わたしのせかいのひみつ(創作絵本の絵抜き※誰か画をつけて下さい…)
わたしのぱぱはね、
かっこいい ほしの かたちなの。
思ったことを はっきり いえるの。
かっこいいでしょ?
わたしのままはね、
かわいい はーとの かたちなの。
かわいいものを かわいいね、って
おしえてくれるのよ。
かわいいでしょう?
でもね、くろいしかくい はこにはいると
ぱぱは トゲトゲがふえて
むしんけい、っていわれちゃうんだって。
ままは、ふわふわうかんで
こどもみたい、っておこられちゃうの。
わたしにみえる
ぱぱとままは
こんなに すてきなのにね。
ふしぎ。
きっと くろいしかくいはこには
まほうが かけられているのね。
このせかいは かがみなのよ。
だから、きらきら ひかる みんなを
きらきら ひかって うつしあって
こんなに かがやいているの。
わたしは このせかいが だいすきなの。
くろいしかくいはこは くろいから きらきらが
もっときらきらにみえるんだよ。
かがみだから
ぱぱがままに あいしてるよって つたえると
ままも ぱぱに あいしてるって つたえて
こころが ぽかぽかに なるでしょう?
そんなとき ままのなかの ままは
いちばんきれいな はーとがたなの。
わたしには みえるのよ。
それでね ぱぱのなかのぱぱは
いちばん かっこいい ほしがたなの。
どうして おとなは くろいしかくいはこに
はいりたがるのかな?
どうして くろいしかくいはこに はいっていると
ひっぱりだそうとするのかな?
くろいしかくいはこは まぼろしなのにね。
わたしはね、じぶんのかたちをしらないの。
でもね、きっと こんなに すてきな
ぱぱと ままの すてきなところをもった
かたち なのは わかるの。
だからね、 ぱぱとままが
だいすきなの。
だからね、この きらきらな せかいが
だいすきなの。
ぱぱとままは かわらなくちゃって いうけれど
わたしは そんな
ぱぱとままは きらきらしているとおもうの。
かがみだから、きっと
じぶんでしろうとしないと みえないのかもね。
ほんとうは
ぱぱが ままをすてき とおもうところは
ぱぱにもあって
ままが ぱぱをすてき とおもうところは
ままにもあるのよ。
わたしには みえるのにな。
わたしはね、いろんなかたちが あふれる
この きらきらしたせかいが だいすき。
noteにお引越ししてから1ヶ月が経ちました。
お陰様で素敵なnoteにたくさん出会わせていただき
発信している方々の「温度」や「お人柄」を感じ、
居心地の良さを日々感じております💕
いつも ありがとうございます💕
自分にとっての「心の秘密基地」となっていて、
noteという媒介を通して、心と心で触れ合える事を
とても有り難く嬉しく思っております。
自分には無い「素晴らしいところ」を発見する度に
素敵だな💕真似したいな💕と「新たな私」のカケラ
をペタペタ貼り付け中です✨
私は現実を「仮想世界」と捉えていて全ての出来事
は「脚本」に従って起きていると思っています。
そして「監督」が選んだ魂が「演じて」いるのを
「観て」自分の「感情」を観察する毎日です。
しかしその脚本や監督に「文句を言いたくなる」事
も起きるのです。せっかく良い気持ちに浸って、
イイ感じだと思っている時に限って、そんな私を
怒らせる人が現れたりします。すると
おい!脚本家!何でここでこんなイライラさせる
展開にするんだ!
私はもう米粒を布類から剥がして、お湯で洗って、
乾くかはらはらしながら夜を待ちたくないんだよ!
と言いたくなったり
もっと頭にきた時は「演者」にまでその「怒り」を
向け、
何で私をこんなに怒らせるんだ!
私は善人でいたいのに!!
きっと悪人だから、こんな事をするんだ!
黒豆煎餅の罠を仕掛けるなんてオソロシイ子!
と怒ったりしている未熟者です。。。
でも、この「私の人生」という作品の「監督」は
私が忘れているハイヤーセルフと呼ばれる「私の中
の私」であり、つまり私自身です。
そしてクレームをつけたくなるようなブルーシート
と呼ばれる「脚本」を書いたのも私なのです。
だから本当は「私が私の幸せを願って」つくられた
ものなのです。
だから、「目の前の出来事」は全て「完璧」であり
「計算通り」なのです。
じゃあ、なにが完璧なのか?
それは、「手放したい感情を見つけ出す為に」
相応しい演者を選出し、相応しい場を設定している
のではないかと思います。
ごく普通の一般人の私には「生まれてくる前」の
記憶は残念ながら無いのですが、もう一人の私の声
は聴こえていて、確かにその私が書いた自覚はある
のです。今は忘れているみたいですが…
それは「地球で体験中の私」にとっては未知であり
恐らく答え合わせは「未来」の出来事で
「生まれてくる前に書いた私」にとっては「過去」
の出来事で既に知っている事なのかも知れないと
思います。
だから、
怒ってもしかたないよね。
何しろもう一人の私なので、私が怒るポイントも
怒りやすいタイミング(空腹)も弱点(空腹)も
知り尽くしているのです。
そしてそれこそが「狙い」であり、その「怒り」に
気付いて「手放す」事を願ってシナリオが作られて
いるのです。
だからこそ
「なんでこんな時に限って…」と思った時
こそ、その脚本家の気持ちを汲んで、一呼吸置いて
「じゃあ、この場面はどんな感情を手放す為に、
設定されたのだろう?」と考えていきたいと
思ってるけどいつもはできないのが私
なんです。それできたら、苦労しないわ!もう既に
神様になってるわ!!と思います。
だから私は、その分「できた時」にたっぷり自分を
褒め称えてあげる事にしました✨そして都合の良い
物事にスポットライトを当てて、都合の悪い物事は
見なかった事にする事にしました。気になる時は、
都合の良し悪し関係なく「観て」満足しています。
スポットライトを当てれば当てる程それが「現実」
に反映されるなら「好み」に合わせて「自分」が
気持ちよくなるなら何でも良いと思っています。
そしてどんな出来事も「共演者」のお陰様で、
「感じる」事ができるので、「一期一会」を大切に
していきたいなと思いました。
誰が何を思うのも自由だと思うし、
自由であるべきと縛られるのも縛られないのも自由
だと思います。
流されて生きる時には「自分の意志」が含まれない
場合もあるかも知れないと思ったので、私は
「流れに乗って」生きていきたいと思います。流れ
に乗る為に流れを「感じて」離れたいと思った時に
はいつでも離れて
私のためだけに書かれた私のためのシナリオ
を楽しんで生きたいなと思います。
私はハッピーエンドが大好きなので、もう一人の私
が書いたなら間違いなくハッピーエンドです💕
でもいつその「エンド」を目撃するのかは知らない
し、そのエンドが「一瞬」なら、エンドに辿り着く
までの「過程」も楽しんで生きたいなと思います。
最後まで読んで下さって
ありがとうございました🙇💕