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人と違うコンプレックスを笑うな

物心ついた頃から自分が変わった声をしていることに気付き、事あるごとに「声が小さい」「もっと声張れない?」と言われ続け不快な思いをしてきた私の長い長い(?)コンプレックスとの闘いについて。

初期:人と違うことに気付く

 最初に「もしかして私の声って変?」と気付いたのは小学校の給食の時。学芸会のビデオを流していて、自分の台詞を聞いた時の衝撃は今でも忘れられない。

 え?声高すぎない?誰?

 声なんてまだ意識する歳ではなかったが、普段自分の骨を通して聞いている声とビデオから流れてくる声はあまりにかけ離れていた。同級生と比べても体躯がよく、性格も自称サバサバ()だった私には似合わない、高くて柔らかくて可愛らしい声だった。気持ち悪すぎて耳を塞いだ。親に「ビデオを通すと声がすごく変わってしまって嫌だ」と愚痴ったが、「そんなことないよ」と言われて納得いかなかったのを覚えている。

 次に自分の声に違和感を覚えたのは祖父の難聴だ。

 祖父は非常に声が大きい。大きいっていうかすげーでかい。
 怒鳴っている感じではなく、口調も柔らかい方ではあるのだが、如何せん現役時代は人の前に立って話す職に就いていたため、大勢にちゃんと聞こえるような発声の仕方が身についている。
 親戚のうち、初めに私の声が聞こえなくなった。

「ボクねぇ、最近耳がよく聞こえないんだよ。もっと大きな声で話してくれないかなぁ!」

 面と向かっていても普通に喋ると聞こえない。背後で誰かが喋っているのも聞き取れず、『話していることはわかるが内容がわからない』ことへのストレスを会うたびに言われた。そりゃあ、目の前で周りの人が皆ひそひそ話をしていたら誰だって苛々すると思う。だから、祖父に話すときは私もできるだけ声を張るようになった。自分では怒鳴っているような、無表情に聞こえる低い声を意識的に出した。
 それでも聞こえないことが増えてくると、自然と私の口数自体が減った。

中期:「声小さい」「もっと声張れない?」と言われることが怖くなる

 もしかすると自分の声は変かもしれないなと思いつつ、録音した機械のせいにしてやり過ごしていたけれど、大学生になっていよいよ現実を突きつけられる。

 アルバイトである。

 学生時代は接客業を色々やった。サークルや勉強そっちのけでアルバイトに明け暮れた。接客業は得意だし楽しかった。問題はお客様の前に立ち私の接客スイッチが入るまでの時間。

 面接の時点で言われることはまずない。それで落とされることもない。
 真剣にメモを取りながら初日の研修を受け、「この子は真面目そうだな」と先輩従業員からの印象が良くなってきた頃に決まって必ず店長格の人に呼び出されるのだ。

「〇〇さんは声が小さいね。もっと声張ろうか」

 本当に、ほぼ全職場で言われる。
 私としては声を小さくしているつもりは毛頭ない。最初は「すみません、気を付けます」と生真面目に答えていた。
 言われるたびに内心酷く傷付いていた。何度も何度も脳内で言われた言葉を繰り返し、理不尽な怒りと悲しみが私を責め続ける夜が幾度もあった。

後期:慣れたふりをしてやり過ごす

 声量に関する第一印象が「囁き声かよまじ最悪」な私だが、肝心な時は無意識に声を張れるので実はあまり生活に支障がない。
 お客さんの前に立てば接客モードに入って快活明朗に喋れるし、キャンペーンや試食販売も数こなしている。同様にプレゼン系も問題がない。何か自分でもよくわからない発声方法の切り替えスイッチがあるらしい。

 そんなわけなので、現場に立つまではめちゃくちゃ指摘されるし心配されるのだが、いざスイッチが入った後の私を見てもらうと皆一様に「全然できんじゃん!別人かと思ったよw」と言う。

 内心、ほれみろwwwwwwwと思う。
 本当は「なめやがって~~~~見たかこんちくしょうめ~~~~」と思っているのだが、もちろん場面での切り替えなしに常に万人に届く声の方がいいに決まっている。ということは私の普段の声が悪いので、こんちくしょうめなんて口が裂けても言えない。指摘してくれる人もお客様のことを考えて言っているのだから、それを悪く言えるものではない。

 結果、慣れたふりをしてやり過ごすようになった。

 声のことを言われるたびに物凄く傷付く。家に帰ってお布団の中でさめざめと泣きたくなる。私だって好きでこんな声しているわけじゃないのに。私だって選べるなら可もなく不可もない平均的な声になりたかった。
 が、それも最初だけだと言い聞かせるのだ。今に見ていろ、接客モードの私を見て恐れ戦くがよい。私の本気には貴様なぞ足元にも及ばぬぞ。

 そんな風に、怒りと悲しみと悔しさを燃料にして、何年も何年もやり過ごしてきた。じわじわと心を削りながら。

現在:本当に私が悪いのか?いや、私だけが悪いのか?

 最近になって、私の心境に変化が訪れた。
 いい加減限界だったのかもしれない。

 新しく知り合う人たち、周りの人たちも年齢層が高くなってきて、前より耳の遠い(というと大げさだが)人と接する機会が増えてきた。
 職場の人相手なら私も気を付けるが、単なる飲み仲間みたいな野郎に「もっと声張れよw」とか「接客の時みたいな声出せよw」と言われるとすげー腹が立つ。そういう輩には「てめーの耳が悪いんだろ!!!!!!!」と返す。うーん、年齢関係なく、交友の幅が広がってデリカシーに欠ける友人が増えただけかなあ?笑 

 去年あたりから私のHSP気質の特徴が顕著になってきて、大きな音や人の声がダメになった。祖父の声なんてもう完全にだめ。頭がガンガンする。
ついでに自分の声も無理。声を張ろうとすると自分の声がうるさすぎて耳を塞ぎたくなる。
 だから、極力仕事関係以外で声を張りたくない。ぶっちゃけ話す必要が少ない事務仕事なので、できれば仕事でも声を張りたくない。

 それで、ふと気付いてしまった。

 私が悪いわけじゃなくない?
 ていうか、私『だけ』が悪いわけじゃなくない?

 耳が悪い、または聞こえづらいのはその人のせいではない。老化には抗えないし、何かしらの事故や病気で聴力を失った人だっているだろう。それらは本当にその人のせいではない。それなら私も意識してあなたに届くように語り掛けよう。

 が、考えてみてほしいのだ。
 声が小さいのもその人のせいではなくないか?私の場合はという経験則だが、私は声が小さい代わりにちょっとだけ耳が良い。比較的小さい物音も聞き分けられたりする。一方で、声が大きい人は大抵あまり耳が良くない気がする(というか、小さい物音は気にしない?)
 耳がいいと自分の声がうるさいので、自分の耳にあった声量で話すと他の人にはどうやら小さく聞こえるらしいというのが私の場合だ。

 声が小さい人にもちゃんと事情があるのだと知ってほしい。老化や事故と同じように、選んでそうした訳ではない事情が。

 そう考えると、私だけが配慮しなければならないと強いられるのは変な気がしてきた。
 繰り返すが、やむを得ない事情によって小さい音が聞こえづらいのは仕方がない。が、普段から大音量で音楽を聴いたり、酒飲んで叫びまくって遊んでいるせいで小さい音に耳を傾けることを忘れてしまった輩に気を遣うのはなんとなく腑に落ちない。そうでしょ?やる気ないから声小さくていいやって思ってる人に気を遣いたくないでしょ?それと同じだと思うのだ。
 私の事情を理解して、何も言わず耳を寄せてくれる人もいる。落ち着いた声で静かに語り合うのも悪くないよ。激しく盛り上がる熱狂はあげられないけど、そういう人とは穏やかで優しい時間を過ごせる。

 最近は「てめーの耳が(略」だと口が悪いので改めて、「私の接客ボイスは仕事用なので、あの声を使ってほしい場合には自給が発生します」と返すことにしている。

おわりに:コンプレックスを笑わせないために

 30年弱生きてきて、他人のどうしようもない事情を考えない輩に沢山会ってきた。人のコンプレックスをあげつらい、笑いものにするような輩。声のコンプレックスに関わらず、容姿や趣味や環境など色んなコンプレックスが犠牲になる。
 人に笑われると、びっくりするほどコンプレックスは悪化する。例え親しい仲での冗談だったとしても、冗談だと理解していても、言われた方はとてもつらい。人の心の一番弱いところにナイフのように無残に突き刺さるのだ。

 どんなに仲が良くても、案外人は相手のコンプレックスに気付かないものだ。察して察してと求めるだけではつらい時間が長くなるだけなので、そこは正直に「〇〇はコンプレックスなのでネタにしないでください」と伝えよう。それでも尚なんか言ってくる輩とは距離を置こう。

 私は自分の声がコンプレックスだが、同時に人と違うことが長所を沢山秘めていることも知っている。

 私の声は角が無く、鼻にかかったような柔らかくて幼い声。話すペースもゆっくりなので聞いていて眠くなると言われる(まぢ心外)。ちなみにアニメ声ではない。”アニメとか全然見ないあまり親しくない友人に『声優になりなよ~!』と言われる声”と言えばわかる人にはわかるんじゃなかろうか。
 甘えた声を出せば小さな女の子のような可愛らしい声にも聞こえるし、接客モードになれば聞き心地のよい落ち着いた声になる。

 この声は「相手に警戒心を抱かせない」という点において重宝している。
 例えば、問い合わせ電話を掛けると相手の人が小さい子に話すみたいに優しい口調で答えてくれる、とか。テンパっているお客さんを安心させられる、とか。顔は覚えてないのに声だけで人に覚えていてもらえることもある。マニアックな声フェチの人にもモテる。
 こんなふうに、もしかしてこの声便利じゃね?と思う場面が日常にちらほらあったりする。

 コンプレックスも使い様なのかもしれないと思う今日この頃。学生の頃とは比べ物にならない程前向きに捉えられるようになっている。それまでの色んな苦しさや葛藤を全部許してあげれるような気持ちになっていて、とてもいいことだと思う。
 一応今でもコンプレックスである。変えられるものなら変えたいと思うかもしれない。今はまだ声によって受けた恩恵よりつらい思い出の方が多いから。

 だが、前に知人にこんなことを言われたのだ。

「成功するには他人と違うことをしなければだめだ」

 ビジネスの話である。正直、そんなもんねーよと思ったが。
 コンプレックスって一番身近に思いつく『他人と違うこと』かもしれない。

 最近は個人で動画やラジオを発信したり、フリーの人が登録して仕事を受けられる媒体も多数ある。もしかすると、私の声もそういうところで活かせることがあるのかもしれない。今のところそんなことをする気力は無いけれど、いつか挑戦してみてもいいかもしれない。商材として活かしてしまえば、もうこの声を笑われることもないだろうから。

 これを読んだあなたにも人と違うコンプレックスがあるのだろうか。
 どんな風に悩み、また乗り越えてきたのだろうか。
 触れると痛いものとして封印してしまうのもいいけれど、なんとか使い道を考えると少し楽になるかもしれないと思った。
 

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