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私たちは村上春樹にはなれない_2024/03/18
久しぶりにこの本を読み(聴き)返したら、なんだかんだやっぱり良いなと思った。
わたしは札幌大通駅の南北線入り口近くにある文教堂書店で村上春樹の本に出会った。「ねじまき鳥クロニクル」が平積みされてあり、”鳥”と”クロニクル”からファンタジーかな?と思い手に取ったのを覚えてる。
早速読んでみると、主人公がパスタを茹でていると知らない女が電話してきて、突然卑猥なことを言ってくる。思った話と随分違う。
まだ高校生でそういう耐性がなかったので、(バスの中で白昼堂々卑猥な本を読んでると思われたらどうしよう…!)と周りを見回した。
想像した形とは違ったけど、地下にもぐったり形而上的には冒険のようなことが起きて、何とも言えない文体が好きになった。
数冊の本を何度か繰り返し読んだ。今でもアイロンをかけると「どんな髭剃りにも哲学はある…」と思い、死のことを聞くと「死は生の対極としてではなくその一部として存在する…のか…な…」と思うし、いるかホテルのカビっぽい匂いを感じたり、くたびれた毛皮の羊男が近くを歩いてるような気がする。やれやれと言って射精したりはしない。
「走ることについて語るときに僕の語ること」も以前読んだ記憶があったけど、改めて読み返すとその静かな印象は変わらず、孤独を愛してて、すんごく走ってる。フルマラソンに毎年出る。ウルトラマラソンにだって出て、一時的に熱が冷め、またゆるゆると走り出す。
同時に、この年になると余計に強烈に「こりゃーなれないな」と思う。いやなろうとはみんな別に思ってないと思うけど、その生活は魅力的に映る。
規則正しく早朝に起きて、朝から数時間集中して仕事をしたらもう仕事は終わり。ランニングをして、健康的に野菜たっぷりのランチをして、昼寝して、音楽を聴いたりしてゆっくり過ごす。ジャズとか聴く。しかもハワイで。本を出せば売れて生活には困らず、なるべくメディアを避けて過ごす。仕事もかなりの割合1人でやってるように見える。
こんな風になりたいと思ったことはない?!
こっちのエッセイは今回初めて読んだけど、長編小説を書くときには毎日きっちりと10枚原稿を書き、やっぱり毎日走っている。
たぶん原稿の合間にXなんて見ない。LINEも家電Watchも見たりしない。どうだろ?
誰に強制されるでもなく10枚書くと自分に課せてそれを守り、一度書き上げた原稿を何度も何度も書き直してる。こんなことはできないね。
そもそもこちとら走ることなんて好きじゃない。
テニスは大好きだけど、コロナ禍で少しテニスできない時期にやったランニングはただただ義務でしかなかった。夜になると(今日は走ろうと思ったのに走ってない…)いう罪悪感だけが募った。ちっとも好きになれなかった。
ラジオだって編集そんなせずに殆ど撮って出しで出しちゃう。
1人だけで決めたルールなんて碌に守れない。
パッと色々思いつくけど、地道にコツコツ継続するのは得意じゃない。性質が違う。
それでも、今期の売上とかCVRとかリカバリとか毎日毎日そんな話ばかりしてると、孤独で静かな生活を夢想して良いなと思っちゃう時がある。