故野中広務先生の誕生日に思うこと
今日10月20日は私の師の故野中広務先生の誕生日です。先生の誕生日に先駆けて一昨日、お墓にお参りをしてきましたが、本日は所縁のある皆様がお参りをされていることと思います。
私が数社の顧問、コンサルタント業を続けていられるのも、野中先生の秘書をさせていただいたおかげであると野中先生は言うまでもなく、先生をご支援いただいておりました選挙区の有権者の皆様のおかげであると感謝致しております。
私の名前は山田大智。日本に79万人いる名字です。それ故、電話で「山田です」と名乗っても必ず、「どちらの山田様でしょうか?」と尋ねられます。
その様な時も「野中事務所におりました山田です。」と伝えると
すぐにわかっていただけ、その都度、感謝の念に堪えません。
野中先生が引退されて既に20年が経ち、亡くなられて5年が経ちました。野中広務という政治家がいたことを知らない方も増えてきました。先日、「野中広務さんの秘書をしていた人」と紹介された折、「野中さん? 知らない」と仰られた時には寂しい気持ちと共に、容赦のない時の流れに、やりきれない気持ちになりました。
まあ、わざとそう言うことを言う方もおられますが…笑。
先生は自治大臣(現総務大臣)や国家公安委員長、官房長官、自由民主党幹事長などをされましたので、同じ議員秘書をしていても経験できないことをさせていただきました。官房長官の時には、総理官邸の中を、さらに、自由民主党の幹事長の時は、自由民主党の中を見ることが出来、政治の流れや選挙のタイミングややり方など、また、政界の表や裏、そして記者会見で言われていることや外交など中身が、言えないことは多々ありますが、先生がいろいろなポストに就かれたおかげで経験出来たことは私の宝物であります。
20年前に先生が引退されてから5人の議員の秘書を経験させていただきました。それにも関わらず、私をよく知っていただいている方からは、今も野中広務先生の秘書の山田としてお付き合いいただいているのは大変有り難いことであります。
野中先生が政界を引退されて今年の10月で20年になります。政界はじめ日本社会もあの頃と比べると大きく変わりました。仕事を優先して家庭を顧みず、親の死に目にも遭わないのが当たり前とやってきた私が覚えていることをnoteに記しておこうと思い書きはじめましたが、今後も書くかどうか?また、書いていいのか?現在も迷っております。しかしながら、稀代の政治家野中広務を側で見てきた者として、今この令和の時代にこそ、昭和から平成を駆け抜けたひとりの政治家と私が体験し感じていることを書かせていただければと思っております。稚拙な文章ですが、今後もお付き合いいただければ幸いです。
野中広務先生の誕生日に向けて、先生への思いを書かせていただきました。
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