閑話潔題~我家の変わった清潔ルール~
面白い題名のコンクールを見つけたので、いつもの連載は、1回だけお休みします。
こんなことを「このコンクールの場に書くかくのはどうかな?」と思いながら「でも、どこかに書くならここかな!」と思ったので、やっぱり書いておきます。
なぜ書きたくなったかを先に書いておくと、私の母が去年の8月に亡くなったからだと思います(父は、すでに8年前に他界してます)。父と母親に教えらた「我家の清潔ルール」を私の代で消すわけにはいけないと「ふと」思ったのですが・・・。
そのルールとは、なんと「トイレに行っても、手を洗う必要はない」というものでした。父の説明では「どうせ、お前たちはその後、自転車に乗ったり、砂遊びしたり、ドッチボールしたりして、すぐ手を汚してしまう。そんなら、手を洗うのは無駄だろう」でした。
子ども心に「なるほどそうだな」と私は、合理的なルールだ(と言っても小さいですから、合理的という言葉は知りませんでしたが)と納得したのでした。
もちろん、このルールには続きがあって「その代わり、ご飯を食べる前には、きれいに手を洗いなさい」でした。そうです。うちの両親は食事の前に手を洗うことに関しては、とっても厳しかったのです。(それはもう!)
この清潔ルールに疑いを持つこともなく小中学校と守り続け、高校に進学にしました。(がんばりました)そこで、トイレ関係で2つの批判とういう名の洗礼を受けました。一種のカルチャーショックです。一つは「トイレする」という言葉でした。これも我が家の言葉ですが、みんなから「お前は、お尻からトイレ出すんか」とものすごく笑われました。(そう言われば、変ですよね)
もう一つが「トレに行っても、手を洗う必要はない」でした。周りからは「汚い」と言われましたが、合理的だと言い張って高校でもそのルールを守り通しました。(何と言っても、我家の良いルールですから)周りを見ると、食事の前に手を洗らわない高校生もいました。「その方が、汚い」と言いながら、食事の前にことさら見せつけるように丁寧に手を洗っていました。(頑固な私です)
それから40年経った今も、このルールを守っています。(我家のこのルールを守る最後の人ですから)新型コロナウイルスが流行っても、信念はゆらぎません。トイレの後は手を洗いませんが、食事の前には「キレイキレイ」の泡タイプで時間をかけてそれはキレイに洗っています。お陰で新型コロナには、罹りませんでした。
しかし、先日、孫に言われた一言で、この思念が初めて揺らぎました。孫が遊びに来たので「よく来たね、うれしいよ」と孫のほっぺを手でスリスリしたら、孫から「おじいちゃん、私のほっぺは手を洗ってから触ってね」と睨まれました。(孫は、トイレに行ったあと手を洗わない私を見ていたのか・・・)
急に思念がゆらぎ、次々といろいろなことがフラッシュバックしました。尊敬する大学の井上先生と卒業式で握手したときも、嫁と牧師さんの前で結婚指輪交換したときも、地方自治体で表彰されたときに市長さんと握手したときも、モーニング娘の大島 優子さんとの握手会のときも、ダウンタウンのまっちゃんに出待ちで肩に触ったときも、みんな緊張してトイレに行った後でした。(そうか、よくないことか)
ということで、孫のひと睨みで「トイレに行っても、手を洗わなくていい」という我家伝統のルールは、この文の最初の決意とは虚しく、 私の代で途絶えることになりそうです。(大したルールじゃないけど)