見えない遺産
「あなたの感覚は普通ではないわ。何かあるはず」
と言われたのは、もう4年も前。
配達先のお客様からの、突然の一言。
根掘り葉掘り聞かれるままに答えていると、母方の曾祖父のことに。
曾祖父は、私が高校生の頃に亡くなっている。
お客様が仰るには、曾祖父やその周囲の関係性が、私を培った根っこの部分にあるとのこと。
「悪いことではないから、大事にしてね」
とも仰られた。
曾祖父は、子供の頃、眼に籾殻が入ってしまい、眼が見えなかった。
町に行くときには、まだ小さかった孫である伯父を背負って、伯父の指示を受けながら走っていったと聞いている。母も手を引いたと。
曾孫の私は、小さい頃は男の人が怖くて苦手で。祖父が喋れば泣くような子供だったから。曾祖父にもあまり近づかなかった。
それでも、幼稚園くらいになるともう平気になって。日中は、曾祖父が庭に出ようとすれば草履を揃えてあげて、手を引いて、一緒に庭を歩いたりしてた。
大きな掘りごたつの一番奥の席が、曾祖父の定位置。常にそこに座ってた。
曾祖父の使うものは全部、その側にあるテレビの脇に纏められていて。一番大事なのはラジオ。それで、浪曲や常磐津、講談、落語、相撲を良く聞いていた。時々唸るような感じで、浪曲を唄うこともあった。
時々、祖母が、新聞を拡げ曾祖父に前掛けをかけて、髭や髪の毛をバリカンで刈るので、その準備や後片付けを手伝ったり(邪魔したり?)。
「じいさま、さっぱりしたっすなや」って。終わると祖母が口にしていたのを思い出す。