なぜ人は成長する必要があるのか?
◆人は成長していくものである。
・幼児期は身体が大きくなり、たくましくなる。
・少年期は様々なスポーツや勉強に取り組み、知的にも成長する
・社会人では、社会との接点の中で人間関係やビジネススキルを学ぶ
成長をしていく、それはごく当たり前のことだし、そうあるべき、という信念が僕の頭の中にしみこんでいる。
◆成長すべしと思う僕が、周りに求めていること
そういった成長のベクトルに乗ることで、少なからず良いことがあった。
・給料は上がった。正直これからも上がるだろう。
・スキルを付け、うまく仕事を回し怒られることはなくなった。
・転職しても、だいたいどこでもやっていけると思うようになった。
そして、ビジネスの現場や子供たちにも「世の中に負けないスピードで成長する」ことを、さも当然で、正しいかのように伝えるようになった。成果を出している僕の意見に、周りは反論できない。
逆説的に言えば、成長できない/しない人間は、怠惰でダメな奴、というラベルを僕は貼っているんだ。
◆成長の先にあるもの
自分の担当している事業や会社が株主から永遠の成長を求められている。それが資本主義だ。
はっきり思う、それは無理だ。いつかは苦しい時が来る。そしていつかは倒産する。でも、その時に僕はきっとこの会社にはいない。正直そう思っている。
一方で少なからず僕も他社の株を買っている。株主という立場からすると、会社に対し永遠の成長を求めている。株価が下落し、資産が減ると、強烈に経営者を批判する気持ちがわいてくる。
永遠の成長はない、と自分ではわかっているのに、、相手には求めている。
何のために成長ってするんだろうか?実はずっと違和感があった。
◆悟る、ということ
今の自分に強烈な違和感が起きてきたことがあった。
「強みがいつしか逆効果になるとき」に記した。
そういう悶々とする時期に出会った言葉があった。僕なりの理解を書いてみたい。
・湧き上がる感情の大半は、「過去の後悔」と「未来の不安」。この感情を理解することが大切。過去の後悔は過ぎ去った幻想であり、未来の心配は起きないかもしれない空想
・上記の感情を消そうと思っても、それは難しい。まずは、その感情をそのままにする練習をする。あー、「過去の後悔」や「未来の不安」なことが頭に浮かんできたぞー、今には決して当てはまることのない「幻想」や「空想」なんだなーと知る
・それができたら、どうしてその感情がわくんだろう?と自分に問いかける。これが理由かな?という事象が出てくると、必ずそれを否定する「過去の後悔」と「未来の不安」がわいてくる。改めて、問いかける。それを繰り返す。無理に答えはださない
・そうすると、むき出しの自分の心がなんとなく理解できてくる。この心に従えばいいだけなんだと。
・お釈迦様のいう「空」ってこういうことなのかな、と思う。
忙しい現代人に、上記のプロセスをやる隙間時間は本当に少ない。いつも、周りにやるべきこと、興奮すること、不安や心配など情報が多すぎるのだ
このプロセスを経ると、自分でも気づかなかった心の傷や幼少期の親との関係性が見え隠れする。つらいプロセスになる可能性もある。急がず、時間をかけてみるといいと思う。僕は2年以上かかっている。
◆改めて成長する、ということ
「一生懸命積み上げるべきと信じてきたことを、40歳を過ぎて一つ一つ崩していく作業をしているみたいだ」そう語っている人がいた。「過去の後悔」や「未来の不安」を封じ込め、ビジネスで成功してきた人の言葉だ。
「一つ一つ崩していくことで、肩の荷が下り、楽になった。自分らしい、ってこういうことなのかもしれない。あのまま、自分が突っ走ったら、周りに誰もいなくなっていただろう。何のために成長してきたのか、よくわからなくなる」とも話していた。
この「一生懸命積み上げるべきこと」これが成長と信じ込んていないか?成長の対価がお金だとすると、そんなものは死んでしまえば関係のないこと。
この資本主義どっぷりの世界で、生産性をあげ、効率性を高めるというゲームのルールのもと、「これが成長だ」と知らず知らず洗脳されてきた。特に学歴の高いエリートと呼ばれる人材は。果たしてそれはあなたのありたい姿にむけた「成長」なのだろうか?
実は、無邪気に思うことをやり、遊び疲れて眠り、翌朝何をしよう?と思って目覚める子供時代の状態が最高な生き方なのではないか?
だから、「過去の後悔」と「未来の不安」を脱ぎ捨て、ワクワクする今という瞬間を日々重ねていく生き方を選択しようと思う。
僕にとっての悟りはこういうことだ。
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