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他人からの印象は私自身が作っていた!

自己肯定感が低くて自分に自信がないから、初めての場所へ行き、初対面の人と会うのは怖かった。相手からどう思われるだろうかとそれが心配で。人から良く思われたかったから。

だから私は「自信のない自分」を隠して平静を装い、好かれようと愛想をよくし、ふとした一瞬の表情にも気を配り、常に気を抜かず、更に沈黙が怖くて話しまくるので、酷く疲れた。

そんなことをして好かれるようになるのか、というと、私は元々話すことは苦手で何を話したらいいかも分からなかったから、結局は自分のことばかり話して、結果、別に嫌われはしなかっただろうけど、また会いたいという強烈な印象は残せなかったと思う。


多くの人は、自分の話しを聞いて欲しいものだから。


私も話すのが苦手なら聞き手に徹すればいいものを、どういうわけか話しまくる。これは沈黙が怖いから、だけではないような気がする。好かれたいと焦って喋りまくり、そのくせ相手と分かれた後、嫌ぁ〜な気持ちが残るのだ。


話しすぎたな・・・って。


まったく、相手に良い印象を与えるどころか、ひとりでとっ散らかってる状態に嫌気がさし自己嫌悪になる。だから人に会うのが益々、苦手になっていき「私は話すことが下手で、苦手なんです」と自ら人に言って聞かせる。

初めにそんな先入観を与えられた相手は、そういうフィルターをかけて私のことを見るので、私がすることの一つ一つの解釈が「この人は話すことが下手」に結びつけ、それが私への印象となるのだ。


出来事というのは、捉え方で赤にも青にも、なる。


と言うことはもしかしたら、人によっては話しまくる私のことを「話しが上手だな、楽しいな、話すのが好きなんだな」と思うかもしれないのだ。


自分が苦手だと思っていたことが、人からみると優れていると思われていることは、実際にあることなのだ。





私の友達にすっごい美人がいる。よくここまで芸能界に見逃されて生きてきたねって思う程の美人。でも彼女にそれを言うと、一生懸命に首を横にふる。必死に否定するわけだけど、ここまでの美人だと、とはいえ美人だよ!という印象に変わりはない。

ただそれとは別に(自分に自信がないのかな)という新たな印象が生まれる。


逆にまあまあ美人な人が、キレイですねと言われても否定せず「ありがとうございます♡」と答えたなら、最初の印象よりもっと上の美人に見えてくる。肯定されたことで「確かに美人だ」と思えるし、自分が褒めた言葉を素直に受け取られたことで、気持ちもいい。

結果「自分に自信を持った美しい人」という印象になる。


ここで上のまあまあ美人な人が「そんなことないです!」と否定をした場合、せっかくまあまあ美人なのに、それを聞いた人は「確かにもっとキレイな人はいるし、そこまでの美人でもないか」と思ってしまい、最初に感じた美人レベルが、下がるのだ。

結果「まあまあだけどそれほど美人ではない人」という印象になる。


子供のこともそう。「ウチの子は忘れ物が多くて」と言っていると(◯◯ちゃんは忘れ物が多いんだ)と相手にインプットされる。実際、「ウチの子、字が汚くて」という話しを聞くと(そうか、◯◯ちゃんって字が汚いんだ)と思ってしまわない?


つまり、他人からの自分の印象は、自分自身で作っていたのだ。


私が、コンプレックスがあること自体を悟られないようにと、積極的に行動してきたのも同じ。

「私はコンプレックスがあります」と言うと(あの人はコンプレックスがあるのか、どこだろう)と、コンプレックスの存在をわざわざ知らせることになるから、そこに目がいかないように、それを匂わせないように先回りして「自信がありそう」に積極的な行動を取っていたのだ。

私はそれを意図的にしていたワケではないが、無意識にそんな勘が働いて、コンプレックスへ視点が向かないように、他を際立たせていたのだろうと思う。自分を守るための、動物的勘、なのだろう。自分でも拍手だ。

ただ、それはある意味成功していたのだが・・・心は無理をさせられ続けていたので、結局は40歳も過ぎてから、壊れてしまったわけなのだけど。。


だから、他人からの自分の印象は、自分自身でも作れる、と断言する。

好きなように誘導することもできる、と言いきれる。


ふだん自分が自分のことを思っているのと同じように、相手は自分のことを見る。だから自分がいつも自分のことを低く言っていると、人も自分のことを低く見るようになる。そして、軽く扱われるようになってしまうのだ。


これは実に勿体無いことだ!!


だったらばそれを利用する。自分で自分のことを「よく美人だって言われるんです〜」とは言えないだろう。たぶん、日本でそれはやめた方がいいし。だったらまずは、否定することを、やめる。

「美人ですね」「オシャレですね」「頭がいいですね」など誰かに褒められた時「そんなことないです!」とか「私なんて全然だめです」と言いそうになるところを、グッと堪える。

「いえ、こんなの500円で買ったんですよ〜」と安物自慢も、しなくていい。すると(安いものばかり着ている)という印象になってしまうのだ。それがたった1回キリのことであっても!

例えば会社の同僚の口が臭かった時、たった1回「臭い」思いをしただけでも(あの口の臭い人)という印象を持たないだろうか?

だから謙遜し否定したい気持ちをグッと堪える。「ありがとうございます♡」が言えなくても、否定さえしなければいい。なんなら、肯定もしなくていい。

ただ、無反応だと人は良い気持ちはしないので、反応はした方がいい。

黙ってニコッとするとか、ちょこっと頭を下げるとか、少し下を向いて恥ずかしそうに?するとか、そうかなぁ〜照、みたいな顔をしていればいい。それで「ありがとう」が伝わるから。


とここまで書いておきながら、これも大事なことなので書いておきます。
まず、できません。今までついつい、褒められると否定してきてしまった人ほど「否定しなければいいんだ!」と知識として頭に入っていても、現実は否定してしまうことが殆ど。

でも、それでいい。むしろそれが、普通。
長年、慣れ親しんできた習慣がそう簡単に変えられるワケはないと、できなかった自分にもOKを出す。

逆に急に無理なチカラで変えたとしても、それと同じくらいのチカラで、今度は元に戻るチカラが働く。

だから「習慣を変えるには時間がかかる」ということを理解した上で、1歩進んで、2歩下がる。また1歩進んで5歩下がる。あこれじゃダメだ、でも仮に一時的に後退したとしても、それでいい。

それは経験となって、必ず、前に進む時が来るから。公文だって、時には今よりレベルを下に戻して復習を入れることがある。そうすることで、重ねれば重ねるほど、その部分が強くなる。

ミシンでも、返し縫いをすることで、そこがほつれないように強くする。

そういう私だって先日、着ていたワンピースを素敵だと褒められて「でもこれ1000円だったの!」と安物自慢をしてしまった。買い物上手だと思われれば良いが、出来事の捉え方は、人によって赤にでも、青にでもなるのでね。


・・・なんだか話しがあちこち飛んでしまったが、要は、繰り返せば繰り返すほど、その部分を確実にクリアできるようになる、ということだ。もう振り返らなくてもよいくらいに。目をつむってでも、できるくらいに。

その時は必ず来る。だから、結果を急がないこと。失敗してもOK、次はきっとできる。けど次も失敗した、それでもOK。

「失敗した」と自分で認識ができている限り、前進しかない。

何もしないよりはずっといい。自分を売り込まなくてもいい、褒めなくてもいい「ありがとうございます」が言えなくても、初めのうちは、いい。

階段を、5段飛ばしで登ろうとはせず、段差の低〜い階段を、長く長く登るつもりで、そうしてじっくりと時間をかけて変えることに成功した習慣は、もう、元には戻らない。私もまだ、登っている途中。

まずは「自分を否定しないこと」


できる。








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