哲学的生活(AM)
今日は『現代思想』の鷲田清一特集のいくつかの論稿を読もう。久しぶりに実家に来て、本棚をざっと見た。いま一番読みたいのはこの本だった。
俄然猫アレルギーで困っているが読んでいこう。
とりあえず加國尚志「鷲田清一とメルロ=ポンティ──「スティル」の現象学」を読もう。たしか(昔、鷲田清一の『メルロ=ポンティ 可逆性』を読んだ記憶を辿ると)「スティル」は「偏差」みたいな意味だったように思われる。なんというか、「偏差」は関係をそれ自体として捉えるような概念だと思うので、もしくはそのことによって関係を成り立たせているものたちをざわめかせるような概念だと思うので、そして私はなぜかは忘れてしまったが(おそらく『イルカと否定神学』を読んだからだと思うが)それが気になっているのでこれを読もうと思う。
特別な始まりではないが、ある人のまとまりを捉えるためにそのある人の背景にあるある人を考えてみる、みたいな始まりはやっぱりいいね。なんでなんだろう。この場合は鷲田清一の背景にあるメルロ=ポンティ。そして背景にする仕方。
実家は雑多だ。たくさんのものがある。森のような感じがする。鬱蒼とした森のような感じが。それに対して私が居候している部屋は海のようだ。本だけが流木のように浮かんでいる。
鷲田清一のメルロ=ポンティ解釈は、メルロ=ポンティから認識論批判的な反二元論的存在論を導き出す、という従来の方向とはちがって、身体的な次元での行為の構造における間主観的な意味発生の偶然性を強調するものであることがわかる。ある意味ではそれは鷲田の問題意識の読み込みの上に浮かび上がるメルロ=ポンティの思想でもあれば、メルロ=ポンティがテクストのあちこちに散りばめていた生の実践をめぐるささやかな言説から獲得された、鷲田自身の思想の萌芽であったともいえる。
『現代思想』第51巻第5号253頁(以下の頁数も特に断りのない限り『現代思想』第51巻第5号からの引用である。)
こういう記述は別に珍しくないが、やっぱり端正な記述だと思う。特に鷲田とメルロ=ポンティの絡み合い、そしてそれを互いにリフレクションする関係に、しかし確実に解釈という活動を挟み込む。テクストとなるメルロ=ポンティと読者となる鷲田清一。この響きあいが、探り合いがこのような表現によって捉えられる。このことのなんて端正なことだろう。この構築を極めて形式的に考えるとすれば、研究史的な対比と研究における対比の揺らぎを二重に示すことで全体がぼわぃんと響く。乾いた音ではない湿潤な音。鳴っているけれど私はその名前を知らない。形式的にならなかった、全然。まあいい。読もう。ここは中間まとめ。ここから「スティル」の話。
うーん、よくわからないなあ。言われていることはわかるが、それが理解できるわけではない。対比もしくは類比のネットワークに入ってこない。「スティル」等々が。
複雑すぎてよくわからない。「無底性」と「一貫した変形」の関係がよくわからない。「一貫した」は「底」になるのだろうか。「変形」が「底」を必要とし、それが「一貫した」ということを求めるのだろうか。
結構途中だが、私はもしかすると私の眼が、そして精神が極めて平面的になっていることをなんとかしたいと思っているのかもしれない。「奥行き」を求めているのである。
緊張と弛緩、均衡と支配、このような対比を私は知っている。例えば私は永井均の議論の展開にそれを感じたことがある。「多重化の概念としての「襞」は、同と他、超越と内在といったような二項対立をもたらす否定=無化ではなく、可逆的な、ちょうど裏返しにされた手袋が元の手袋とは異なりながらトポロジー的には別のものではないような、否定による関係の緊張を維持しながらも両項が反転しあうことで共存しうるような論理がそこで語られることになる。無化としての否定ではない偏差=差異の論理は共存不可能なものの共存というパラドクサルな事態の表現となる。」(258頁)これによって書かれた。引用前の文章は。
昔、鷲田の『メルロ=ポンティ』を読んでいたときはもっとまどろんでいた気がする。私は賢くなってしまった。
加國が引用している箇所、『メルロ=ポンティ 可逆性』の(私が読んだ講談社学術文庫版では)308頁の箇所、私はここでなんというか、とても曖昧に、しかし確実にあの頃の私と繋がった。私もここを引用したことがある気がする。いや、まったく同じ箇所ではないかもしれないが、私は「リヴァーシブルな思考」にかつて取り組んで、いや、感じていた気がする。いまは、どうなのだろうか。
超越的な無限としての絶対的他性、超越的な絶対的外部性あるいは根源的な不在──「超越論的なもの」を維持するために再導入されるこれらの経験不可能な前提──がメルロ=ポンティの存在論には欠けている、という批判に対して、鷲田がメルロ=ポンティと共に語るのは、有限の事実性から離れることなく、局所的な有限の個体の観点から存在論的偶然性を肯定するという視点である。そこでは<存在>の一義性は、この根源的な偶然性による差異化という意味での否定性によって多重化されており、この一義性はその多重性からの遡及によってしか語られない。それはちょうど、見えない水面下で無数の魚がうごめくことで池の水面に多様な波紋が生じて広がりつづけ、水面の表情を無際限に変えていくが、その波紋は池の水と別のところにはない、というのと似ている。
259頁
上で一種のノスタルジーを感じた箇所の直後、加國はこのように書いている。これを引用するために写しているとき、私は「池」ではなく「川」のことを考えていた。昨日川面を見て、そこに揺れる輝きを見て、それが鱗に見えたこと、ざわめいているように見えたことを思い出した。そして「四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら」(俵万智)という短歌を思い出していた。ここに私と鷲田の、もしくは私と加國の違いがあるのかもしれない。
鷲田は臨床哲学へと傾斜していく。先に示したような存在論的で形而上学的な議論なら、理論レベルではどこまでも抽象度を上げることができ、思弁の高みを上昇していくこともできる。その根本において行為論・実践哲学的でプラグマティズム的な鷲田は、それを拒むかのように、哲学分野以外の人々のことばからの引用を散りばめたエッセイを書くようになる。しかしそのような臨床哲学の基本には、今述べたような哲学的思考──超越論的なものは経験的なものとの交差にしかなく、世界の襞を生み出す否定的なものは、経験不可能なものへの飛躍によってではなく、経験そのものに内在することによってしか語られえない、という思考──に支えられたうえでの、純粋哲学や哲学的純粋さへの拒否があることを見逃してはならないだろう。
259-260頁
私は、少なくとも最近の私はここで言われる、「拒否」されていると言われている「純粋哲学」に向かっているように思われるだろう。まあ、私に対して「哲学的純粋さ」に向かっていると思う人に対してははてなが浮かぶが。私はおそらく「そもそも『可能性』はなぜ可能なのか」みたいな、かつてガソリンスタンドで何か作業をしながら考えていたことを入不二基義の極めて抽象的で構造的な思考に助けてもらいながら考えている。それはたしかに「純粋哲学」寄りかもしれないが「哲学的純粋さ」はそこにはない、そんな感じが私はしている。だからある程度は読めるのだと思う。鷲田もメルロ=ポンティも、この加國の論稿も。
あと、これは関係ないこと、というかメタ的なことだが、突然引用してコメントして、また突然引用してコメントして、ということでしか得られない何かがあるな、みたいに思った。思っている。
有限な存在である私たちは、偶然に人と人が出会い、離れていく、そうした偶然性を愛するよりほかには、"この"生を愛するしかたを知らず、世界の途方もない醜悪さを見つめるとともに、偶然に新たな意味が生起しつづけていくその無際限な豊かさに驚くよりほかには、"この"世界を肯定するしかたを知らない。これはメルロ=ポンティの哲学が教えてくれることであるが、鷲田清一がさまざまな著作の根本で一貫して語っていたことでもある、と言っても、そう大きくは、はずれていないはずである。
262頁
私はここで言われていることと"似ている"ことを考えることがよくある。というか、そういう表現に惹かれることがある。例えば私は最近こんな文章を書いた。いや、疑問を書き残した。
森澄雄の「億年のなかの今生実南天」や白蓮の「幾億の生命の末に生れたる二つの心そと並びけり」、志賀直哉が晩年『ナイル川の一滴』で書いたような、そんなに長くないので引用しよう。なお引用は『志賀直哉随筆集』から。「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」(『志賀直哉随筆集』360頁)このような境地、これらに共通する「もののたとえ」性、これはなんだろう。
2024/11/29「誰も知らない生誕祭」
最後の「もののたとえ」性は福尾匠が最近出した三冊の著作(『非美学』、『眼がスクリーンになるとき』、『ひとごと』)で触発してくれたものである。とりあえずそれを置いておくとすれば、私は森澄雄や白蓮、志賀直哉のこの感じが響き、その響きによくわからなさを感じているのである。加國が最後に書いたことにもここで書かれているようなことが書かれているだろう。しかしそれらは極めて重要な点で異なっている。それはおそらく「哲学的純粋さ」における「経験そのものに内在する」姿勢、態勢に私が馴染みきっていないことに由来するだろう。彼らに共感する、共鳴する気分自体を私は哲学的に解体しているのかもしれない。半ば構築しつつ。入不二-永井ラインで。
結局「スティル」や「一貫した変形」はよくわからなかった。ただ、次の箇所はこれからも参考になる気がした。
鷲田清一が、さまざまなテーマで、そのつどエッセイ的な文章を書いているように見えてはいても、その根底のところに一貫して維持されている視座があることがわかる。それは頑固な伝統工芸職人が、さまざまな意匠の作物をしても、その仕事の作法は頑として一徹に変えない、というのと似ている。この一貫性の印象を与えているのは、非人称的な身体が環境や道具や他者との絡み合いのなかで、行為の反復によって(襞をつけるという意味での習慣性=制度化として)獲得したスティルを通じて、端切れのようなもので、目にもあざやかな、これまで見たこともないものを作り出し、世界の襞を織り上げ、世界の相貌を新たなものに変えていく、そんな光景への驚嘆ではないだろうか。鷲田の哲学の始まりにあるのがこの驚嘆の念であるなら、それは鷲田の書いたものが感じさせる、人間や世界への、留保なしではないながらも何かしら明るい肯定感や信頼感と、どこかでつながっているにちがいない。
260頁
まあ、私は「人間や世界への、留保なしではないながらも何かしら明るい肯定感や信頼感」を鷲田の文章に感じたことはないけれども。
まだいくつか書きたいことはあるし読みたい論稿もあるが、とりあえずしなくてはいけないことをしよう。先日頼んだ幸田文の『木』がポストに届いたらしいから取りに行こう。そして歯のあいだに何かが挟まっているので爪楊枝でかき出そう。
先にかき出してポストから茶色い、そして少し硬い封筒を取り出した。そしてそのなかから本を取り出した。そして目次を読んだ。基本的には木の名前が書かれている。「藤」「ひのき」「杉」のように。私は木を見るのが好きなくせに木の名前を知らない。全然知らない。だから目次だけではよくわからない。ただ、私は「木を見る」のが好きというよりもむしろ「街路樹(もしくは単に樹木)と街灯(もしくは太陽光)のカップリング(を仕立てる)」のが好きなだけなのである。おそらく。もちろん「カップリング(を仕立てる)」(こと)に「街路樹(もしくは単に樹木)」の特質がまったく関わらないことはありえないが。
母親が畳の部屋で、暖房のない部屋で猫の写真を撮っていた。猫の毛は輝いていた。最近「冬眠の光まみれのうぶ毛かな」(寺田良治)という句をいいと思った。ただ、なにがよいのかわからなかった。ただ、なんとなくわかるようにはなった気がする。
イヤホンをしていて耳が湿ったので綿棒で拭き取った。トイレにゆく。便座がぬくい。身を清めるように生活をする。別に清貧ではない。部屋には物が溢れている。ただ、精神が起きてきたのか、一つの街に見えてきた。溢れていてあまり動かない物たちは。まあ、物が溢れていることは貧しいことなのかもしれないが。別に私はミニマリストではない。自己正当化の一つであると思う。たぶん。まあ、それをちゃんと遂行できるならそれも一つの美学となる。
次はなにを読もうか。少し軽い、それこそエッセイみたいなものが読みたい、そんな感じもする。西村ユミ「co-presence──ともにあることへの根源的な敬意」を読もう。エッセイかは開けてみないとわからない。この目次は薄い銀色みたいな色をしているので光によって見えにくくなる。太陽光が文字を消す。
あと、読む前に一つ。私はこういう生活をして、さらにはそれを書くことも結構あるのだが、最初に読みたい論稿を列挙することがある。あれは「ほしい物リスト」と同じシステムで、おそらく一日の欲望をひとまとまりにしたい、そしてそれを他日の私にも引き継ぎたいという欲望がそこにはあるように思われる。良くも悪くもない。良くも悪くもあれる。そんな欲望。
エッセイじゃなかった。にこにこ。
身を置くある場所からまなざすこと、そこから関与する、という運動によって意味が生起する。どこに身を置いて記述するのかを忘却すると、上空飛翔的となり、記述から遠ざかった説明になる。つねに生み出されている事柄を、その生起自体に関わりながら、その場所から記述し続ける、終わりのない作業であるのかもしれない。
106頁
これは批判ではない、というか嘲笑でも侮蔑でもないのだが、「終わりのない作業」は一旦終わらないとなににもならない。この「一旦」との向き合い方で「上空飛翔的」であるかどうかが変わる。ただ、そのように思いつつ、「飛翔」したのがわかるならそれはそれでいいのではないか、みたいに私は思う。「哲学的純粋さ」が仮に「飛翔」なき俯瞰のようなものであると考えられるとすれば、そんなことはそもそも不可能であると私は思う。おそらく鷲田もそう思うだろうと思う。続きを読もう。
「現象学的記述」と(福尾が言うような)「批評」(簡単にいえばここでの「批評」は「作品未満」を「作品にする」ことである。)はどう違うのだろうか。そんなふうに思った。思っている。
なんというか、「現象学的記述」とそれに必要不可欠な態勢みたいなものを書いていっている。私は上で「記述」の話をしていたからびっくりした。が、次のようにも思った。私は限定されているのだし、それによってどんなものも面白く読める状態になっているのだ、私は。おそらく。これは自信でも傲慢でもない。ただ単に事実としてそうであると思うのだ。運命を解体しているのである。しかし運命によってもたらされるような力を構築しているのである。私は。
「対象のほうが強いてくる」ような、ある種の受動性によってしか駆動しない方法性。それはなぜ気持ち良いのだろうか。変な問いだし、受動性を受苦性から引き剥がしすぎかもしれないが、私はそんなふうに思う。一つ意地悪な解釈をしておけば、「どうしてその方法を取るんですか。」という問いにつねに答えられるような安心感が方法を決めるための方法には存在しているように思われる。それは逃げでも事実でもあると思うが、それがなぜ受動性から生まれるのかは面白い疑問だと思う。これを受苦性から引き剥がすのは、受苦がヒーロー性を生んでしまい、ヒーローは単純化によって成り立つからである。単純化こそが避けられるべきであるということは共通しているかもしれない。私と君たちで。ただ、これにも同じような問いが立てられうる。長くなりそうなので戻ろう。
とても抽象的な話をするが、ある対比の奥に別の対比を透かし見る、そういう手法、レトリックがある。しかし、それはなぜ逆から見られるわけではないのかは説明しないし、おそらく説明できない。このこと自体をどう考えるか、というのがおそらく私の課題、そして微かに福尾の課題なのである。
まあでもね、二つ前の話に戻るけれども、例えば穂村弘が『短歌ください』(角川文庫)でしている批評というか、そういうものは注目するべき価値があると思う。気持ちよさとして。
あれ、探しに行ったのだが見つからなかった。まあ仕方ない。先の加國の論稿にしても、鷲田の「一貫した変形」を見るために「研究史的な対比と研究における対比の揺らぎを二重に示すことで全体がぼわぃんと響く」ことよりも「変形」性を強調している、そしてついでに書くみたいに「鷲田の書いたものが感じさせる、人間や世界への、留保なしではないながらも何かしら明るい肯定感や信頼感と、どこかでつながっているにちがいない。」(260頁)につなげる。この身振りは「一貫した変形」、そして「スティル」に着目することによって要請された書き方であるとも言える。もちろんよくあるレトリックではあるが。こういう読みが気持ちいいのはよくわかるし、それは西村の言い方で言えば「対象との接触や探究のなかで発見される方法」の気持ちよさと繋がっていると思う。
臨床哲学なるものを「じぶんが変えられる出来事」として考えることには私のヒーロー嫌いが発動してしまうところもあるが、私は最近イヤホンを外す時間が長くなっていて、その気持ちよさもなんとなくわかってきていて、だからその点では私の変化は臨床的になる変化であると言えるのかもしれない。ただ、それはもっと元も子もないことによって変化したのであるという気持ちもあるにはある。
読み終わった。なんとなく私は自閉性と個体性を繋げるようなTweet(現Post)を山内志朗がしていたことを思い出した。この論稿、というよりも西村の主眼を私は「鷲田氏は、そもそも「わたし」はじぶんとして完結しないと述べている。じぶんだけで「わたし」は成り立たないというのだ。そうであれば、「じぶん」を中心に置くことは、そもそも不可能なことである。それは、他者に支援され、基盤を与えられ、呼びかけられ、それに応じるものとしてわたしは<わたし>として与えられる。じぶんは他の誰かの存在、呼びかけとともにあるのだ。」(111頁)というところを見た。またそれを「この<わたし>のあり方からは、植物状態の人の<自己>を考えさせられる。意識の徴候が見られない植物状態の人は、自ら自己を表出することができない。この状態に対して、自己を失っているとさえ言われることがある。閉じられた自己であればそうなのかもしれない。鷲田氏は続けて述べる。「わたしは自己のうちに閉じこもることができない。名をもった「だれか」として呼びかけられることで、わたしは<わたし>になる。わたしの固有性とは、したがって、わたしがその内部に見いだすもの(わたしが自分の能力、素質、あるいは属性として所有しているもの)ではなく、むしろ他者によるわたしへの呼びかけという事実のなかでそのつど確証される。まさに<わたし>としてのその存在を脱臼させられつつ、である」(『「聴く」ことの力』(TBSブリタニカ)二三九頁)」(111-112頁)という変換したところを見た。ただ、このように見ること自体は「したことがある」という感じ、経験済みという感じがするし、それより奥の、突っ込んだ話はこの小論では難しかった。そこでこそ自閉性と個体性の問題というか話というか、そういうものは論じられるように思った。西村の表現で言えば「閉じられた自己」と個体性、そして閉じることと自分であることがどう関わるのか、そしてそれをどう「記述」したり「実践」したりしていくのか、それが私と西村の対立点、そして合流地点なのである。おそらく。
随分昔に『「聴く」ことの力』を読んだ。私は文庫版で読んだ。なんにも覚えていないが。
さあて、そろそろお昼ご飯を食べてお出かけの準備をしなくてはならない。ただ、もう一つ、軽いやつを読みたい。探そう。
小西真理子「臨床哲学研究室と<私>──拝啓、鷲田清一さま」、松葉祥一「他なるものとの「共存」を求めて──二つの質疑応答から」、戸谷洋志「異なる「生」を摺りよせる──鷲田清一と哲学対話」のどれかがエッセイだったら読もう。ちなみにそういう制限がなかったとしたら檜垣立哉「はじまりの鷲田清一──臨床哲学への一批判」を再読したい。
確認してこよう。
どれもエッセイじゃなかった。困ったなあ。
山極寿一「やわらかい思考と実践の哲学者」を読もう。これはエッセイである。さっきペラペラしているときに見たからわかる。というか、「ポートレート」がエッセイなのか。なるほど。じゃあ選ぶか。
甲斐賢治「しなやかな武器」、鈴木理策「まなざしと記憶」、石黒浩「哲学とアンドロイド」もいいなあ。まあ、山極のやつにしよう。
猫のうんちの匂いがする。
面白くはなかった。つまらなくもなかった。なにも感じなかった。
これで終わるのはなんだか寂しいので鈴木のものも読もう。
あれ、エッセイじゃない。まあ、なんとかなるか。時間は結構ない。
ああ、植田正治って鳥取に美術館がある人か。結局行かなかったんだよなあ。なんでか忘れたけど。見てればもっとわかったのかあ、この話が、感覚的に。あちゃあー。
いい文章だった。私と鷲田、もしくは西村、さらには加國、そして鈴木の違いもなんとなくわかった。私は写真を撮るとき、いつもそうであるわけではないが、明暗を極度に強調したものを撮る。そういうものを見る。いや、そういう変換がされうるものを撮る、そんな感じがある。そこには鈴木が「あるがまま」と表現するもの、そして「撮影時に立ち上がる「写真のための意識」をいかになくせるか」(248頁)という課題がまったく考えられていない。スパーンと踏み抜かれている感じがする。問題そのものがない感じはしないのだが、なんというかそれを批判的に言うなら軽視している、爽快に言うなら踏み抜いている感じがする。
もしかすると私にとって物たちは形でしかないのかもしれない。本当にそんな気がする。ただ、私はそのことを恥じることもなければ後悔することもない。まあ、わざわざそのように言うくらいには恥や後悔があるのかもしれないが。
木みたいな、いやもっと細かく言えば葉っぱたちみたいな形のものがあれば、そして光があれば、私は別に木でなくてもいいと思うのだろうか。しかし私は木が揺れて葉っぱがざわめいて光がぼんやり散らばるのも好きなのである。それを強調するとすれば「私にとって物たちは形でしかない」とも言い切れなさそうな気がする。
私は私が少しだけわかった気がする。美学を持った、そんな人として私を見ることが微かにできたような気がする。
さて、お昼ご飯とお出かけの準備をしよう。バッテリーがなくなりかけのイヤホンを外して携帯を充電器に繋いで。ご飯を食べようとしてご飯を食べ、お出かけをしようとして準備をしよう。
迎えの車が遅れて出発した。してくれた。助かった。時間通りだったら間に合わなかった。