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【軍隊生活の思い出 -3話-】入隊二年目



入隊二年目

教育隊

昭和十七年、いよいよ入隊二年になりました。

毎日、訓練の休憩の度に、教官から下士官の試験を受けるように勧められました。

受験した結果、運よく合格しました。


まもなく教育隊に入隊し、初年兵以上に厳しい訓練が始まります。

入隊一週間目の夜、点呼が終わると同時に、班付けの軍曹が「待て」と大声を出します。

「今晩、教育隊最初の気合を入れてやるから、一歩間隔に開いて歯をくいしばれ」

と言います。

背の低い方から、コブシであごをなぐり始めます。
私は大きい方であったので、思った程痛く無かったのを覚えています。


そんな風で、総てが初年兵と比べものにならない程の訓練でしたので、動作が早くなります。

一例を見ると、同じ起床ラッパでも、教育隊の生徒は営庭に出て整列し、点呼が始まりますが、その頃になっても一般の兵隊は出て来ません。

「何でだろう、休みかな」

と思っていると、ようやく出てきます。
それだけの差がついてくる訳です。


陸軍伍長として帰隊

昭和十八年一月一日付けで陸軍伍長に任命されました。
肩章は、金筋一本に金の星がついて光っています。

先任の曹長が

「おお光っているね」

と冷やかしますが、やはり嬉しいものです。

部屋も個室が当てられ、同年の一等兵が当番兵として食事から洗濯、靴磨き、すべてをしてくれます。まるで別世界にいるようです。


そうこうするうちに、「元の中隊」へ復帰の命令がありました。
帰ると班長を命ぜられました。


兵隊は、私が初年兵の時の二~三年兵で、戦地から帰り満期となり、今度は召集で来た者ばかりです。中には三十才位の人もいるので、なかなかやりにくい事が多いものでした。

しかし、さすがそこは軍隊、命令には絶対服従でした。

「上官の命令は天皇の命令だと思え」

と教育されているからです。


ある日、あまりだらだらしているので少し気合を入れようと思い、厩舎の中のコンクリートの上に一列に並べ、今にも体の前支えの号令をかけようとした時でした。

週番仕官が巡察に来て

「何をしているか」

と言われ(体罰は禁止になっている)、

「しまった」

と思いましたが、

「はい、只今から内務の教育をします」

と言って無事に済んだことを覚えています。




「出征」につづく


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