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鍵っ子の戦い。

おはようございます。
救護施設のペーペーです。

今日は全く救護施設とは関係ありません。なんなら福祉とも関係ないです。僕の記憶をチラッと書く、そんなnoteです。

●今でも鍵っ子

僕の家は両親ともに福祉職で、土日祝も両親が仕事のことが多くて、帰ってくるのも早くはなくて、僕は小学生の頃から鍵っ子だった。

今でも鍵っ子って言うのかは知らないけど、子どもが帰る時間に親が家に居ないから、子どもだけでも家に入れるように鍵を持たされてる子どものことで、

そんな昔の鍵っ子と言えば、鍵を通した紐を首からさげたお馴染みのスタイル。

小学生なんて鍵をポッケに入れたら無くしちゃうってんで、靴紐みたいな安物の紐に鍵を通して首から下げるんだけど、

今みたいなストラップなんて無かったから、色が黒か紺色で、汚れて見えなきゃデザインなんて気にしない。

というより、
オシャレなんて求めてないんだよ鍵っ子は!笑

本当に鍵っ子の誰もが、なーんの恥ずかしげもなく首からギザギザした鍵(テンプルキーなんて無かったし)をさげてたけど、

今なんて首からスマホ下げてる小学生の方が多数派だし、付けてるのはオシャレにこだわったストラップだったりするでしょ?

もう長いこと野生の鍵っ子を見つけれてないし、あぁー鍵っ子は絶滅危惧種なんだなーって実感させられる。

現代の鍵っ子は鍵を鞄に入れるのかな?
(当たり前か)

でさ、当時の僕は、例にも漏れずただの紐を首から下げた鍵っ子だったけど、

やっぱりそれが普通だと思っていたし、いや普通だとか変わってるとかも意識してなかったな。たぶん。

鍵って奴は、走れば目の前で暴れ回って危ないし、不意に肌に触れてヒヤッとしたり、鉄棒で逆上がりしたら100%溝落ちに食い込むし、トイレで邪魔だから置いたら高確率で忘れちゃうし、

まだまだ書き切れないくらいやらかしてくれる奴だったけど、ぼくはまぁまぁ上手く付き合ってきたんじゃないかな?(ただの鍵だよ?笑)

とまあ、鍵っ子の生態(?)は置いておいて、鍵っ子だった僕は、鍵を持っててもすぐに家に帰る訳じゃなくて、

友達と外へ遊びにいくし、学童保育にも通ってたから、結構帰ってくるのが遅かった。

●門限の正体

みんなの家でも門限ってあった?僕が子どもの頃って、今みたいにスマホも携帯電話も持ってないから頻回に時間を気にすることもなかったと思うんだ。

そんなもんだから、初めて門限ってものが、僕の人生に到来した時は、街中の時計の位置にめちゃくちゃ詳しくなったよね。

でさ、門限が6時って決まった初日、僕は門限が親との待ち合わせかのように、家に帰ったら親が間違いなく待ってると思っていたもんだから、実は喜んで家に帰ってきた。

でもなぜか家は真っ暗。

鍵も閉まっていて、鍵を開けて中に入ってもやっぱり真っ暗で、なーんにも音がしない。

部屋の中で最初に聞こえた音は、僕が電気をつけたスイッチの音だった。

まぁ、考えたら当たり前だよね。親が門限を守るわけがないし、もともと7時ぐらいにならないと帰ってこなかった親が、門限を決めたからって6時に帰ってくる訳はなかったんだ。

そりゃそーだ。

その日から数日経っても、僕は迷いなく同じように暗い家に帰ってきていたけど、親が先に帰って来る気配は全くなかった。

そして、親が門限を守らないことに気づいた瞬間『こんな門限、誰が確認すんだよ!』って、ランドセルを床に放り投げていた。

そこから僕と親の長い戦いが始まった。

●戦いの幕開け

門限を守ることに疑問を持ったまま夏に入ると、6時なんてまだまだ明るくて、

子どもながらに『まだ遊べるじゃん』なんて思ってる内に門限を過ぎちゃったことがあった。

その日は門限を30分過ぎただけだったけど、家に帰ってもやっぱり親の姿もなくて、鍵を開けた先はやっぱり真っ暗な部屋だった。

でも僕は、その30分で友達とマリオカートが3周もできたし、少年ジャンプのピューと吹くジャガーのオチだけ見ることができた。(オチを見ても意味のわからない漫画だったけど。笑)

そんなことがあってから、『親は7時まで帰ってこないんだから大丈夫』なんて感じで6時30分まで遊んでは、家へ帰ることが増えていった。

でも、やっぱり10回かに1回ぐらいは親が先に帰ってることもあって、当たり前だけどひたすらに怒られた。

たった30分だから、そんなに怒られることはないなってタカを括っていた僕の気持ちとは裏腹に、これでもかってくらい激怒した父親は、もうチビるかと思うぐらい、とにかく怖かった。

どんなに謝っても、家の外に出されて締め出されて、何時間も泣きじゃくって、謝って。

そんな父親は怖くて堪らなかった。(今はそんな影は全くなくて、孫にベタ惚れのじじいだけどね)

とにかく怖かったから、僕は本気で反省するんだけど、その後も親は6時には帰ってこなくて、

じゃあ次はいけるんじゃない?って調子で、また門限を過ぎて帰る日々を続けては、またバレて怒られて、

それでもなんとかならないかって、帰ってくる時間を数分単位で調整して帰ったりしたりもして、5分単位ぐらいで調整しては、バレて、やっぱり怒られた。

結局、中学生になるまでその戦いは続いたんだ。
(部活始めて、門限がなくなった)

今思えば親もそんなクソガキによく付き合ったよね。

●手放したくないもの

思えば、なにをそんなに意地になって挑戦していたのかって思う。

だってたった30分を確保するために、チビるぐらい怖い親のと渡り合うんだから、確実な答えなんてなくて、リスクが高すぎる。

でも、あの時の30分が小学生の僕にとってはめちゃくちゃ怖い親にボッコボコに怒られてでも手に入れたい価値のあるものだったことは確かで、それが何故かはいまも分かんないけど、鍵っ子になってからの6年間は毎日その価値を守るために戦っていたんだろう。

そりゃ何回やっても、どんな工夫を凝らしても、やってることは『バレずに約束を破る方法への挑戦』なんだから、失敗は即説教につながるのは目に見えてて、今になってはもっと合理的な方法もあっただろうと思うけど、

でも、たった30分の価値を手に入れるために頑なに親に抗い続けていた経験は今も僕の中で強く生きてる。だから今回のnoteも書けたわけだし、改めて思い出すと自分で自分が面白いなぁ。

今の僕に、そこまでして手に入れたいものって何かあるかな。大人になると、6年間毎日バッキバキに怒られてでも手放したくない30分みたいなものは、そんなに簡単に見つからないよね。

でも、絶対欲しいよね。

そんな光り輝くもの。

あれ。

そう言えば。

救護施設での仕事が、今の僕には光り輝くものなんじやない?

そうだ、この仕事はnoteを読んでくれるみんなに見せびらかしたい、そんな光り輝くものですよ。

なんてね。(結局、救護施設かよ!笑)

『キナリ杯で面白い文章を』と考えて、やっぱりこのnoteの目的を初志貫徹して、救護施設のアピールする必要があるでしょって結論に至りました。

結局、

バッキバキに怒られてでも、最後まで譲れないものが人生を魅力的にする。

ってのを書きたかった訳です。

伝わったかな?

楽しかった?

最後まで読んでくれてありがとう。

サークルもよろしくね。


またねー^ ^

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救護施設のペーペー
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