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独生独死

 「独生独死」という仏教用語がある。

 文字通り……人は独りで生まれ、独りで死んでゆくという意味だろう。

 これではあまりにも寂し過ぎるというので……一人とは全員、みんなのことであるという迎合的解釈もあるが、僕は案外文字通りに捕らえている。

 これまで、何度も記事にした覚えもあるのだが……結局人間というものは、親子であれ恋人や夫婦であれ、友人であれ……心底理解することは不可能であり、こいつと一蓮托生という潔さには……余程の妥協がなければ、甘んずることは出来そうにない。

 そう。「信頼」の背後には、いくら否定したくとも「懐疑」の念が黒雲のごとく垂れ込め、……払い尽くすことは難しい。

 性格が悪い……と指弾されそうだが、余程の能天気でもない限り、相手の心の裏に一切無関心でいられる道理はないはず。
 信頼ている友の、ふとした言動や、言葉のニュアンスによって……チラと相手の暗黒部を瞥見してしまえば……信頼がいかに自己欺瞞的な誤魔化しであったかは、一目瞭然だろう。
 僕にして、何度も何度も経験してきたことなのだ。

 要は、いかに「信頼」の絆が強かろうとも……妄信的にでもならない限り、信頼の上に太鼓判を押すことは叶わないだろう。

 無論、妄信も相手が「神」とあれば話は別だが、一端信頼の絆が切れれば、信者としては失格である。

 まあ、「神」相手では相手がデカ過ぎるが……少なくとも、手近な人間に対して「信頼」を置きたいと考えるのは当然の成り行きながら……まず、その前に考えることがあるはず。

 相手を知るにはまず自分から……という諺がある。 
「禅」の方では「脚下照顧」と言う言い種もある。

 もし、これを本気で実行しようとするなら……たぶん仙人にでもならなければ、一生かかっても到達は不可能に違いない。

 言うまでもなく、人間一人の心の中というのは、たった一人の確固たる人格が住んでいるわけでは断じてない。

 酒を飲んで人格が変わる人間などザラにいる。温厚な人間が暴力的になったり、禁欲的な奴が、途轍もない好色漢に変じたり……しかも時には、自らの変身の有り様を全く覚えていないというご都合主義もマレではない。

 疑いようもなく……人の心にはいろんに人格がひしめき合い、闘争を繰り返しているのだろう。

 それでも我々は、社会生活のルールを一つの法して、反社会的な人格がのさばることを否定しようとするはず。まさしく、人の心とは一つの国家と言っても言いすぎではない。

 では、心の中、誰がリーダーになるのか?

 これも一筋縄ではゆかない。取り合えず、社会的ルールに背かない限りは、真面目で平凡が一番という人もいれば、夢のために全ての欲望を否定する人、根っから人生を捨てる厭世的、あるいは自己破滅的人まで……民主的に考えるならば、誰がリーダーになってもおかしくはない。

 結局のところ……国家がそうであるように、社会的ルールとのすり合わせによって、それなりの妥当な人格がリーダーにのし上がり、それが意識する所の自己を主張するのだろう。

 しかし、これ叉国家のシクミと同じく、一端リーダーになると、己の派閥を増やし、敵対する意見を持つ組織や個人の排除にかかるものだ。
 これが極端になると、禁欲的宗教家が、のさばる色欲を断罪するために羅切(ち○ぼこ切り)をも厭わないといった事態に陥るかも知れない。

 くだくだと書いてきたが……要するに、僕は自分の心にどんな人格がどんな状況で潜み、革命の機運を狙っているのか全く把握できないのだ。

 その渾沌こそ我なり……と開き直ったにして、……それこそ相手の渾沌など、いっそう計り知れない道理である。

 まあ、国家同士の付き合いも詰まる所妥協的同盟であって、どちらかの国家の政権が変われば敵対することも別に不思議ではないのだ。

 ましてや人間同士……友人といつ喧嘩分かれしても不思議ではないし、酔っぱらった時のあいつとなら付き合えるという場合もあるかも知れない。

 やれやれ……結局の所、我々は自分の心を知るだけで手いっぱいなのだから、表層的な社会的ルールを逸脱てまで相手の心の深部に探りを入れるなど、……それこそ宇宙の無限を探索するに近い話である。

 独生独死

 やはり人間は、独りで生まれ、独りで死んゆくのだろう。

 

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銀騎士カート
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