人は過去のシナリオを塗り替え、その延長線上に生きている
僕は「正しく」、「貴重で希少な」経験も積み、「世の中が見え」ている
だって何よりそれなりの結果も出してきた。
◆私の経歴
私は慶応大学を卒業後、
-コンサルティングファームを経て
-リクルートに転職した。3年で企画部長になり、1,000人近い事業の運営を支え、利益を2.5倍まで押し上げた。
-今はIPOを目指す会社の管理本部長だ
凄いでしょw
◆でも、私の心の中身は劣等感で満ち溢れている
-中学受験は志望校に不合格
-大学は浪人したが1つしか受からず惨敗
-在学中に全精力をかけた資格試験に惨敗、就職浪人
-最初に入った会社は、大手メーカーの子会社。
どう頑張っても親会社の人の給料には追い付かない。
月並みなことでしかないが、自力で満足いく結果を得たことなど一度もない。いまだ自分を認めていない自分がいる。
はっきり言えるのが、この世で最も信用していないのが自分である。もしかしたら、「そんなことはいよ!」と言っていただける人もいるかもしれないが、そんな言葉は私に響かない。
◆人は「今」次第で「過去」のシナリオを変えていく
例えば、コンビニに入ると、レジは長蛇の列。
あー、隣の近くのコンビニ行こう。そうして店を出る
そして、次に入ったコンビニは
A 混んでいる
B 混んでいない
のどちからだ。
A 混んでいる場合、前の店を出たことを後悔する
B 混んでいない場合、自分の判断の正しさを確信する
人は過去の判断を現在の自分に照らし、善し悪しを塗り替えていく動物である、と思った。
そう、今次第で過去は変わる。
◆人は過去のシナリオの延長線上に生きている
自分ならできそうか?失敗しないか?その気持ちは、過去の経験に照らして判断している。
でも、過去の経験が今に当てはまるかは、正直さっぱりわかっていない。見えない未来に過去を無理やりあてはめ、自分に納得させている
ヒトが持つ「思考」や「解釈」、そして「感情」ってなんて根拠のないあやふやなものなのだろうか?その思考や解釈や感情に支配されている人生って、本当は大した意味のないことなのではないか?
私はそう「思考」しだしている
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