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小説【お立ち寄り時間1分】除夜の文

子どもの頃、除夜の鐘が鳴ったら外に出てはいけないとキツく言われていた。夜の神様に拐かされるよ、と。今思えば、実家が繁華街の目と鼻の先にあって、ごろつきがウヨウヨしていたから、一種の子ども騙し、みたいなものだったのだろう。

それが、本当に拐かされてしまうとは夢にも思ってなかった。

「すみません…」
「あ、新入り?」
「えっと…」
「好きな紙と筆、選んで」

目が覚めると、行きつけのカフェにいた。
こじんまりとした秘密基地みたいなカフェで、仕事の合間によく通っていた。しかし、些か様子が気になる。他にお客さんがおらず、店長さんもいない。

「ここって、カフェですよね」
「そう見えるなら、そうなんじゃないの?」
「そう見えるって…」
「私には、大好きな我が家に見える」

どうやらその人によって見え方が違うらしい。状況をうまく飲み込めずにいるのが伝わったのか、彼女は、紙と筆を机の上に置いた。

「さっさと書いちゃってよ」
「書く…」
「あっちに行く前に、手紙を出せるんだよ」
「あっち…」
「ここは、あの世とこの世の間だよ」
「え…」

彼女は、気だるそうに向かいの席に腰掛ける。胸元からキセルを取り出すと、気持ちよさそうに紫煙をくゆらせた。

「え、死んだんですか」
「そう思うなら、そうなんじゃないの?」 
「…そんな曖昧な」
「年末だし、さっさと書いとくれよ」

このお気に入りのカフェに似た場所は、あの世とこの世の間らしく、どうやら死んだかもしれないみたいだった。もしかしたら、ここで手紙を出した後、三途の川を渡るのかもしれない。ちょっと、怖いな。

「この後、三途の川なんでしょうか…」
「そう思うなら、そうなんじゃない?」
「……教えてくれないんですね」
「で、書いたかい?」

彼女は、みかんを上手に食べ終え、緑茶をすするとぐーんと背伸びをする。肩で切り揃えられた髪が玉虫色に規則的に揺れる。どこかでみたことがある色だ。

「おやおや、真っ白じゃないか」
「……何も思いつかなくて」
「白紙じゃ、出せない決まりだ」

そう言って彼女は、カフェの扉を開ける。
カランコロン、と何度も聞いた音なのに、耳鳴りみたいにざらつく。扉の向こうは真っ暗な闇で、何も見えない。嫌だ、怖い。

「……怖い」
「そう思うなら、そうなんじゃないの?」
「……さっきからそればかり」
「悪いけど、最後は自分で決めるんだ」
「……でも」
「私にできることは、こんな風に背中を押すことだけだ」

そう言って彼女は、思いっきり背中を押した。どちらかといえば、突き落とされた。漆黒の闇の中に。

「うわああああああああああ」
「もう来るんじゃないよ」
「まだ死にたくない!!!!!!!」

思いっきり叫ぶと、闇の中に小さな光が見えた。必死で闇を切り裂くようにその光に向かって足を動かす。ふわふわと浮いていて、進んでいるのか分からない。

それでも。

まだ死にたくない。
まだ死にたくない。
まだ死ねない!!!


気がつくと、見慣れない白い天井が見えた。
ピピピ、と規則的な機械の音が耳の中でこだましている。体に適度な重みを感じて、横を向くと泣き腫らした君が手を握っていた。肩まで切り揃えられた髪と玉虫色のスカート。

「……ただいま」

ぼーん、と遠くで除夜の鐘が鳴った。


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