「私たち最高!」から、あの子に距離を置かれたこと。
その日は、青山1丁目に向かう予定だった。
大江戸線の六本木から青山1丁目までの1駅、車内で座りながら虚ろになっていると、目の前の女性の後ろ姿があの子に似ていた。
その瞬間、ドキッとした。
まだ、東京にいたんだ。いや、人違い?
心の中でつぶやいた。
よく戸田恵梨香に似ているねと言われていたあの子は、健康的な肌の色に、すらっとしたスタイル、髪が少し明るめのサラサラのロング、ナチュラルな末広の大きな二重が印象的だった。
目的地に到着するまでの2分間、目の前の女性の後ろ姿に私の心は鷲掴みにされていた。
──本人だったらどうする、話しかける?
ひたすら自問自答していた。
「青山1丁目」、車内アナウンスとともに立ち上がって降りようとした時、スマホを触りながら手すりを持つその女性の顔を、不自然なくらいに覗き込んだ。
…なんだ、人違いか。
その女性が私の事を不信に思ったのか、チラッとこちらを見返した。
時に思う、結婚と出産を果たした今の私なら彼女といい距離感で付き合えたのになぁと。
私があの子にしてしまったこと、距離を置かれてしまったこと、これらはそれまでの人生で後悔していることの1つだ。
◇
「はるちゃんが地元にいないとつまらないや。私も上京しようかなぁ」
こんな会話をしたのは、
私が上京して1年が経過した27歳の頃だった。
彼女とは18歳からの付き合いで(noteでは初めて綴る)、私の青春に大きな花を添えてくれた友人の1人のうち。
文具が趣味で、お気に入りの手帳に予定を書く人。私なんてトイレに掛けてある営業で貰ったカレンダーに予定を書く人だから、(しかも便座に座りながら)そんな繊細で女性らしい所が好きだった。
2人で数えきれないほど旅行に行ったり、
深夜の真っ暗な国道沿いにぽつんと佇んでいるファミレス「ココス」に集まっては、たったのドリンクバーでバカなことと、少しの下ネタを永遠と話す迷惑な2人だった。
もて余すくらいのエネルギーと若さを、この街灯すらない田舎では発散できずにいた、そのフラストレーションを2人で分かち合った。
きっと女の子って、彼氏よりも女友達を優先して、「私たち最高、怖いものなし!!」みたいな時期があると思うのだけど、私にとって彼女がそんな存在だった。
「男じゃなくて、女友達と結婚できたら最高なのになぁ」
「ほんと、それよ」
こんな会話を数え切れないほどした。
出会いは求めているけれど、なぜかずっと彼がいない友人。そんな彼女に紹介できる男性をひたすら探し続けていた。
「この人、ドストライク!」
この言葉をもらうために。仮にそれが友人にいいように利用されているとか、そんなことはどうでもよかった。
きっと私は友人のことを愛していたのだと思う。もちろん、1人の人間として。
そして、時にこんな感情が友人にとって重たかったのかもしれない。
そんな地元の大親友が上京する。
嬉しい反面、私の内心は複雑だった。 彼女にとって私の存在がとても大きい気がして少し怖かったのだ。
それは結局は自惚れだったけれど、私が地元にいないとつまらないからと、これまで長く勤めた職場を辞めては、彼女の人生を動かせてしまったことに。
それからは友人の住まいと仕事が決まるまで、私の劇狭1Kで1ヶ月ほど一緒に暮らしたりもした。
無事に仕事が決まり、一度瀬戸内海に戻る日、仕事中にラインがはいっていた。感謝の気持ちと、滞在費は枕の下に置いていること。
私からの提案だったから滞在費は要らないと言ったのに、いつも律儀だった。
だけど、悲しいかな。上京した後もそこまで会わなくなって、いつしか距離を置かれてるのを察知して、私も連絡しなくなった。
理由としては、私も私で結構うざい所があるから、一緒に暮らしている間に先に上京した先輩風吹かせたり、(失笑)
職を探している彼女に「仕事どんな感じ?」なんてちょっと上から目線にモラハラ夫みたいな顔を出してしまった。
それは、自覚する位に。
ほら、女友達のアドバイスほどうざいものってないじゃない。女はいつだって、ただ話を聞いて欲しいの、同調して欲しいの。
こんな終わり方が、付き合いが長くてもやっぱり女同士だよね。
「ここが腹たつんじゃぁ」なんて相撲のように素肌でぶつかり合って喧嘩できたらよかったけど、そうじゃなかった。
もしくは、特別腹が立つことはなかったのかもしれない。ほら環境が変わると、古いものに執着しなくなるでしょう。
人間関係も仕事も互いにアップデートされ、居心地の悪い関係は自然と淘汰された、みたいな。
だけど時に思う、もし今も彼女とつるんでいたら、私は夫と結婚していなかったかもしれない。だって、気の合う女友達と過ごす時間ほど居心地のいいものってないから。
これから目の前の男性と信頼関係を構築するより、女同士であーだこーだ言ってるのって楽しいんだもん。60歳になっても、「私たち最高!」なんてしてたかもしれないと思うと、少しゾッとする。
このような経緯で1番の親友を失った私。
その空洞化した心の隙間を埋めるかのように、夫と出会った時は沢山のことを話した。だから私にとって夫は女友達のような一面もあるのだ。
と考えると、この出来事は次のステップに進む為には必要な事だとは思うけれど、私の態度や発言で、距離を置かれてしまったのは事実なんだよね。
自覚があるからこそ謝りたい。
だけど、もうあの子とは会うことはないだろうなぁ。女友達なんてこんなもんだったりする。
あの時の「私たち最高!」は幻だった。
いや、その言葉を発した3秒くらいは本当だったのかもしれない。
だけど、その10秒後には嫉妬しあってたかもしれない。
それ位に女同士は脆くて、儚い。
時に、キモいけど彼女の名前をyahooで検索する。とある職場で彼女の名前が出てきた時に、こっちで頑張ってるんだと少し嬉しくなった。
田舎者の私とあの子がかろうじて東京で生きている。
その事実だけで十分。
そして、私の青春に深く関わってくれた彼女には感謝しているんだ。
◇
あの頃、ネオンの街は別世界なほど遠くて、真っ暗な国道2号線が続く道で、行きたい所もなければ、そこに自分の可能性なんて何処にも見いだせなかった。
そんな虚しさを打ち消すかのように、せめて私逹だけは光を放ちましょう、と「私たち最高!」なんて励まし合っていたのだろうか。
「これから、何処にいく?」
「うーん、ココスにいく?」
そんな記憶は、うんざりするほどに永遠に続く気がした国道を背景に、キラキラと心の中で輝き続けている。
◇
──余談
距離を置いた側の話は多いですが、置かれた側の話は少ないので綴ってみました。
ほら、距離を置かれたって認識するのって辛いじゃないですか。
自分と様々な人との人生が交差する中、
いつだって人は人間関係を取捨選択する側でいたい。された側はあやふやにしたい。
いや、距離を置かれた側も、置いた側として認識していることすらある。だからこそ置いた側の話が多いのでしょう。このエピソードもそのように書くことは可能でした。
でもそれじゃ、つまらない。
だからこそ今回は自己開示してあやふやを言語化してみました。
お読み頂いてありがとうございます。