筋トレの原点~大学時代の壮絶ロープ登りの話~
初体験:明らかな挫折
僕は大学時代、陸上競技部に所属していた。
種目は棒高跳びをやっていた。
公立高校に通っていた僕は、私立の強豪校から進学してきた彼らの練習に
ついていくことができなかった。
文字通り、本当についていけなかった。
高校までスポーツ・運動はできる方だった。
運動会や体育祭では、クラス対抗リレーを毎回走っていた。
そんな僕にとっては、今までに味わったことのない屈辱だった。
悔しかった。
お前は弱いと。
見ている世界が狭いと。
そんなことを言われているようだった。
日本の学生トップクラスの練習の過酷さを身に染みて感じた。
未熟な僕に気づきを与えてくれた貴重な体験だった。
弱さを自覚したロープ登り
数ある練習のうち、ロープ登りの練習では
体育館の天井からぶら下がった、
高さ約8mのロープを使う。
入部当初
ロープを登る練習など、人生で一度もしたことがなかった私にとって
まず、8mの高さのロープを登ることが怖かった。
ウォーミングアップ
8mロープ×3本のぼる。
足を使うかどうかは自由だ。
僕は2本目で腕がパンパンだった。
僕の練習はウォーミングアップで終わっていた。
メインメニュー
4人でチームを組み、じゃんけんをして負けた人がロープを登るゲーム形式だ。
本数は50本。
僕は震えた。
みんな余裕な表情で楽しそうに練習に取り組んでいた。
メインメニューに入って早々、僕は握力を失いロープからずり落ちた。
手の皮はボロボロだった。
先輩から「そんな手ではロープは登れない」と練習から外された。
外れざる負えなかった。
この時の悔しさが筋トレ人生の原点となる。
その日の夜、
家に帰るなり僕は父に頼んだ。
家にロープをぶら下げたいと。
僕のボロボロの手を見せ、事情を話すと、父は協力してくれた。
父も体育会系で同じ大学を卒業していたが、
特段何か全国大会で結果を残して活躍したとか、県の代表選手だった、などの実績や肩書は無かった。
だから、そういった
「自分の息子が、周りの猛者たちについていけず、悔しい思いをしている」
話には、心打たれるものがあったのかもしれない。
それから数日後。
ホームセンターで買ってきた、単管パイプで格子をつくり
我が家の庭に、立派なロープ練習施設を作ってくれた。
この写真を見てもらうと前回のnoteにて投稿した、父のDIY好きが分かるだろうか。
そして、僕は来る日も来る日もこの手作りロープで練習に励んだ。
しかし、その後話が少し飛んでしまうのだが
僕は部の事情により、選手からマネージャーへと席を移すことになる。
これも話すと長くなるため、ここでは割愛して、別の機会に書くとしよう。
選手を終えても
スポーツ科学生として筋トレは本文だと考えていた僕は、トレーニングを続けた。
一緒にトレーニングをしていた仲間から
懸垂毎日100回と言われれば、それを実行していた。
今思えば、滅茶苦茶でがむしゃらなトレーニングだった。
一般のスポーツトレーナーからしたら「怪我しますよ。」と怒られてしまうかもしれない。
しかし、そんなトレーニングを続けていると
やはり成果は出るものだ。
分かりやすい成果として、大学1年生入部当初55㎏しか上がらなかったベンチプレスは
大学2年生の秋には100㎏上がるようになっていた。
屈辱を味わったロープ登りも
手だけで8m×5本は登れるようになった。
足を使って2本しか登れなかった僕にとっては十分な成長である。
ここでの学び
(あの悔しさがなければ今の自分はなかったということ。)
人の強さの裏には、ものすごい屈辱や挫折があるのかもしれない。
そういう意味では、屈辱や挫折も人を強くしてくれるスパイスとして
ポジティブに捉えることができるといえる。
悔しさが強さに変わるというのは本当だ。
次回(好きな人がいるのであれば、好きと伝えたほうがいい。)という話