督をディナーに招いて激賞したとの逸話もあるとか。
そういう評判なら期待できそうだと思い、自分もアマプラで視聴してみました。
率直に言うと、面白さだけで言えば原作の方が圧倒的に上です。
ただ確かにこの映画は面白いし、それ以上に凄い。何が凄いって情報の取捨選択が凄い。
だってどう考えても無理でしょ、解決まで6~7年を要した複数の事件が絡み合う犯罪小説を2時間映画にまとめろだなんて注文は。でもこの映画はその無理難題にビシッと回答している。長大な原作の諸々をカットしまくりつつ、物語の本筋と本質はガッチリ押さえ切っている。おかげで原作を1ミリも知らなくても普通に楽しめる(何なら読まない方が楽しめるまであるかも)。
控えめに言って神業。そりゃエルロイも絶賛するわと視聴して納得しました。原作は読むのにクッソ時間がかかりますが映画なら2時間で十分楽しめます。未視聴の方は上のリンクから是非。
余談ですが、自分は一弾目の『ブラック・ダリア』を読了後、『ビッグ・ノーウェア』でなくこっちを二弾目と勘違いしてそのまま読了しました。
ネタバレのため伏せますが、本作の冒頭はいきなり【ピーーーーーーー】から始まるんですよ。その後でビッグ・ノーウェアを読んだ時の衝撃と言ったらなかった。もちろん悪い意味で。
それでも両作ともに楽しめましたけど、やっぱり正規の順番で読みたかったですねえ。錯覚いけないよく見るよろし(by某将棋プロ棋士)。
ホワイト・ジャズ
L.A四部作第四弾、完結編。
弁護士資格を持ちながらマフィアや殺し屋とのパイプを持ち、自らの暴力行使も一切厭わない悪徳警官クライン。職務上の不始末から窮地に追い込まれ、LA市警内の暗闘にも巻き込まれる。のたうち回り血を流し続けながらも、クラインは真実と己の生き残る道を探り続ける。そして、四半世紀に渡り悪逆の限りを尽くしてきたダドリーの行く末は。そんな話。
長い。最終章だけあって長い。『ビッグ・ノーウェア』と『LAコンフィデンシャル』は上下巻ですが、それに引けを取らないかそれ以上のボリューム。証拠に現物(本棚の一部)の写真を貼ります。
いや分厚いわ。
明らかにLAコンフィデンシャル上下巻とほぼ同じ厚さ。クッソかさばる。文庫本持ち歩き勢からしたらギリギリアウト判定。なんで上下巻にしてくんなかったのかと真面目に問いたい。問い詰めたい。
言うまでもなく面白い……面白いんですが、内容以前に文体が人をかなり選ぶ。
百聞は何とやら、とりあえず現物を見てもらいましょう。シーンは物語冒頭。ノミ屋の拠点をLA市警が取り締まろうとするも、警官の一人が威嚇用の弾でなく散弾をぶっ放して修羅場になるくだりから。
どうすか。すごいっしょ(語彙力)。
『電文体』『クランチ文体』あるいは作者の名前そのまま『エルロイ文体』とも呼ばれる表記法。これが本作最大の特徴です。
単語や短文の駆使に始まり、/や=等の記号での接続、果ては大文字すら平然とぶち込む特異極まりない文体。初見の人はまず間違いなく目をひん剥いて驚きますが、その後の反応はたぶん2パターンに分かれるんじゃないでしょうか。即ち、しかめっ面で拒絶するか、目を輝かせて肯定するか。自分はもちろん後者でしたが。
何と言うか、圧が凄いんですよ。紙面の圧が。
接続詞を排したのちに/と=で繋がれた単語と短文の羅列。ルール違反なまでに切り刻まれた文字の群れが尋常じゃない疾走感と情報密度を生み出している。紙の上をブワーーーッと暴風が吹き荒れているような感触。事象を単語だけで描写しているのも、読み手に想像を委ねている分かえって、そして極めて映像的。
目にした瞬間一発で惚れましたよ。うわあああ何だこりゃ今までこんなん見たことねえカッケエーーーッッ!!!!! って。
ただ、繰り返しですがやはり人を選ぶ文体です。合わない人には合わないと思う。この文体をカッコ良いと感じる自分でも、そのスピード感についていけない事がしばしばあります。
読んだ当初はアクションシーン限定の描写方法だと思ってたんですよ。そしたら全然違うの。シラフの時でもほぼこんなん。
ああー超カッケエ。でも読んでてまあー目が滑る滑る滑る。
ただでさえ登場人物も事件もクソ多いのに、平時のシーンでもリズム感MAXの文体を使われるともう何がなんだかわかんねえ。まるで音楽を聴くように文字を目で追うしかなくなる。文意を咀嚼する暇もなく、ただただ目の前の文字の群れをゴクゴク飲み続ける感覚。これ本当に読書か?????
まあ何だかんだ言っても話の大筋は掴めます。何より、本作に詰め込まれたノワールのエッセンス──暴力、策謀、悪意、狂気etc──を過不足なく、しかも土石流のような勢いで読み手に伝えきれるのは、やはりこの文体しかあり得ないとも思う次第です。普通の文体だと不必要にウェットなものになりそう。
と言うかね、この大ボリュームの物語を通常の文体で書いたらそれこそ上下巻待ったなしになるんですよ。読みきれないし持ちきれねえ。鉄鼠の檻じゃねえんだから。
余談①読み始めたきっかけ
L.A四部作の書評は以上ですが、これを読み始めた理由も書いておきたいと思います。
これまでも何度か言及していますが、自分は摩撫甲介さんという方の文章が大好きです。下に貼った作品は逆噴射小説大賞というコンテストの応募作ですが、そのラストを読んだ時に一発でファンになりました。勝手で申し訳ないですが抜粋します。
もうね、度肝抜かれましたよ。何じゃこりゃこんなんありかっつって。
単語しか書いてないのに意味は伝わる。むしろマンガに近いレベルでスピーディーに映像が流れてくる。ラストの「衝撃。ガラス。」に至っては、クルマの衝突とフロントガラスが砕け散る有様がありありと想像できる。嘘だろ、たった2つの単語しか使っていないのに!!!!!
ちょっと想像、というか思い出してほしいのですが。
誰しもそれまで聴いたことがない、それでいてツボに刺さる音楽を聴いた時にテンションがブチ上がった経験があると思います。体の奥に眠るエネルギーがドワーッと、あるいは滾々と、止めどなく湧き上がってくるあの感覚です。
自分が抱いた感動は、それと全く同種のものだったんですよ。いやこれはやべえわ、こんなファッキンクールな文体がこの世にあったんかと。マジな話ですが体が震えた。一生忘れられない読書体験です。
その後摩撫さんの作品を読み漁るうち、ある記事にて「エルロイをパクった電文体」との自評が目に留まりました。
電文体を味わうなら『ホワイト・ジャズ』だけでも良かったのですが、せっかくだしL.A四部作を全部読んでやろうと。で、全部読んだんなら感想文を書いておこうと。そういう経緯でした。
摩撫さん、名作を教えていただきありがとうございました。完。
余談②創作へのフィードバック
以上も余談ですが、以下はもっと余談。上記の逆噴射小説大賞に関する話になります。
影響されやすいタチなもので、自分でもこういう電文体チックなのを書いてみたいと思いました。そうして出来上がったのがこの作品。
2、3年前に書いたものですが、今読んでもけっこう面白い(自画自賛)。あと書いてて楽しいですね、こういう短文の連弾は。でもこの記事を書いてる現時点ではこういう書き方を封印しています。
色々と扱いが難しいんですよ。文体として自分のモノにしない限り、単なる体現止めの羅列と捉えられかねないので。よしんば会得できたとしても摩撫さんの後追いでしかない。尊敬しているからこそ安易にマネる事はできないのです。
実際、今回の逆噴射小説大賞でも摩撫さんはすごい作品を発表されました。
エグい。めっちゃハラハラする設定。
以前摩撫さんが言われていた「逃げ場のない地獄に主人公が追い込まれる様こそノワールの醍醐味」という言葉がとても印象に残っているのですが、マジでそれを地で行ってる。持ち前の電文体やそれに類する短文の畳み掛けも相まって、焦燥感がハンパなく焚きつけられる。わかっちゃいたけどやっぱりすごい人だった。
そういう凄腕のパルプスリンガー(パルプ小説の書き手)と渡り合う。その意味でも、やはり単なる後追い、同じ道を辿ることに終始してはダメなのです。
電文体のリズミカルさと映像が浮かぶ様子を目標にしつつも、体言止めの濫用にならないよう文章の形を整える。ジャンルもノワールとは似て非なるピカレスク、悪党のキャラ立ちを楽しんでもらえる軽妙な作風にする。
ここ1〜2年はそういう具合に、自分の嗜好に忠実でありつつも摩撫さんとは別のスタンスを確立しよう、自分なりの持ち味を出そうと模索していた感があります。以下の2作品は、多かれ少なかれそういう意識の産物です。
万事においてそうですが、尊敬できる人がいるということはつくづく嬉しく、かつありがたいものです。これからも時間の許す限り読んで、書いて、摩撫さんのようなすごい書き手に近づきたいと願って止みません。
今度こそおしまいです。長文にお付き合いいただきありがとうございました。気が向いたらまた読んでやってください。
それでは、また。